3 初めてのお説教
翌日、一行はエニュー砦を出、大河サランに沿って源流へと向かっていた。それはハレイ山脈に近づく旅であり、平地を抜け、じょじょに山道を辿ることになった。
ソランは朝からおとなしかった。昨日までの好奇心いっぱいの子猫のごとき多動性は鳴りをひそめ、落ち着いて穏やかで控えめであり、また行動は的確であった。一行の後詰の位置を守り、昨日のようにケインを質問攻めにしたりもしなかった。
休憩を取ることになり、ソランはイアルと馬たちに水を飲ませていた。ついでに自分も手と顔を洗った。少し襟元をゆるめ、首まわりも拭う。大きめの平たい石を見つけ、腰掛けて馬たちを見守った。
「ソラン殿」
呼び声に振り向くとケインが立っていた。
「今、お話してもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
なぜか緊張しているらしい彼に、ソランは微笑んで隣の石を示した。
「どうしました?」
「私はなにか気に障るようなことをしましたか?」
ソランは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「いいえ? 興味深いお話をたくさんしていただいて、感謝しておりますが」
「そうですか? 今日は少しもお話しされないので、何か失礼なことをしたかと思ったのですが」
「全然そんなことはありません。むしろ昨日はうるさくしてすみませんでした」
ソランは頭を下げた。
「うわ、やめてください。とんでもないです。私こそ話相手になっていただけて、とても助かりました。それに楽しかったです。ほら、私、すぐに会話が自問自答になってしまうでしょう。他の方たちだとそのまま放っておかれて、我に返った時、いたたまれなくなるんです。皆さん、興味のないことに付き合ってくださっているのは重々承知しているんですが」
ケインは気弱に笑った。
「興味はなくはないと思いますよ。ないものに時間を割く方たちじゃないでしょう」
なんと言ったらよいのか迷って黙ってしまったソランに代わって、イアルが口を挿んだ。
「ただ、自分の必要な箇所だけ聞いて、あとは聞き流しておられるだけで」
ケインは、はあ、と溜息をつくと、あはは、と自嘲気味に笑った。それを見て、イアルはしごく真面目に謝った。
「すみません、ケイン殿。慰めたつもりが、よけいに落ち込ませて。よく言われるんです。死にたくなるから慰めてくれるなって」
「はあ、そうなんですか」
イアルの告白に、ケインはなぜか少し心が浮上したようだ。
イアルは如才がないようでいて、実はそうではない。ソランは正直すぎるのだと思っている。それでマリーをどのくらい怒らせてきただろう。少し黙っていればいいのにと思う。それでも、近しい人にははっきりと思ったままを言うことをやめない。
「とにかく、よかったです。また話し相手になってください。殿下から、私の知り得る限りのことをソラン殿に教えるようにとも承っていますし」
「殿下が?」
「はい。それで二号取水施設を回ったり、エニュー砦に入ったりしたんです。あそこからは地面の起伏がよく分かるでしょう」
それは、初めて王都へ入った時、ソランが祖父に語った願いだった。取水・排水施設を見たい、王都を見晴らす場所へ行きたい。
「殿下にお礼を言ってきます! イアルと馬を見ていてもらえますか?」
「いいですよ」
ソランは殿下のもとへ走っていった。
「あのっ」
五人の視線にさらされ、そう言ったきり、ソランは言葉に詰まった。たいして息も上がってなかったが、整える振りをして姿勢を正した。
「ケイン殿に殿下にいろいろお取り計らいいただいたと聞いて。ありがとうございます」
「ついでだ。それより、ケインとは気が合わぬか?」
「いいえ。そんなことはありません。むしろ邪魔をしてしまったのではないかと心配しておりました」
「それで遠慮していたと?」
それだけではなかったが、ひとまず、はいと答えた。
「子供が遠慮などするな」
殿下は顔をしかめて言った。ソランは密かにかちんときた。今年十九歳になるというのなら、今十六歳のソランとは二つしか違わないではないか、と。
ソランは自分がもっと年下に見られているとは知らなかった。十四歳くらいの子供が英才教育をされて、背伸びをしているという自覚もなく、重役を背負わされている。そう思われていた。
殿下は自分が十三歳で初陣を飾ったことを棚に上げて、いや、だからこそ、ソランを大事に育てたいと思っていた。
「それから、決して前線には出るな。ここには子供を矢面にするような者はおらぬ。良いな」
ますますムッとするが、ソランは表情を消して冷静に答えた。それは模範的な回答だった。
「ご命令とあらば」
しかし、どことなく慇懃無礼で、殿下も不機嫌に眉を寄せる。
「子供は子供らしくしておれ」
「承知いたしました」
ソランは優雅に礼をした。どうにも腹が立ち、いてもたってもいられなかったのだが、それが仕草に磨きをかけていた。
殿下の眉間の皺がさらに深くなった。
この馬鹿な子供は、ここでしっかりと言い聞かせておかねば、また同じことを繰り返すに違いない。そう判断したのだ。
「ここに座れ」
ソランには自分の前の適当な石を指し示し、
「おまえたちは下がっていろ」
そう言って、興味津々な部下たちを遠ざけた。
「おまえ、世の子供がどんなものか、知っているか」
何が問いたいのか見当がつかなかったが、そんなもの、領地で散々世話をしてきたソランは、自信を持って答えた。
「知っております」
「では、どうしておまえはその子供たちと同じにふるまわない」
ソランの年頃といえば、成人である。まだひよっ子として扱われるとはしても、女性ならばマリーのように結婚してもおかしくない。
「ふるまっておりますが」
「どこがだ」
殿下は深い溜息をついた。
「子供とはしたいことをし、言いたいことは言い、気に入らなければ泣き喚き、人の迷惑を顧みず、己の興味の赴くままに行動するものだ」
そんな子供がいるものか。ソランは胡乱なものを見るまなざしを向けた。少なくとも領地にはいなかった。子供は子供なりに己の責任を知っているし、矜持もあるものだ。そんな馬鹿をする者は、見たことがなかった。
「それは子供ではなく幼児です。そんなまねはできません」
「我が妹は幼児か」
殿下は承諾しかねる様子で言った。
実は、殿下のまわりには、これまであまり子供がいなかった。最も身近なそれは三つ下の妹と、その友人や取り巻きの娘たちで、彼には彼女たちが、ソランに言ったそのままに見えていた。
いつも訳のわからない理屈できゃんきゃん騒ぎ、よってたかって彼を煩わす。そういうものだと。
つまり、殿下の知識は偏っていた。
ソランは口を噤んだ。不用意なことは言わないほうがいい。どう転んでも不敬なことを言ってしまいそうだった。
二人はしばし黙りこんだ。
「まあ、それはよい。だが、おまえはもう少し自由にしてよいはずだ」
自由。ソランは自由だった。好きでこうしているのだ。彼女は己の抱えているものを愛していた。だからこそ重いのだ。
「自由にしておりますが」
話が通じない。お互いそれだけは通じ合った。なんとも歯がゆい思いで見つめあった。
「おまえは」
殿下は言葉に詰まり、苛立たしげに息をついた。責めたいわけではなかった。命令するべきことでもなかった。だが、どうしてもわからせたかった。
あの抜け目のない狸親父のアーサーが、疑問すら抱かせないほどにこの子供に義務の枷をかけてしまったのなら、余計に、己を大事にせよと諭さねばならぬと思った。
殿下は昨日の出来事を思い出していた。堤防の上に立ちはだかった姿を。
「心臓が止まるかと思ったのだ」
ぽつりと呟いた。
矢でも射かけられたらどうするつもりだったのか。柄に手は添えられていた。隙のない姿だった。腕に自信もあるのだろう。それでも、危険には変わりない。
「昨日のことだ。無茶はしてくれるな。おまえの腕を疑っているわけではない。だが、おまえはまだ学ぶべきことがたくさんある。先を楽しみにしておるのだ。途中でおまえを失いたくない」
真摯な声だった。ソランは、体の中で血がざわめくのを感じた。顔が熱くなる。
「わかったな」
言い聞かせるように確認された。
「はい」
ソランはおとなしく素直に返答するほか、どうにもできない心境だった。