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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第四章 王宮の主たち
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6 仲直り 

 館に着くと、殿下は人払いして、一人で執務室に入っていった。食事はそちらで取るという。ソランはますます気が重くなった。

 護衛たちに一礼してイアルと立ち去ろうとすると、引き止められ、大の男四人に、よってたかってかまわれ、もみくちゃにされた。曰く『おう、ちっちゃいのに気合入っているなあ』。ちっちゃいと言っても、彼らに比べればで、ソランは成人男性の平均身長を越えている。


「あの殿下をあそこまで怒らせるんだから、大したものだ」


 とアレンと名乗った熊のような彼に頭を撫でられると、ぐらぐらとしてきちんと立っていられなかった。


「まあ、俺たちにそこまでの勇気はないけどな」


 と笑われもする。


「勇気なんかじゃありません」


 と情けない顔で抗議したら、


「若いっていいよな、無謀ができるもんな」


 とまた笑われた。


「無謀…」


 とうとうソランは顔が引きつって俯いてしまった。


「気にするな。誰かが言わなきゃならなかったんだから。ソラン殿の言ったことは間違っちゃいないと思う。皆そう思っているんだ」


 ダルドと名乗った男がソランの背中を叩いた。たいした力を入れていたわけではないのだろうが、ごつくて大きな掌から繰り出されたそれは、かなりの衝撃だった。ソランは思わず咳きこんだ。


「まあ、あれだけ気に掛けていらっしゃるあんたのことだ、これっきり遠ざけることもあるまい」

「はあ。そうでしょうか」


 ソランの様子に男たちが笑った。唯一ソランと同じくらいの身長で、愛嬌のある顔をしたジョウンが声をひそめ、笑いを噛み殺しつつ話しだす。


「そうでなきゃ、将軍経由でミアーハ嬢に連絡とって、エルファリア殿下にお願い事なんかしないだろううよ。国王陛下にこのままあんたを返してもらえなかったら困ると、陛下との会談の後、エルファリア殿下との会談を入れるように、手を打ったんだ。手間隙かけて奔走してるってのに、降りてきてみれば、あんたは求婚者といちゃいちゃしているし、あのときの殿下の顔ったらなかったな」

「別にいちゃいちゃは」

「それ以上はもてない男の僻みで俺たちがあんたを苛めたくなるから言うな」


 ソランは、とりあえず了解の意で頷いてみせた。


「それから機嫌の悪いこと悪いこと。理不尽に怒る方ではないけど、なあんか、おっかなかったよな」


 皆、うんうんと頷く。


「だから、あんま、気にするな」

「はい。ありがとうございます」


 ソランは小さく笑った。


「まあ、気まずいだろうが、夜の診察にはちゃんと行けよ」


 一番物静かだと思われるレイルと名乗った男が言った。


「一度外すと、次はもっと気まずいからな」

「はい。そうします」


 ソランは一つ息をついた。それから笑顔を作り、頭を下げる。


「ありがとうございました。がんばります」

「おう、その意気、その意気」


 ソランは再びもみくちゃにされた。




 エメット婦人に、祖父に会いたい旨を連絡して欲しいと頼んでから、イアルと二人で食事をとった。視察から帰ってきてから、ソランの食事も待たされた上に、すっかり冷めたものが出されるようになった。毒見がされているのだ。

 イアルの温かい湯気を上げているスープを物欲しそうな目で見ていたら、諦めろ、と一言で切り捨てられた。


「ああ、早く領地に帰ってエイダ小母さんの料理が食べたい」


 ソランは頬杖をついてぼやいた。冷めているだけで、なんと味気なくなることか。


「おまえ、いつごろ帰れるつもりでいるんだ?」

「ええ?」


 ソランは考えをめぐらせた。剣の主は不死人に狙われるから、ソランまでこんな目にあっているのであり、それを片付けるにはまだ当分かかりそうである。というより、ひょっとしたら呪いが解けるまで駄目なのではないか?


「へたすると、一生?」

「今頃気づいたのか」


 イアルが溜息をつく。


「おまえ、もう少し緊張感を持ってくれ。おまえになにかあったら、俺がマリーに殺される」

「そこまでは」

「するに決まってんだろう! 俺と八日会わなくても平気だけど、おまえにはたっぷり抱きつくくらいなんだからな!」


 根に持っている。


「嫉妬するなよ」

「嫉妬くらいさせろ」


 あー、はいはい、と。ソランは面倒になって、行儀悪く椅子に横向きに座った。向き合ってなんて食べていられない。

 そうこうするうちに祖父がやってきて、三人はソランの部屋へと移動することにした。




 ソランが、陛下から請け負っている仕事について質問すると、祖父は彼女を抱きしめてきた。


「おまえがそう言ってくれるのを待っていたぞ」


 ソランは驚いて祖父を押しやり、その顔を見ようとした。


「上に立つ者がこの仕事を厭うておるのに、命令すれば、部下は己に誇りを持てない。そんなもののために命をかけさせることはできんからな」

「はい。今までどのくらい甘えてきたことか。お祖父様にも皆にも申し訳なかったと思っています」

「おまえが皆を心配し憂えていたことは、誰もが知っている。誰もおまえを責めてはおらんよ」


 ソランは口元を引き締めた。祖父の部下たちの優しさが身に沁みた。


「まずはおまえに全ての情報を渡そう。そしてこれからは、おまえが行く先を示しなさい。私たちはそれに従おう」

「お祖父様、私にはまだ」

「早いということはなかろうよ。遅かれ早かれ、おまえがあの領地を受け継ぐのだ。なに、心配はいらない。細々とした指示はイアルが出すし、その補佐は私がする。イアルは有能だぞ。もっと使え」


 使えって。そんな風にイアルを見たことはなかった。兄のように思っているのだ。

 でも、もう、それでは駄目なのだ。

 ソランはイアルを見た。表情を硬くしている。ソランの顔もきっとそうなのだろう。

 彼は際限なくソランを甘やかし守ってくれる。結婚しても、もっと愛する人がいても、傍で支え続けてくれる。これからもきっと。だけど、それに甘えて縋ってはいけないのだ。


 ソランは、一人で皆の前に立てなければいけない。領民たちの未来を背負い、全ての責任を負わなければいけない。わかっていたつもりだった。覚悟したつもりだった。何度もそう思ってきたというのに、それらはまだ甘かったのだと、この瞬間に知った。今のこれは、なんという孤独と重圧だろう。


 それでも、だからこそ、彼女は口角を引き上げ、笑顔を作った。まずは笑って見せよと叩き込まれた通りに。

 イアルがはっとしたように、いずまいを正した。


「頼りにしてる。頼んだよ、イアル」

「仰せのままに」


 イアルが高貴な者に対する正式な礼を返してきた。

 それは二人にとって、二度と戻ってはいけない門出だった。




「おや、鐘が鳴っているな。もうこんな時間か。殿下の許へ行かねばならんのだろう?」

「はい」

「では、今日はここまでだな。残りは時間を見繕ってイアルに教えてもらうといい」

「わかりました」


 様々なことを伝えられはしたが、最終的に、ソランは細かいことは気にしなくていいと言われた。おまえは大筋を知り、未来を紡げばよい、と。

 だが同時に、時間的にそれほど余裕がないことも知った。


 エルファリア殿下の体は、王位には耐えられない。

 しかし、ミルフェ姫が女王に立つとなれば、恐らく王配の座を狙う大領主たちは争い、内乱が起きるだろう。そして、あの姫では伴侶の傀儡となるしかない。

 そうなれば、アティス殿下が王族の地位を返上し臣従を誓ったとしても、火種である彼は、いつか必ず殺される。

 姫は結婚適齢期であり、アティス殿下の年齢から言って、誰がいつ立太子してもおかしくはない。今まさに、一触即発の状態なのだ。


 それをわかっていながら、アティス殿下は未だ踏み切ろうとしない。ありとあらゆる手を尽くして、平穏を保とうとするだけだ。エルファリア殿下の下で軍を率い、その治世を助けたいのだと言って。


「エルファリア殿下がミアーハ嬢と婚約したことで、そちらは大分落ち着いたのだよ。リングリッド将軍は、アティス殿下の後見でもいらっしゃるからな。

だが、ミルフェ姫の方は、その分活発になっている。殿下さえ亡き者にできれば、権力が転がり込んでくるのだ。権力にとりつかれた者にとっては、堪らない状況だろうよ」


 祖父はそこまで言うと、いかんいかん、と席を立った。


「殿下をお待たせしてはならん。さあ、お行き」


 共に部屋を出ようと、ソランの腕を引く。しかしソランの動きは鈍かった。

 珍しく緊張しているらしいソランの様子を見て、首を傾げると、フム、と頷いた。


「取り繕っても、殿下は見抜かれるぞ。ならば、おまえはおまえでいるしかなかろう?」


 その通りだ。それで不興を買うのは辛いが、しかたがない。甘言を使って蔑まれるよりはよほどましである。

 ソランは諦めて腰を上げ、祖父に続いた。




 廊下に出、階段の向こうを見ると護衛がいる。どうやら殿下は自室にいるようだった。

 祖父に別れを告げ、イアルを伴ってそちらへ向かう。皆にニヤリとされ、軽く会釈をすると、すぐに取り次いでくれた。その上、扉を開けてくれ、背中を押されて中に押しこまれる。


 殿下は部屋の奥にある暖炉の前のラグに座り、剣の手入れをしていた。暖炉に火は入れられていない。一番座り心地のいい敷物がそこにあるからだろう。


「ソランです。診察に参りました」

「ああ。こっちだ」

「はい」


 ソランが傍で膝をつくと、剣を脇に退け、腕を出してきた。脈を診る。心なし速い気がして、殿下の顔色と熱を確かめる。


「どこか気になられるところは」

「ない」

「お酒を召し上がられましたか?」

「少し」


 ソランはたじろいだ。殿下と目が合いっぱなしである。

 彼はいつも視線を合わせながら話す方だが、今日は先程のことがあって、ソランも心中が泡立っていた。なるべくなら目を合わせたくない。また怒らせたらと思うと怖い。だが、こちらから目をそらすのも不敬である気がして、ソランはじっと固まっていた。


 殿下はふっと視線を落とし、夜着の上から肩に掛けて羽織った軍服の上着の襟元を引いた。ガウンを羽織ればよいのに、取ってくるのが面倒だったのだろう。近侍をおかないくらい自分のことは自分でする方なのに、意外と不精なところもある。


「お寒いですか? ガウンを取って参りましょうか」

「……そうだな。頼む」


 殿下は剣の鞘に触りながら言った。ソランは立ちあがり、足を止めた。


「あの、すみません。ガウンはどこですか?」


 殿下が顔を上げた。意表をつかれた様子だった。やがて、堪えられなくなったように笑いだす。


「寝室だ。壁にかけてある」


 ソランは奥に進み、片開きの扉を開けた。それほど広い部屋ではなかった。主がいなくてもランプが数箇所に掛けられている。おかげですぐに目的のものは見つかった。

 急ぎ戻ると、まだ鞘を触り、何事か考えているようだった。


「ガウンを」


 ソランは横に膝をつき、声をかけた。


「うん」


 返事を受けて後ろにまわり、上着を取り除いて、ガウンを着せ掛けた。それからもう一度寝室に行き、ガウンのかかっていたハンガーに上着を掛けた。

 再び殿下の許へ戻ると、それでは失礼します、おやすみなさいませ、と挨拶をした。


「待て。そこへ座れ」


 ソランは戸惑ったが、言われたとおり腰を下ろした。


「陛下との謁見はどうであった」

「大変良くしてくださいました」


 殿下が心配していたのを思い起こし、そう答えた。


「遠慮はいらんぞ」

「遠慮はしていません。始終にこやかにお話しくださいました」

「そうか」


 殿下はまた剣に目をやり、触った。さっきから繰り返されるそれは、今まで見たことのない仕草であった。何事か悩んでいるのだろうか。


「なるほど」


 呟き、くっと笑う。それが酷く寂しげでソランは胸騒ぎがした。


「ミルフェのことはどう思った?」


 そのままの姿勢で尋てくる。


「お可愛らしいお方と」


 歯切れの悪い答えに、殿下が顔を傾けてソランを見た。頬杖をつく。


「遠慮はいらんと言ったが」

「……すみません。少々苦手です」


 ソランは、罪悪感と申し訳なさに身を強張らせて言った。


「苦手?」

「なんというのか、一度お手をとったら、二度と離してもらえないような」


 聞いた途端、くっくっくっく、と笑い始める。


「わかるぞ。狐や狼の化けた何かに思えるだろう? 外見を可愛らしく装っている分、余計に不気味なのだ」


 正鵠を射た表現だった。可愛らしく邪気はないのはわかるのだが、正体が知れないのだった。


「まあ、あれはあれで慣れれば可愛いぞ」

「はあ」


 慣れるほどお付き合いしたくありません。との言葉は飲み込んだ。

 ソランは未だかつて女性に嫌われたことがない。むしろ熱烈に愛してもらえるタイプだ。ソランもまた、そんな彼女たちにフェミニストぶりを発揮してきた。

 それは自分が女性らしくないというコンプレックスの裏返しでもあったのだが、とにかくソランは可愛かったり女性らしかったりする彼女らが大好きであった。

 女性に対して苦手だなどと思うのが初めてで、実はかなり困惑していた。


「だが、婚約者がいるのだったか?」


 からかうような口調だった。


「いいえ、彼女は違います」


 忙しい合間を縫って気を遣ってもらったのに、ソランがマリーと抱き合っているのを見て不機嫌になられたと言っていたのを思い出し、早口に言い返す。


「それにしては随分熱烈だったが?」


 口元は笑っているが、目が笑っていない。たぶん、怒っている。


「彼女は幼馴染です。それに」


 自分の言おうとしたことに気づき、咄嗟に口を噤んだ。だが、その失態を殿下が見逃してくれるわけがなかった。


「それに?」


 強い口調に押されて、ソランはかなり逡巡した挙句、しかたなく告白をした。


「彼女は既婚者です」

「は?」

「だから、結婚してるんです、別の男性と」

「ディーは恋敵だと言っていたが」

「親友ですから、心配してくれたんです」



 殿下は噴き出し、ついで大笑いした。


「あの、殿下、このことは他の人には内密に願います」


 腹を押さえて苦しげに笑う殿下に、頼み込む。


「わかった」


 笑いの発作の合間から、言葉が切れ切れに搾り出される。


「それはさぞ心配であろう。このことは黙っておこう」

「ありがとうございます」


 殿下にばれてしまったのは最早しかたがない。他に知れなければ良しとしよう。それに、殿下との間にあった気まずさもなくなった。

 ソランもやっと、安堵の微笑を浮かべたのだった。

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