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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第四章 王宮の主たち
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3 国王夫妻

 殿下は三時近くにどこからか現れて、不機嫌に侍従と言葉を交わすと、許可を出した。


「行ってまいります」

「ああ。気をつけてな」


 不機嫌なままの殿下に挨拶をし、侍従の後に続いた。建物を出ると、赤い制服に身を包んだ近衛兵が四人控えており、イアルと二人、前後左右を囲まれた。

 護衛というより、どうしても気分は連行だった。栄誉に胸が躍るのではなく、ただただ気が重い。


 だいたい自分は国王陛下がわざわざ時間を空けてまで会うほどの人物ではない、としかソランは思えなかった。

 殿下も言っていたではないか。道を歩いていたら犬に噛まれたようなものだと。あの剣を抜くのは、実はその程度のことなのだ。

 運が良かったのではなく、おそらく運が悪いのだろう。ということは運の悪さでは恐れ多くも殿下と一、二を争うということになるのだろうが、自分にはそれくらいしか特筆できる取り柄はない。

 剣の腕は母に及ばず、医術についてもまだ師匠に師事しており、領主代行業務もギルバートに補佐してもらい、今だとてイアルに助けてもらっている。美貌では祖母、賢さでは弟、面の皮の厚さでは父、可愛らしさと家事全般ではマリーにどうにもかなわない。そして、祖父には掌の上で踊らされている有様だ。それに殿下。

 思い上がろうにも、ソランのまわりには秀でた者が多すぎた。


 それでもソランが卑屈とは縁遠くいられたのは、彼らに愛され、大事にされてきたからだろう。彼女には、彼らに愛される自分が卑下するべき対象とは思えなかった。

 人間にはできることもあればできないこともある。お互いに足りないものを補い合って繋がっているのだ。愛する彼らが尊いように、自分が自分であることが尊いと、ソランにはわかっていた。


 軍の敷地を出、回廊に入る。実用一辺倒の造りだ。だが、導かれ、角を曲がり、奥に踏み入ったある時点から、柔らかで華やかな趣が加わっていった。

 かなり歩いたところで回廊をはずれ、庭に出た。今度は敷石に沿って歩く。黄や赤に彩られた木々と、冬を迎える前に咲く最後の花々がそこかしこで揺れ、小川や池、瀟洒な東屋が配されていた。手入れは行き届いていたが、技巧めいた感じはなかった。素朴さがあり、また古びた荘厳さがあった。

 やがて敷石は、赤茶けた暖かい色調の石で造られた建物へと近づいていった。そこをぐるりと回りこみ、建物の角を曲がると、内庭になるのだろう、日当たりの良い場所にテーブルが設けられ、お茶の用意がされていた。


 そこに華麗な衣装を纏った一組の男女がいた。男性はごくごく平凡な容姿であり、女性も美しくはあったが、それはただ垢抜けているせいだろうと思われた。

 殿下の容貌とは、どちらも似ていなかった。髪の色さえも。だが、人を圧する雰囲気に、陛下夫妻であろうと知れた。

 ソランはかなり離れた場所で止まり、礼の姿勢をとったまま声がかかるのを待った。

 陛下は人払いをし、イアルも近衛と共に下げられてしまった。


「良く来た、ソラン殿」

「拝謁の栄誉に与り恐悦至極にございます」


 ソランは膝をつき、さらに深々と腰を折った。


「畏まらないでおくれ。今日は古くからの友人たちの娘であり、孫娘でもあるそなたを招いたのだ。さあ、頭をあげて。こちらへ来て、ここへお掛けなさい」


 娘や孫娘と言われてギクリとした。とっさに、女だとバレたと思ったためだ。が、陛下が知らないわけがないと思い返した。元々自分は陛下の要請によって来たのだ。第二王子を王太子につくように説得せよと。それを忘れていたなんてどうかしている。

 ソランは立ちあがり、姿勢を正した。


「さあ、こちらへどうぞ」


 王妃が微笑みながら手招きした。


「お言葉に甘えて、失礼させていただきます」


 ソランは指し示された席についた。




 両陛下はしばらく黙ってソランを見ていた。まともに視線をかち合わせては不敬となるので、ソランはテーブルに視線を落としていた。


「視察に同行したそうだね。アティスをよく守ってくれたと聞いた。礼を言うよ」

「とんでもないことでございます。少しでもお役に立てたのでしたら、望外の喜びでございます」


 茶器が小さく音をたてた。王妃が立ってやってきて、手ずからカップをソランの前に置いた。


「どうぞ召しあがれ。今日はゆっくりしていってくださいな」

「ありがとうございます」


 礼を言って見上げると、王妃が微笑んでいた。ソランも反射的に微笑み返す。二人が気遣ってくれているのがよくわかった。

 王妃はそのままそこに立ち、話を続けた。


「本当に、よく守ってくれたと思っているのですよ。あの子は矢が苦手ですから」

「そうなのですか?」


 ソランはわずかに首を傾げた。殿下は危うげなく矢を払っているように見えた。


「幼い頃は恐怖に身が固まって、動けなくなってしまったものなのです。ずいぶんリングリッド将軍にしごかれたようですけれど」


 王妃は、ふふふ、と笑い声をたて、


「私が話したとは内緒ですよ。情けないことを教えるなと怒るでしょうから」

「情けないなんて。むしろ、勇気がおありだと思います。それほどの恐怖を克服なさったのですから」


 ソランも馬から落ちた後、長い間馬に乗れなかったことがある。それまでなんでもなくこなしていたことができなくなった時に思った。勇気があるというのは、一見恐ろしげなことに挑むことではなく、己の恐怖に打ち克つことなのだと。

 王妃は、おや、という感じで目を見開いた。ソランは立ちあがって、王妃に手をさし伸べた。求めに応じて手が出される。それを取り、恭しく口付けた。


「私は十分もてなしていただいております。身に余る栄誉にございます。どうかお座りくださいませ」


 貴公子が(いざな)うがごとく、席へと連れていく。流れるような仕草で引かれた椅子に、王妃は腰掛け、声高く笑った。


「これはこれは。噂に違わぬ貴公子ぶりだこと。貴女、今朝早くに修練場にいらっしゃらなかった?」

「はい。おりました」

「侍女たちの噂の的でしてよ」

「はあ。何かしましたでしょうか」

「しましたとも。彼女たちの心を盗んだのですわ。それで皆、今日は気もそぞろでしてよ、罪な方」


 ソランは答えようがなく、口を噤んだ。


「それに、美しい方。女性と知っていれば、男性もほうっておかないでしょう。領地に恋人がいるのではなくて? それとも先ほどの者かしら?」

「いいえ。恥ずかしながら、女性として扱われたことは一度もございません」


 ソランは本気で恥じ入って答えた。


「まあ、それは見る目のない者たちばかりだったのですね。着飾れば、どれほど美しくなることか」

「お優しいお言葉、痛み入ります」

「本気にしてないのですね。よろしいですわ。一度わたくしに任せてください。王国一の美女に仕立ててみせますわ」

「いえ、あの、背も高いですし、む、胸もございませんし」

「背はアティスより低ければ結構です。胸も腰も作るのですから、心配ありません」


 作る?

 衝撃の言葉にソランは呆然とした。もしかして、王妃の魅力的な胸も腰も作っているのだろうか。

 ソランのぶしつけな視線に王妃は艶然と微笑んだ。


「それは内緒ですわ」


 王が咳払いした。つい王妃と話しこんでしまっていた。


「まずは座られよ。今日は客人ぞ」


 ソランは一つ礼をし、自分の席に着いた。


「今度は私が質問してもよいかな?」

「もちろんでございます。なんなりと」

「では、数日を共に過ごし、アティスをどう思ったかね」


 また抽象的な質問だ。ソランはしばらく考え、口を開いた。


「殿下のこの地を守りたいというご意思に、感服いたしました」

「そう。あの子は身を挺しても、この国を守りたいと思っておる。ならばなぜ、王位につき、その願いを叶えようとせんのか。そなたはどう見る?」


 王は、この国、と言った。ソランはそれを耳にした時、違う、と思った。殿下は、この地、を守りたいのだ。この地。地上。神々が残したもうた、天の下すべてを。そこに生きるものたちに平穏を与えたいと思っている。

 それに考え至ったとき、再び心が震えた。エニュー砦の物見台で、殿下の横顔に見入った時と同じに。それほどの思いだったからこそ、ソランは願わずにいられなかったのだ。あの方の盾となり剣となりたいと。

 ソランは無意識に表情を消し、顔を俯けた。


「恐れながら、殿下はこの国を欲してはおられないかと」

「その通りだ。富も権力も力も欲さぬ。およそこの世で手に入る栄耀栄華のすべてに興味を示さぬ。どんな美姫でさえ、その心を捕らえられはしなかった。では、何ならあれの心に適うというのだ」

「ただ、この地の平和を」


 自分が殿下の何を知っているのだと思いながら、なぜか確信を持って答えていた。


「それだけだというのか?」

「申し訳ございません。私にはそれ以上はわかりかねます」

「ふむ」


 沈黙が落ちた。やがてまた王が口を開いた。


「代々の剣の主は、どの方も皆、名君と称えられる方々であった。だが、例外なく短命であられた。あれを見ていると、その理由がわかる気がするのだ。他の何も望まず、ただ身を投げ打つようにして生きている。生き急ぐのも過ぎれば、それは死に急ぐのと同じだ」

「そうはさせません」


 何かに突き動かされ、ソランは言っていた。答えを求められてもいないのに口を挿んでしまった。はっとして、出すぎたことを、と謝罪を口にする。


「いいや。よくぞ言ってくれた。我らもこれで安心できる。面を上げておくれ」


 王の求めに応じて真っ直ぐに見返した。


「どうか、あれの傍を離れず、支えとなってやってくれ」

「殿下がお傍に置いてくださる限りは」


 いや、離れても。力の及ぶ限り、殿下のために尽くさずにはいられないだろう。

 祖父に会ったら、まず、今まで聞こうとしなかった、陛下から請け負っている仕事について詳しく教えてもらわねばならない、と思った。あれほど厭わしく思っていたのに、今のソランは、それを必要としていた。

 ソランは奥歯をかみ締めた。己の判断一つで領民の命を危険にさらす。だが、どうしても為さねばならぬことがある。領民たちは喜んで命を差し出してくれるだろう。

 愛しく、己の命より大事に思っている者たちがこの手から零れてしまうとしても、ソランは覚悟を決めねばならなかった。今の祖父のように。すべての責を負う覚悟を。


「我が魂にかけて、殿下をお守りいたします」


 ソランは他の誰にでも、何にでもなく、己に誓った。

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