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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第三章 大河サラン視察
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6 道を歩いていたら犬に噛まれたようなもの

 寝小屋に着いて、ソランはまずケインの状態を見た。大丈夫だと言っていたが、心配だったのだ。逃げられないようにイアルに羽交い絞めにさせ、髪の中に手をつっこみ、ぎゅうぎゅうと押す。


「わ、なにするんですか!」

「本当に頭を打ってませんよね」

「本当ですって! ちゃんと受身もとりました。これでも領主の息子です。ちゃんと身についています」


 異常はないようだった。あの状況で、とりあえず自分の剣を殿下に渡すために走り寄ったというから、骨折も心配はないだろう。


「失礼しました」

「いえ。ああ、でも、びっくりした」


 ケインは組紐を解き、手櫛で髪を整えながら苦笑した。

 幸い矢に当たった者もいなかった。鏃に毒が塗ってあったから、当たれば大事(おおごと)だった。ケインの馬は毒のせいで立ちあがることもままならなくなり、結局殺すしかなかったのだ。


 ディーが暖炉に火をおこし、食事の用意をはじめた。ケインもそれを手伝う。イアルとベイルで土間の隅の井戸から水を汲みあげ、キーツとソラン、それに殿下も混ざって馬から荷物を降ろし、鞍をはずした。飼葉も与える。


 自分たちの作業が終わると、殿下は板間の端に腰掛け、ソランにも隣に座るようにうながした。キーツは馬たちに水をやっている、イアルとベイルに加わりに行った。

 また説教だろうか。ソランは少し緊張して姿勢良く座った。頭ごなしに怒られることがなくとも、説教されて楽しい人間はいないだろう。


「抜いてみろ」


 殿下は佩剣を鞘ごとはずし、ソランの目の前に突き出した。


「は? はい」


 受け取り、柄に手をかける。少し力を込めると、くっという手ごたえとともに鞘がはずれ、数センチ刀身が姿を現した。もっと抜いた方が良いのだろうか。ソランは殿下に視線を向けた。


「もうよい」


 再び手を出されたので、剣を鞘に納めなおし、殿下に返した。


「よい剣ですね」


 ソランは妙な雰囲気を払うように言ってみた。


「バランスがとても良くて振るいやすかったです」


 あの時、渡されたおかげで剣を振り子のように使い、体を楽に起きあがらせることができた。でなければ、盾どころかただの的になっていたかもしれない。叱られて当然である。ソランは今更ながら反省した。

 因縁持ちだと噂されるそれは、あっけないほど普通の剣だった。どうりで殿下が常時佩いておられるわけだと思う。ただ、非常にバランスが良いことは確かだった。刃先ばかり重くても扱いにくいし、柄に重心があれば体重をのせにくい。そういった意味では名剣の第一条件は備えていた。切れ味などは試してないので何とも言えないのだが。


「そうなのだ。とても扱いやすい剣なのだ。おまえ以外、信じてはくれぬがな」


 重い声に、ふと、家族と食事した時のことを思い出す。父と母は儀式に立ち会ったと言っていなかったか。そして、殿下以外には抜けないことを確かめたと。

 嫌な予感に腰を浮かし、少し殿下から離れた。


「なぜ離れる」


 不機嫌に睨まれた。


「私などがお傍にいるのは恐れ多く……」


「見え透いた嘘は言うな」

「すみません」

「思い当たったのだろう?」

「それこそ恐れ多いです。私は普通の人間です」

「私もそうだが」


 間髪入れず返された言葉に、あ、と驚く。次期王位継承者に推され、強面の彼らを指揮し、国の安泰のために常に手を尽くそうとしているこの人も、人の子だったのだと。悩みもあり、迷いもあるのだろうと、改めて気づく。そうだった。情の深い方だと知っていたのに、そこまで思い至らなかった。


「私の言うことは聞かぬくせに、何を今さら驚いている。おまえも私の肩書きに踊らされていたか?」

「まさか。肩書きに相応しいご意思をお持ちだと」


 殿下は喉の奥で小さく笑い声をたてた。


「意思だけか」

「努力もなされておいでのようで……、それ以上問い詰めないでください。まだ、三日と少ししか知らないのです」

「そうか。三日と少しか」


 そしてまた笑った。ソランもつられて口元がゆるむ。

 襲撃からこっち、ずっと張りつめていたものがほどけ、やっと自由に息ができた気がした。自分がそれほどガチガチだったとも、笑って初めて知った。狙われた当の本人なのに、屈託なく笑えるこの方には、とてもかなわないと思う。


「少しはこの剣について知っておるのだな? 何を知っている?」


 祖父に聞いたことを掻い摘んで話す。


「そうだ。私たちはどちらがどちらなのだろうな」


 ソランはその言葉に首を傾げた。


「どちら?」

「ああ。一人目の主と、それに剣を譲られた二人目の主だ」

「条件に合った者が何人も選ばれるのではないのですか?」


 祖父の話しぶりではそう感じたのだが。


「さあ。そうかもしれぬがな。ラエティアの鍛えた剣だと伝えられているからな」


 ラエティアは鍛冶の神だ。かの神は神々の佩剣を造りたもうた。それぞれの神を主とし、他神には絶対に抜かせぬ気高い剣を。


「疑っているな。私もそうだが。道を歩いていたら犬に噛まれたようなものだからな。まあ、いい。ディー、ちょっと来い」


 忙しそうな彼を呼びつけ、両手を出せと催促した。そこに剣を置き、ちょっと待ってください、との懇願も受け付けず、手を離す。途端に、ゴッとすごい音を立てて、彼の手を下敷きにして板間に落っこちた。


「痛! 酷いです! 重いです! 見てないで、どけてください!」

「からかってますね?」


 迫真の演技だ。


「俺の指先を見てくれ! 赤黒いだろうが!」


 本当だった。血が行き渡っていない。


「へえ」

「へえ、じゃなくて!」

「おまえはうるさい。静かにしろ」


 殿下は右手の人差し指で自分の耳を片方塞ぎ、左手で剣を掴み取った。


「横暴上司!」

「おまえにだけな」

「うわあああ、酷すぎる……!!」


 ディーはソランに取り縋って泣くふりをした。


「どさくさにまぎれて何をしている」


 殿下は柄でディーを小突いた。ぱっと手が離れ、両手で頭を押さえる。いつか見た光景だ。殿下は興味を失ったように彼から視線をそらし、小屋内を見渡した。


「わかっておろうが、このことは他言無用だ。また、ソランの警護も命じる。よいな」

「御意」


 五人から即座に拝命の応答があった。


「おまえは私から離れるな。くれぐれも、さきほどのような無茶はするな」


 傍にいるのはいいが、無茶はしようと思ってしているわけではない。咄嗟に返事ができず、目が泳いだ。


「ソラン。おまえが無茶をすれば、まわりの者が危険にさらされる。それを肝に銘じよ」

「はい」


 もっともな話に、ソランはおとなしく頷いた。




 話が終わって一息ついた頃、イドリックたちが到着した。別働隊の者たちは襲撃者を送り届け、用意してあった温かい食事をかきこむように腹に収めると、すぐに任務に戻っていった。

 暖炉前の一等地に怪我人を運びこみ、ソランとイアルが傍についた。痛み止めを煎じ、あらためて飲ませる。

 襲撃者たちは武器を取り上げられ、お互いを縄で繋がれ、土間に一塊にして置かれた。 

 イドリックが土間に跪き、頭をこすりつけるようにして殿下に謝罪した。彼は決して板間に上がってこようとはしなかった。


「我が部族の者がかような不始末を起こし、誠に申し訳ございません。殿下のお命を狙うなどあってはならないこと。いかような処罰を下されようと従います。ただ、これは我が部族の本意にございません。これらと、私の不徳の致すところです。どうか、領地におります部族の者たちは、ご寛恕いただけますようお願い申し上げます」

「おまえの企んだことか」

「まさかっ」


 悲鳴のように答え、頭を上げようとして止まり、再び下げた。


「滅相もございません。我が命、我が部族、すべて殿下に救っていただいたものでございます。そのご恩を忘れたことは一時(ひととき)たりともございません」

「ならば頭をあげよ」


 そう言われれば体を起こすしかない。しかし顔は伏せたままだった。きつく歯を喰いしばっているのが見てとれる。


「おまえを疑ってはおらぬ。おまえの部族もだ。おまえたちは私によく仕えてくれている。おまえたちまで処罰しようとは思わぬ。ただ、それらは別だ。厳正に裁かれることとなろう」

「は。ご高配ありがとうございます」


 殿下は表情を消し、礼を言う彼をじっと見つめた。誰もが黙ったまま、見て見ぬふりをするしかない。


「それ以上そこにおれば、叛意ありと見なす。おまえはこちらへ来い」

「は。ですが」

「先ほどの言葉は嘘か。疚しくなければ、我が配下として胸を張っていよ」

「はい」


 頭を下げて、しばらく動かなかった。いや、動けなかったのだろう。やがて意を決したように板間に上がってきた。


「ディー、確かおまえはエランサ語ができたな」

「はい」


 エランサ語は、陸橋を渡った先に広がる西大陸の共通語だ。あちらは小王国が乱立し、乱れて荒れていると噂されている。


「戻ったら、取調べはおまえに任せる。手引きした者の詮索はもちろんだが、近年あちらの情報は手に入れにくい。最大限聞き出せ。また、こ奴らの使い道があるようなら、その可能性も考慮に入れよ。ソラン」


 突然声をかけられ、内心驚きながら背筋を伸ばし、返事をする。


「死なれては詮議もできん。診察せよ」

「はい」


 立ち上がろうとしたら、ディーに袖を引かれた。暖炉にもう一つ鍋がかかっていて、その中身を見せられる。どろどろの粥だ。これをやれということらしい。

 ソランは土間に降り、彼らへと近づいた。どんよりとした目で見上げられる。手を伸ばし触れても、反応らしい反応を示さない。彼らは酷く痩せていて、寒さと疲労と空腹で顔は土気色をしていた。あれだけ動けたのが不思議なほどだった。土間は冷える。このまま置いておけば、朝には骸になっているかもしれない。


「殿下、彼らには食べ物と暖かい寝床が必要です。与えても良いでしょうか」

「おまえに任せる。ディー、都合してやれ」


 ソランは彼らを安心させるために微笑んでみせた。彼らがやっと瞬きをした。一人を引っ張って起こせば、繋がれているために五人全員が立つことになる。そのまま誘って、思い切って怪我人の横、つまり暖炉の近くに彼らを連れてきた。暖炉を挟んで、ちょうど一行の反対側になる。

 罪人を殿下の傍近くに上げるなんてと文句を言われたら、私の患者です、で押し通せるだろうかと心配したが、誰もが先ほどと同じで、見て見ぬふりを決めこんでくれていた。


 イアルに手伝ってもらって、手の戒めを食べるのに足りるくらい緩めてやった。それから椀に粥をよそってやって渡す。ディーが彼らに何かを話しかけた。彼らはイドリックに視線を向けた。イドリックはただ彼らを見つめていた。頷いてやることができないのだ。ディーが穏やかにもう一度話しかけると、彼らは椀に視線を落とし、おもむろに口をつけた。

 崖の上にいた一人は、こちらと行き来ができないために、そのままイオストラ砦に連れて行かれたようだ。彼が酷い扱いを受けていなければいいが、と気になった。

 ソランが見守っている間に、小屋に備え付けられた少し黴臭い毛布が持ってこられた。それを渡し、包まらせる。ソランも自分のマントの代わりに、背なから羽織った。

 そうして静かにしているうちに、体力の限界だったのだろう。五人とも気を失うように眠ってしまった。あるいは、睡眠薬が混ぜられていたのかもしれない。


 ほっと一息ついたところで、イアルに椀を手の中に押しつけられた。見れば、殿下をはじめ一行の者たちが、やっと食事にありつくところだった。粗末なごった煮だったが、空きっ腹に染み渡る。そして、ディーの調理はどうやっているのか、こういった場合に使われる材料と同じ物しか使っていないのに、たいへん旨いのだった。

 早々に食事を切り上げ、怪我人に注意を向ければ、熱が上がってきたのか息が荒くなってきていた。ソランは熱冷ましを用意しはじめた。長い夜になりそうだと思った。

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