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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第五章 平穏は、ほど遠く
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6 ミルフェ姫の思い

 医療所開設の日は、朝から薄曇りだった。前日まで日が照れば暑いくらいだったから、並ぶ者たちにはちょうどいい天気だろう。

 ソランたち内部護衛組は、朝早くから設営されたテント内の最終確認をしていた。運び込まれた机や椅子、薬類も全て目視し、危険物がないか確かめた。

 しばらくすると母とミアーハ嬢に伴われて、医師が到着した。


 まだ準備が整いきらないうちに、ミルフェ姫が来た。

 襟元に可愛らしいリボンが付いている以外は、侍女のお仕着せよりまだシンプルな水色のドレスに、白いフリルの付いたエプロンを着けていた。髪は邪魔にならないように纏められながらも、ふわりと優しく見えるようにされている。

 母やミアーハ嬢も同じデザインだが、三者三様に美しく、ことに姫は初々しく光り輝いていた。


「皆さん、本日はご苦労様です。私も微力ながらお手伝いいたします。共に、救いの手を必要としている者たちのために、頑張りましょう」


 皆を集め、簡単ながら挨拶をすると、すぐに自らも作業の手伝いに入った。支度が済むと、ソランの隣のブースで、医者の後ろに慎ましやかに控えた。


 テントはまわりを囲む三方が二重になっており、その間に完全武装の騎士たちが待機している。中にはトレドたち見目麗しい四人の騎士、それに、王女と同じ格好の女性たち。王女と医師たちを守るできうる限りの手は打ってある。それでも緊張がみなぎる中、はじめの四人が通された。


 彼らは誰もが痩せており、肌にも髪にも艶がなかった。いつ水浴びしたのかもわからないし、着ている物も、洗濯がどうこうという以前に穴だらけで、今の季節でさえ防寒が足りないと思われるあり様だった。あっという間にテント中が異臭に満たされる。

 それでも王女はにこやかに招き入れ、腰が痛くてなかなか椅子に腰掛けられない女性に手を貸して座らせた。

 診察の間は、じっと医者の脇に控え、必要なものを書き出した紙を手に奥に行き、軍の調剤室から連れてこられた者たちに道具や薬類を揃えてもらって、また医者の元まで運ぶ。手当てが必要な時は医師に手を貸し、怖がって泣く子がいれば抱き上げてあやし、お大事に、と言って送り出した。


 ずっと立ちっぱなしである。白かったエプロンはすぐに汚れ、刺すような臭気に鼻はいつしか麻痺をした。

 ソランにとっては馴染みのものでも、王女には辛いのではなかろうかと、時々気にして様子をうかがったが、一時も笑みを絶やすことはなかった。常に優しく接し、疲れた様子は見せなかった。


 正午の鐘が鳴り、終了を告げられた時も、まだ外に並ぶ人々を気にし、彼女は、あと一人だけ、あと一人だけ、と一時間ほど延ばした。

 その上で、私の我儘で引き伸ばして申し訳ありませんでした。皆さん、ご苦労様でした、ありがとうございました、と挨拶した。


 隠れていた護衛たちが出てきてミルフェ姫を囲んだ。先にソランたちが医師を護衛してテントから出ると、そこにはまだたくさんの人々がおり、一定以上テントに近づけないように警備兵が並んで警護していた。

 人波が揺れ、中には医師たちに向かって拝むようにしている人々もいた。ソランは彼らに小さく会釈をし、先を急いだ。安全な場所まで早く連れていかなければならない。


 テントからいくらか離れた時だった。わあっという歓声があがった。人々が口々に騒ぎだす。ソランたちは立ち止まった。もしもの時は駆けつけねばならないからだ。

 だが、それぞれの声が何を言っているのか聞き分けられた時、緊張は喜びに変わった。人々はミルフェ姫の名を呼んでいた。彼女を慕い、褒め称え、そして王の御世を言祝いでいた。

 殿下は足を止め、彼らに手を振った。一段と歓呼が大きくなる。ソランたちはしばらくその姿を見守った。やがて、母が参りましょうと医師たちに声をかけ、それをきっかけに王宮へと戻ったのだった。



 王宮まで医師を送り届け、王妃に挨拶して、すぐに踵を返した。

 アティス殿下は、今頃、広場に面した建物の一室にいるはずだった。現場に近い、借り上げたそこの三階で、指揮を執っている。

 王妃が慰労会を開くから、ゆっくり食事してこいと言われていたが、気掛かりだった。殿下のまわりはいつもより手薄になっている。

 ソランは祖父に、領地の私兵で建物周辺をかためるように頼み、副官のディーに話を通しておいた。だが、そのディーも今は副指揮官として現場に赴き、直接指揮を執っている。いつも通りの護衛はついていても、早く合流するに越したことはない。ソランは先を急いだ。

 一度部屋に戻って医療鞄をとってくるべきか。いや、人に頼もう、時間が惜しい。そう考え直したとき、回廊の角を曲がってくるミルフェ姫を見つけた。ソランたちは通路の脇に退き、頭を下げた。

 彼女はソランたちの前で足を止めた。


「どうしましたか。王妃陛下がこれから労いにお食事を出してくださいますよ」

「まだ任務中ですので、失礼させていただきました」

「まあ、そうですか。でしたら、少しお待ちください」


 ミルフェ姫は護衛の一人に何事か囁いた。命じられた護衛は、ソランたちが来た道をすぐに走っていった。


「お疲れでしょうに。大変ですね」

「いいえ、このくらいはなんでもございません。殿下こそ大変でいらしたでしょう。とてもご立派で敬服いたしました」

「ありがとう。本当にそう思ってくださったの?」

「ええ。民衆も殿下を慕っていたではありませんか」


 彼女は苦笑して横に首を振った。


「私にできるのはそれくらいのこと。父王陛下も、母王妃陛下も、兄たちもご立派に務めを果たしていらっしゃいますが、それでもあのような者たちがいるのは、我等の不徳の致すところです。本当は全員を膝元に置き、衣服を与え、食べ物を与え、寝る所を与えてやりたいのですが、それもままなりません。それを話したら、犬や猫ではないのですよと叱られました」


 人は飼うわけにはいかない。ただ与えれば良いわけではない。それでも、


「そのお優しさは尊いと思います」


 浮世離れした方だとばかり思っていたが、王族としての強い芯を持っていた。そして優しさに傷つきもしている。この方もやはり、あの殿下の妹御なのだと認識させられた。

 ミルフェ姫は数瞬逡巡するそぶりを見せ、それから思い切ったように護衛たちに少し下がるように告げた。

 イアルに目をやり、言いにくそうにしていたので、イアルも少し離れるようにと、ソランから申し渡した。


「あの、このようなところで、しかも私から言うのははしたないと思うのですが、どうしても伝えて、お聞きしたくて」

「はい、なんでございましょう」

「あの……あの、私、ソラン殿が好きです」


 ソランは目を見開いた。殿下は胸元で両手をきつく握り合わせた。


「私、恥ずかしながら、結婚相手を探しています。兄にからかわれているのはご存知でしょう?

でも、私は私なりに真剣に考えています。私の選ぶ相手によっては国が揺らぐのもわかっているつもりです。ですから、ソラン殿にお願いしたいのです。

私とのことを真剣に考えてみてくれませんか。あなたなら、兄を傷つけたりしないでしょう?」


 真っ赤になって、今にも泣きだしそうだ。その様子に、抱きしめてあげたくなる。それを抑えこみながら、ソランはなるべく感情を廃した声で話しかけた。


「申し訳ございません。私にはお応えできません」


 殿下は唇を噛み締めた。必死に涙を我慢しているのが見てとれる。痛々しくて、つい、要らない言葉をかけてしまう。


「私は殿下の思っているような者ではございません」


 己の性別が明かされた時、殿下に、いや殿下方に軽蔑されるかもしれない。

 場が嫌な緊張を持って静まりかえった。離れているとは言え、会話は筒抜けだ。誰もが王女を慮って動くに動けなかった。

 その時、先ほどの護衛が戻ってきた。手に小籠を二つ提げている。彼は妙な雰囲気に怪訝そうに少し離れて立ち止まった。


「軽食です。どうぞお持ちください」


 殿下は震える声で言った。

 ソランは護衛から籠を受け取った。


「では、失礼いたします」


 言葉少なにソランたちは御前を去った。

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