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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第五章 平穏は、ほど遠く
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1 通常業務

 始まりが視察だった王都暮らしも、通常業務となった。

 ソランの主な仕事は朝晩の殿下の診察と、後はいざまさかの時のための待機である。しかし、あまりにも待機時間が長い。

 ソランは朝食の後、執務室に呼ばれて、今後どうするか指示を受けることになった。


「おまえを暇にさせておくと、絶対にいらぬことに首を突っ込むにちがいない。ディー、こいつの首輪に鈴を付けておけ」

「はい。さて、どんなのがお似合いかな~」

「えっ?」

「ちょっとお待ちください」


 ソランがおたおたしているうちに、イアルが前に進み出て、ソランを背後に庇った。


「いかに殿下といえど、お戯れが過ぎます」

「いや、私も冗談のつもりだったのだが」


 殿下が顔を顰めた。全員の視線がディーに注ぐ。


「え? 本気でいらっしゃらない? 何言ってんですか。うなるほど金を持っていらっしゃるくせに。それに、キエラ領の真珠はきっとソラン殿に似合いますよ。いかにも殿下の所有物な感じもしますしね」

「ああ、キエラの真珠!」


 ソランは場違いな声をあげた。


「なんだ、興味があるのか」

「いえ、キエラと聞いた時から、思い出せそうで思い出せなくて、ずっと気になっていたんです。あれを酢に溶かして飲むのが、あちらの健康法だと師匠に聞いていて。そうだ、屑真珠って、如何ほどするんですか?」

「さあ。どうしても知りたいなら、イドリックに問い合わさせるが?」

「はい。値ごろでしたら、ぜひ格安で卸してもらいたいのですが」


 室内が静まりかえる。


「まさかとは思うけど、ちょっと質問していい? それをどうするの?」


 ディーが聞いた。


「え? 酢に溶かしてみようと。それを飲んでみて効能があるようなら、飲みやすく改良して、王都の金持ちに売ればどうかなと。……いけませんでしたか?」


 殿下さえ唖然としているのを見て、ソランの声は尻すぼみになった。イアルは額を押さえて沈痛な面持ちになり、ディーは笑いだす。


「キエラの真珠は最高級品だよ。それを溶かす!」

「ほらみろ。言った先からこれだ。突飛なことばかりやりだす」

「やはり首輪ですかねえ?」

「ああ。首輪がいる。持って来い」


 殿下の執務机の書類の束からディーが取り出したのは、一枚の紙だった。ソランと、イアルにも渡される。


「殿下の今日のご予定だ。ソラン殿は今日から俺の補佐ね。イアル殿は補佐の補佐ね。忘れずに医療鞄も持ち歩くんだよ。肩書きは相変わらず殿下直属の軍医だからね。

それから、部屋も変わってもらうよ。今度は続き部屋にするから。奥がソラン殿で、入り口側の部屋をイアル殿が使うように。剣の主であることはなるべく伏せておきたいし、そうするとおおっぴらに護衛も付けられないからね。

殿下のお傍が安全かどうかはさておき、目の届くところにいるのは安心でしょう?」


 最後の一言は殿下を見て言った。殿下はそれを無視して、別のことを口にした。


「それで、酢はあるのか」

「それはまた、効き目を見てから考えようと思っていました。材料によっても製法によっても効能が違ってくるかもしれませんし。おいおい作り比べてみようかと」

「それはどうやって調達するつもりだ?」

「我が領主に聞いてみようと思っていましたが」

「手広くやっている商人を紹介しても良いが?」

「ありがとうございます。でも、殿下のお知り合いだと値が張りそうですが」

「どうだろうな。ただ、あれならそれこそ大陸中の物を集めてこられる。そうだ、それなら投資をしてやろう。儲けが出たら、一割よこせ」

「一割でいいのですか?」

「私の一生涯だがな」

「それでも格安ですね」

「そうだろう」

「では、後ほど書類を作らせて貰います」


 二言(にごん)がある前に、ソランは畳み掛けた。ディーが再び笑いだす。ソランは平然と、イアルよろしくね、と流し目をくれた。


「仰せのままに」


 どこかがっくりときた様子で了解の意を示す。


「細かいことも詰めたいので、あとで時間をいただけますか?」

「いやに本格的だな。わかった。契約書を作ってこい」


 殿下は苦笑気味に頷いた。




「さて、では行くか」


 医療鞄を取ってきてイアルに持たせ、殿下にディー、ソランにイアル、それに護衛騎士たちという大人数で一階に下りた。そこに他に三人の騎士が待っており、彼らも従え、王宮へと踏み入った。

 本日の予定の第一番目は、王家主催の慈善医療所の警備打ち合わせである。月に一度開かれるというあれだ。


 昨日とは違い、人の往来がある通路を行く。昨日あれほど人とすれ違わなかったのは、高位の者専用の道を通ったためだった。庭の趣も通路の作りも、立派ではあるが簡素である。目を瞠り心引かれるようなものはない。


 やがて入った一室には、女性たちの笑い声が響いていた。明るく開放的なテラスで、大きな楕円のテーブルを囲み、さっき朝食がすんだばかりな気がするのにお茶を飲んでいる。

 ソランは彼女たちを全員知っていた。細長くなった場所に王妃、ゆるやかな弧の一辺に王女、ミアーハ、そしてなぜか母リリアがおり、反対側には四名の男性もいた。若くない。祖父と同じか年上と思われる者たちだった。


「お待たせして申し訳ございません」


 王妃と王女以外は、殿下が入ってきてすぐに席から立ち上がり、敬意を示す。それへ座るようにと身振りで示し、殿下は王妃に頭を下げた。


「いいえ、どうせだからと朝食を共にしていたの。今は食後のお茶を頂いているところ。あなたがたもいかが?」

「いいえ、我々は遠慮しておきます。今日は、警備の者と、医師方のお手伝いをする者を、紹介しに参っただけですので」

「まあ。私たちにずっと上を向いてお話を聞けと? イヤだわ、あなたたち、ただでさえ大きいのですもの。首が痛くなってしまうわ」

「失礼いたしました。そういうことでしたらご一緒させていただきます」


 大変よそよそしい親子の会話だ。兄弟とは喧嘩までする仲睦まじさだったのに、どういうことだろう。

 そこでソランの思考は断ち切られた。王妃に笑いかけられたからだ。


「昨日は楽しかったですわ、ソラン殿」

「光栄でございます、陛下」

「さあ、あなたはミルフェとミアーハ嬢の間に座ってちょうだいな」


 と言われても、本来ならソランも、他の護衛と一緒に壁際に下がっているべきなのだが。殿下と目を合わせると、ごく小さく頷かれた。


「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」

「他の方々もどうぞお座りなさい。皆もっとにこやかに。王国でも一二を争う美姫たちとお話しするのですよ。しかめつらしいのは怯えてしまいますわ」


 そんななよやかな方はいらっしゃらないだろう、とソランは心の中で突っ込んだ。王妃然り、聖騎士の称号を持つ母リリアは言うに及ばず、ミアーハ嬢も父であるリングリッド将軍仕込みの剣の使い手だというし、姫は案外肝が据わっていそうだ。キャーキャー言いながらも、しっかりとゴキブリを叩き潰すタイプであろう。


 男性四人の隣に騎士三人が続けて座り、王妃の向かいに殿下、次にディー、イアル、リリア、ミアーハと続き、新しく椅子を間にいれてもらってソラン、ミルフェ姫となった。王妃は満足気に場を見回した。それから改めて三人の女性と、四人の男性、つまり宮廷医師たちを紹介した。


 リリアの紹介の段で、軍関係者は全員深く頭を下げた。彼女は先の大乱の功労者の一人である。

 王を守るために千人を殺したとも言われている。ついた二つ名は『冥界の女王の娘』。あるいは『赤き肌の守護神』。リリアの肌は籾殻を落とした麦のように白い。それが返り血で真っ赤に見えたというのだろう。

 ソランは、母自身から当時の話は聞いたことがない。彼女は、為すべきことをしただけ、自慢することは何一つない、と言うだけだった。


 続いて殿下がこちらの人員を紹介した。王妃は朗らかに笑った。


「そうです、このような者たちを求めていたのです。飢えたり病を患った者たちを迎え入れるのに、恐ろしげな男たちが立っていたら怯えさせてしまいます。彼らなら女子供も安心するでしょう」


 三人の騎士たちはそれほど厳つくなく、見目の整った者たちだった。テント内で直に護衛する者たちだという。

 そして女性陣は、それぞれの医師についてお手伝いするという。形ばかりのものではあるが、そうやって王の慈悲を示したいのだと。

 今回は発起人の王妃もそれに加わろうとし、まわりに全力で止められたという。当たり前である。それで足りなくなったお鉢がソランにまわってきたらしい。


「どうしましょう。女性方は揃いのお仕着せでも着ましょうか」

「いいですわね、母上。飾りの少ない型にして、お色は清楚な水色なんか良いのでは?」

「では早速仕立てさせましょう。ソラン殿にもね」


 ソランは危うくカップを取り落とすところだった。


「陛下、それだけはご容赦ください」

「あら、違和感ないと思うけれど」

「お願い申し上げます」

「私は見てみたいの」


 ソランは絶句した。権力者とはこういうものなのか。見てみたいの、で男に女装させるのか。だいたい、王妃はソランの事情を弁えているはずなのに。


「陛下、お戯れが過ぎます」


 今朝、自分が言われた言葉を殿下が口にした。


「でも、黒の軍服なんて不吉でイヤですよ」

「何か別の私服を着せます。それでよろしいでしょう」

「仕方ないわね。今回は諦めましょう」


 今回は? 次回があるのか?

 しかし口を挿めば藪蛇をつつきかねず、ソランは不安を抱えたまま、おとなしく口を噤んだ。 

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