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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第四章 王宮の主たち
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1 王宮からの使者

 起きたのは日がまだ上がる前だった。ソランは起き上がって雨戸を開け、外の様子を確かめた。うっすらと明るくなってきている。小鳥の囀りも活発だ。もうすぐ朝日が昇るだろう。

 寝台脇の水差しの水を盥に移し、顔を洗った。口も漱ぐ。窓から顔を出して誰も下にいないのを確認すると、外に水を捨てた。それから外の空気を胸いっぱいに吸った。夜明け時のしっとりしたいい匂いがした。

 着替えてから、いつも通りにハレイ山脈に向かって跪き、女神に祈りを捧げる。


「今日の一日が与えられたことに感謝いたします」


 殿下にとっても無事な一日となりますように。心の中で付け加えた。


 昨日の昼過ぎに一行は王都に到着した。別働隊の者たちと旅程をともにしたから、三十人ほどになる大所帯だった。結局襲撃者は四グループにものぼり、そちらは残りの別働隊が、怪我の様子を見て動かせるようになった者から連れてくるということだ。


 今日は一日ゆっくりせよと、休みをもらってある。そうは言っても、起きてしまえば、もう眠れない。それに朝一番は、やはり体を動かしたい。領地では水汲みと神殿の掃除をしていたのだ。一働きしてから食事。田舎の暮らしはそれが当然だった。

 着替えを済ませると隣の部屋に行き、ドアを控えめにノックした。


「もう少し待ってろ」


 決して一人にはなるなと、祖父からも殿下からも念を押されている。イアルが寝ていたら部屋に戻ろうかと思ったが、返事があったので、脇の壁によりかかって待った。

 いくばくもなくイアルが出てきた。隙のない身支度だったが、欠伸をしている。


「飯にはまだ早いだろう?」

「わかってるよ。少し体を動かしたくて。修練場でも行かないか?」

「はいはい。どこへなりとお供いたしましょう」


 おどけたように言われ、どうぞ、と手でうながされた。

 ソランたちは四階入り口の衛兵とエメット婦人と局入り口の衛兵に、会うごとに朝の挨拶をし、行き先を告げ、修練場へ向かった。




 早朝である。さすがに誰もいない。練習用の剣があると聞いていたが、どこにあるのかも、勝手に使って良いのかもわからなかった。


「まあ、いいだろ。型合わせだけでも」

「そうだね」


 二人は上着を脱いで体をほぐすと、寝るときすら肌身離さず持ち歩いている愛剣を抜いた。イアルのものの方がやや幅広であるが、よく似た剣だった。領内のご隠居、クレイン爺さんが鍛えた物だ。

 鍛冶の腕で大陸中を旅して周り、十数年前、隠居するために領内に戻ってきた。剣を持ち振るうことを許された三歳の頃から、ソランの使うものはすべて爺さんが(あつら)えてくれた。

 彼女は知らなかったが、放浪の鍛冶師クレインの名は今では伝説となっており、彼の手による業物は高値で取引されていた。


 細身の剣より重いだけあって、両手で扱う。衝いたり斬ったりもするが、基本的に殴り倒すための武器である。それなりの使い手になれば、革の武具どころか鎖帷子ぐらい切り裂くことができる。極めれば鎧兜も頭蓋ごと断ち割るというから、破壊力のある物だった。


 二人は正眼に構え、右に剣先を開いた。ソランが斬りこみ役で始める。はじめはゆっくりと、だがだんだん速く激しく振るい、刃先の合う回数も増えていく。ただし型であるから、触れ合うだけで、それほど耳障りな音はしない。むしろそれがリズムを生み出し、二人の流麗な(たい)(さば)きも相まって、剣舞をしているように見えた。


 一通りを終え、汗を拭う。息が整ってきたところで、今度は攻守を入れ替えた。

 ところが、ソランが紙一重で避けたり受け止めたりする度に、悲鳴があがるようになった。下働きの娘なのか侍女なのか女官なのかわからないが、渡り廊下とその向こうの建物の窓から、女性たちが鈴なりになって見物している。いや、もちろん男性もいたのだが、少数だった。

 イアルが途中で二歩下がり、剣を引いた。確かにソランも興がのらない。気が散っていると危険でもある。


「わかった。帰ろう」


 それから、あたりを見回した。手を振ってくる女性までいる。ソランは苦笑して、貴公子が貴婦人にするように、大仰な身振りで挨拶をした。途中で失礼します、という意味だった。きゃーっと歓声があがる。


「行こうか」


 いつものことなので、それ以上特に気にした様子もないソランに、イアルは顔が引き攣っていた。だからどうして、そこで愛想を振り撒くのか。ディーだけならまだしも、他の女を近づけたりしたら、マリーに殺される。


「この天然女たらしが」


 イアルは密かに口の中で呟いた。




 局内に戻ると、エメット婦人に出迎えられ、ようございました、と安堵の息をつかれた。


「呼びに人を出そうかと思っていたところでございます。実は、王宮からお使いの方がいらっしゃっています。アティス様と客間でお待ちです」

「そうですか。このまますぐに行ったほうがいいですか?」


 汗まみれである。


「ええ。お早く」


 ソランは足早に客間に向かった。そこには、腕を組んで椅子に座る殿下と、立ったままの綺麗なお小姓がいた。


「お待たせいたしました」

「ソラン・ファレノ様でございますね?」


 きらっきらの笑顔で金髪碧眼のお人形が喋る。


「お会いできて光栄の至りでございます。わたくし、国王陛下の侍従でクライブ・エニシダと申します。以後お見知りおきくださいませ」


 優雅に礼をする。どれもが大袈裟で、ソランはそれだけで今すぐ部屋を出て行きたくなった。殿下の真面目くさったように見えて、その実むっつりと不機嫌なだけに思える鉄壁の無表情も、それに拍車をかける。


「国王陛下におかれましては、ファレノ様に拝謁の栄誉をお与えくださるとのことでございます」


 拒否の権利はない。辞退の権利もない。国王に呼び出されれば、領主一族たるもの、病だろうが、墓場に入っていようが、御前に馳せ参じなければならない。ありがたくなくても礼も言わねばならない。


「望外の喜びでございます」

「なお、ファレノ様お一人で参られるようにとのことでございます」

「許可できぬ」


 低い声で殿下が言った。侍従は殿下に向き直った。


「護衛を連れてお迎えにあがります。身の安全は保障いたします」

「イアル・ランバートを護衛につける。それから四時までには返せ」

「わたくしではお約束できません」

「ならば、我が部下を連れ出すことは許可できぬ。そう陛下に伝えよ」

「承りました」


 侍従はまたソランに体を向けた。


「三時ごろお迎えにあがります」

「はい」

「では、また後ほど。失礼いたします」


 侍従は礼儀正しく殿下にも挨拶すると出ていった。


「いったいどのようなお話なのでしょう?」

「剣の主を見たいのだろう。……たぶんな」


 向かいに座れと顎で示された。

 殿下にじろりと見られる。やはり不機嫌だ。かと思うと、疲れたように溜息をついた。


「おまえは、じっとしていることができないのか」

「外に出てはいけなかったですか?」

「そうは言っておらぬ。疲れはとれたのか」

「はい、すっかり。あ、診察させてもらってもよいですか?」


 椅子から立ち、傍に行って片膝を床につくと、腕を出された。それをとって脈を見、手を伸ばして首筋に触れて熱を確かめる。顔色や白目を観察し、喉の奥も見せてもらう。


「どこか気になることはございますか?」

「ない。大丈夫だ」

「そうですか。失礼しました」


 いつものように無遠慮に触れたことに謝罪し、俯いて立ちあがろうとした。と、先ほどまで握っていた殿下の左手が動き、二の腕を上から押さえられる。何事かと顔を上げた。戸惑うほど近くで、透明感があるのに深い色合いの緑の瞳が覗き込んでいた。


「もしやとは思うが、たとえ……」


 そう言ったまま、黙ってしまう。瞳が迷いに揺れているのが見て取れた。そこになぜか痛みを感じて、ソランは心臓がどきりとなった。


「……いや。国王陛下も王妃陛下も、人を惑わすのがお好きな方々だ。何を言われても、どんな態度をとられても、惑わされるな。おまえは私の部下だ。それに自信を持て」

「はい。ありがとうございます」


 意地の悪い方法で試されたりするのだろうか。それもかなりへこみそうなやり方で。そう推察しながら、ソランは嬉しくて大きく笑った。

 私の部下だと言ってくださった。自信を持てと言ってくださった。それは本当に大きな励みになった。

 殿下がつられて微笑む。それでよいと、触れていた場所を軽く叩かれた。

 エメット婦人が現れて、殿下に毒見が終わったと告げた。


「では、行くか。また冷たい食事の始まりだ」


 少々うんざりしたように言って、殿下は席を立った。

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