3 殿下の思惑
修練場は、王宮の備品倉庫と隣りあっており、実は王宮勤めの女性と軍勤めの男性の、出会いの場になっている。
というわけで、備品補充は人気の仕事であり、ちょっとした館のような倉庫の、修練場に面した二、三階の廊下から、女性たちは品定めをする。そしてお目当ての男性ができると、一階まで降りてくるというわけだ。手に手に汗拭き用のハンカチや、差し入れの食物などを持って。
手合わせは、いつの間にか講習会になっていた。
「まず、隙を見つけてすっと踏みこむ」
ソランはトレドを相手に、説明どおりの動きをしていく。
「相手が居ついたら、くるっと絡めて、グッとやって、ガッと飛ばす。やってみてください」
トレドがソランを相手にやろうとして、
「くるっと、グッと、ガッ……って、わからん!」
「え? じゃあ、構えて。よく見ててくださいね、ゆっくりやりますから」
他の将軍旗下の男たちを相手に、二人で並んで同じ動作をしようとする。が、ソランはできても、トレドはできない。
「すみません。教えるのが下手で」
ソランは領内での自分の評判を思い出していた。意気消沈して謝る。
「いいえ、私がいけないのでしょう」
トレドが唇を噛み締める。そこへイアルがやってきた。
「私が代わりましょう。この人の教え方でわかる人の方が稀ですから」
そして懇切丁寧に説明をはじめた。
曰く。踏み込みます。隙を見てくださいね。斬られにいくんじゃありませんから。相手が警戒して力が入ると、体の動きが強張ります。そうしたら、その瞬間を逃さずに剣を絡めます。切っ先から沿わせるようにすると、真っ直ぐ胸元に向かって刃先が来るようで怖いものです。相手は避けようと手元を浮かせて押してこようとします。そこを逆にぐっと押さえてから、踏みこみつつ下にくるっと滑らせて、反発して上がってきたのをそのまま押し上げ、相手が制御を失ったところで、がっと斜め上になぎ払う。できましたね?
「おお。できました。ありがとうございます、ランバート殿」
「では今度は速くやってみましょう」
ソランはあっという間にあぶれてしまった。教えるならイアルのほうが適役だ。肩を竦めて場外を見回し、とりあえず殿下の所へ戻った。
「どうした、もうおしまいか」
「はい。殿下はおやりにならないのですか?」
「見物人が多すぎる。興がそがれた」
「殿下は館の裏庭で済ませることの方が多いんだよ」
ディーの言葉に、殿下は微かに眉根を寄せた。
「そうだったんですか。なぜまた今日はここでと思われたんですか?」
今度ははっきり眉間に皺を寄せる。
「そういう気分だったからだ」
不機嫌だ。なぜだ。ソランは内心首を傾げた。
「それは、あんな若造に自分の部下が貶されてご不快だったからだよ。ソラン殿、控え目なのもいいけれど、殿下の直属なのだから、ああいうときは大きく出てもいいんだ。というより、むしろ煽っといて、ぐうの音も出ないぐらい叩き潰すといいよ」
ソランは、本当だろうかと殿下に視線を移した。
「ディー、おかしな入れ知恵をするな。いらぬ確執は作らんでもよい。おまえの対応は間違っていなかった」
「でも、ご不快だった、と」
「ディー!」
殿下は話を断ち切るように手を振った。
「相手をせよ。叩き潰してやる」
「えー? ギャラリーが多いから嫌です。叩き潰されるの、カッコ悪いですもん。ご自分だって言ってらっしゃったくせに」
「四の五の言うな。その減らず口をしばらく利けないようにしてやる」
「まったく、横暴ですよねえ」
そう言いながらも、先に場内に出て行く殿下を追いかけていく。
とうとうソランは、一人で護衛たちに囲まれ、ぼんやりと見学することになってしまった。
「ソラン殿」
おずおずとかかった可愛らしい声に、ソランは殿下から目を離し、声の主を探した。ミルフェ姫が二メートルほど先に立っている。
「どうされましたか」
ソランはすぐに姫の許へ行った。
「どうぞ、これで汗をお拭きください」
レースの付いた繊細で綺麗なハンカチをさし出される。一目で高価だとわかるものだ。
「ありがとうございます。ですが、お心遣いだけで充分です。どうかお納めくださいませ」
ミルフェ姫は、見るからに傷ついた顔をした。ソランは慌てた。
「それほど綺麗なハンカチは、お可愛らしい殿下にこそお似合いでございます。私のような無骨者が相手では、あまりにもったいのうございます」
背後の気配が動き、ソランはとっさに振り返った。護衛の一人がやってきて、耳元で囁く。
「受け取っとけ。でないと恥をかかす」
本当だろうかと彼と目を見合わせると、頷かれる。ソランはすぐにミルフェ姫に向き直って、そっと手をさし出した。
「失礼をいたしました。殿下のせっかくのお心遣いを無駄にするところでした。お受けいたします。いただけますか?」
躊躇いがちに渡してくるそれを、大事に受け取った。
「ありがとうございます、ミルフェ殿下」
ソランが微笑むと、姫は顔を赤くした。
「私たちはこれで失礼しますね。陛下がそう伝えていらっしゃいと」
「そうですか。そこまでお送りいたしましょう」
さし伸べた手に白くて小さな掌がのせられた。同じ歳なのに、なんという違いだろうか。ソランは自分の剣ダコだらけの硬い手が姫の柔肌に傷を付けないように、細心の注意を払ってエスコートした。
ソランと姫のやり取りを見て、殿下とディーがそそくさと戻ってきた。
「何があった?」
ソランが御前に参るやいなや、性急に殿下に聞かれたので、あったことを不得要領気味に説明した。何が何やらわからない。最後に困惑しながら質問する。
「それでこれをいただいたんですが、どうしたらいいんでしょうか。洗ってお返しすればよいのですか? なにかお礼の品でも付けないといけないんでしょうか?」
どっと護衛たちが笑った。ディーも笑っていた。殿下ですら、にやりとする。
「笑ってないで、教えてください!」
ソランは地団駄踏む勢いで言った。
受け取れって言ったのに、なんで皆笑うんだ!?
「うん、うん、初々しくって、かわいいなあ。そうだよね、そうするべきだよね、本当は」
ディーが宥めるように言う。
「俺たち大人がいけないよね。ツワモノになると、それをコレクションしてる奴もいるんだから」
コレクション?
ソランの不可解だ、という顔を見て、再び皆で笑う。それに不満げにすると、それを見ても笑う。とうとうソランは臍を曲げて、ぷい、と横を向いた。
「あはは、ごめん、ごめん。それさ、お嬢さんたちの好意の証なの。これは、という男にアプローチするための小道具。広げるとわかると思うけど、中に名前が刺繍されているんだよ。
で、男たるもの、女性から寄せられた好意をはねのける訳にはいかないからね。受け取るのは礼儀。だから、たまる奴はたまる。悪い奴は、気のあるそぶりを見せて、さし出させてコレクションする、と」
最後の言葉に、ソランはディーを睨みつけた。
「俺はしてないよ! 殿下の配下たる者、いついかなる時も、殿下の名を貶めるようなことはできないからね。それは皆も同じ」
ソランはまた顔をそむけた。不機嫌です、ということを示しているのだ。考えてみればひどく甘えた行為だった。しかし、ソランも引っ込みがつかない。
「で、返すのは忠誠でいいんだけど、つまり求愛? 求婚? てことになるから、まあ、本命以外には一般的にはもらったきりなんだよ」
「わかりました、ありがとうございます」
ソランはディーに向かわず、斜め下に向かってお礼を言った。殿下が、くっくっくっくと笑いだす。笑いのツボに入った時の笑い声だ。腹を抱えて苦しそうにしている。
「なんでございましょうか、殿下」
ソランはとがった声を出した。よってたかって皆でなんだというのだ。
「いや、よかったな」
ひとしきり笑った殿下が涙を拭きながら言った。
「他のおしゃべり雀どもは、ミルフェに遠慮しておまえに渡せはしないだろう。これで安心して、ここでいくらでも練習できるぞ」
ソランにはピンとくるものがあった。この方は、それを狙っていたのだ。それであのわざとらしい独り言が吐かれたわけだ。
どこまで喰えない傲慢我儘王子だろう。まんまとミルフェ姫の好意まで利用して。
それでも。
ソランはフッと笑ってしまった。
なんでもっと惹きつけられてしまうのだろう。この方が笑うなら、それでいいかという気にすらなってしまうのは、なぜか。
部下が貶されて不快だったと、ディーに指摘された時の殿下が思い出される。
我が名の下に戦えと言ってくれた。それを嬉しいと思ってしまった。だから、どうしようもないという気持ちになる。やはり、この方には、自分はどうにも敵わないのだろう。
ソランは溜息のような息を一つ吐いた。そうしてやっと不機嫌の仮面を捨てて、はっきりとした笑みを浮かべたのだった。