2 思いがけない理由
しばらくぼんやりとこれからのことに思いを巡らせ、それから、ふと思い出す。
「ところで、おじい様、おかえりなさいませ」
今さらながら背筋を伸ばし、言葉を改め、その場で深く礼をした。
「うむ」
祖父は仕事柄、普段は王都の屋敷にいる。
王都からは馬で二日、かの地から見て領地は北東に位置する。そしてこれより奥に道は続いていない。あるのは万年雪に閉ざされたハレイ山脈である。
山脈を越えれば隣国のエレイアがあるのだが、この山々を踏破することはできない。国中に張り巡らされた公道は、ここから馬で一日南へ行ったセレンを起点に東へと折れ、山裾を大きくまわりこんでエレイアへと続くのだ。
ここからセレンへは一日とは言ったが、道程は延々と山道が続き、所々急な場所もあるために馬車は通れない。
また、ハレイ山脈には冥界へ通じる入り口があると言われていて、山脈の手前にある深い森から広がる小高い台地に踏み入れば、冥界の女王マイラの眷属に捕まり連れ去られてしまうのだと恐れられている。
……まあ、盗賊の本拠地に近づけばそうなるのも仕方のなかったことだろう。
そんな事情が重なり、ほんの十数年前までは、こんな場所に人が住んでいるとは思われていなかった。
とにかくここは名実ともに辺境地で、交通の便が悪い。ソランに新しい仕事を命じるためだけならば、ここのところ忙しいはずの祖父が、わざわざ戻ってくるほどのことでもない。
「他にも何かありましたか?」
祖父は、にんまりと笑った。よくぞ聞いてくれたという表情だ。
「イアルがマリーに求婚すると言うんでな、ついてきたわけだ」
「はあ、そうですか」
ソランは首を傾げた。
イアルはソランにとっては数少ない血縁者で、兄弟同然に育った仲だ。
祖父の甥、つまり母の従兄弟にあたるギルバート小父の息子で、そのギルバートは、ソランが次期領主としてあたっている領主代行の任を、補佐してくれている。
昨年まで行っていたエレイアへの留学も、イアルと共に赴いた。帰ってきてすぐに、ソランは領主代行の任にあたり、イアルは祖父の下で働くため王都に行った。
通算にして三年弱、彼はろくにマリーと顔を合わせていないし、合わせれば喧嘩しかしていなかったはずである。喧嘩するほど仲がいいとも言えるが、マリーの辛辣な口調に幼馴染以上の愛情があったかどうか、どう思い返してみても、ソランにはわからなかった。
「いや、イアルもしぶしぶでな。でもこれを逃したら次はないかもしれんから、当たって砕けろと皆に慰められてな。やる前からどうして慰められなきゃならんと、やさぐれておったぞ」
普段は隙のない彼が、食えない親父どもに弄られ、毒づいている様が容易に想像できた。
「どうしてイアルは、急にそんなことをする羽目になったんですか?」
「実は、マリーにはそろそろ王都の屋敷で働いてもらおうと思っておるんだ。そしたらエレンが、娘に気のある男と一つ屋根の下で暮らさせるのは許せんと言い張ってな。本当に嫁にする気があるのかとせまったわけだ」
マリーの母のエレンは、声も体も大きいさばさばとした女傑だ。
とうとうソランはくすくすと笑いだした。
「銀細工の綺麗な短剣を買ってたぞ。今頃、湯浴みで旅の垢を落としてめかしこんでいるだろうよ」
あっはっはと祖父も笑った。
盗賊の末裔だ。他の地では指輪や腕輪やネックレス、または髪飾りなどらしいが、ここジェナシスでは求婚の贈り物は短剣と決まっている。イアルは本気だ。
これを見逃す手はない。ソランですら思う。お祭り好きな祖父が首をつっこまないわけがない。
「おじい様も湯浴みをされては?」
澄ました顔で、するはずもないことをすすめてみる。
「見逃したらたまらん。さあ、行くぞ」
祖父は楽しげに立ち上がった。




