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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第二章 水の都 王都アティアナ
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7 医局で

 明日は、殿下、ディー、ケイン、ソランにイアル、それと騒ぎに居合わせた三人の騎士の、総勢八人で行く。

 ソランたちの愛馬も、王都正門の厩街から裏門にある軍の厩舎に連れてこられており、そちらの装備は気にしなくてよいとのこと。あとは武器類、食料、旅装など、自前の物以外は、ディーに案内してもらって、軍の備品局へ行って申請してきた。用意できしだい届けてくれるというので、思いの外時間が余った。そこで医局にも連れて行ってもらうことにした。


 軍事施設を囲む塀の一部が三階建ての長い建物になっており、そこが医局だった。都側は水路に面していて、施設側は樹木に囲まれていた。

 都民にも医療を提供しており、水路の向こうに民間の入院施設もある。診察自体は金は取らないのだが、入院費や薬代は別で、それが払えない貧しい者のために、月に一度、王家の慈善医療所が開かれるという。


 医者といえば、そのほとんどがウィシュミシアの者である。かの国では膨大な知識が集積され、国主ジェナスに忠誠を誓った者にのみ、その叡智が授けられるためだ。

 彼らは大変貴重な技術者であり、雇うにはとても高価な契約金が必要で、ソランたちのジェナシス領ではとても賄えるものではない。それだけでも王家の財力に感心しきりで、ぜひ彼らの技術を、少しでも見て盗みたいものだと、ソランは思わずにはいられなかった。


 局内の一室に通され、しばらく待たされた。窓からは紅葉が美しい庭が見えた。ソランたちの領地は山脈に近い盆地にあるので、ここより足早に秋は過ぎていってしまう。季節が戻ったような不思議な気持ちでそれらを眺めていた。

 ノックの音とともに入ってきたのは、背の低い眉まで白い老人だった。


「お待たせしました」

「突然訪問して申し訳ない。今日着任した者を引き合わせておきたいと思いまして」


 ディーが握手を求めながら説明した。


「こちらが殿下直属の軍医となったソラン・ファレノ。そちらが助手のイアル・ランバートです。こちらは医局長のカイル・アーバント殿」

「アーサーに噂はかねがね聞いておりました。ハルにもね」


 祖父に重ねて、祖母の伝手でエレイアまで赴き師事した師匠の名まで出てきて驚く。


「これからよろしくお願いいたします。まだまだ未熟者です。アーバント様にぜひお力をお貸し願いたいのです」

「もちろんですよ」


 イアルも挨拶を済ます。立ち話もなんだからと、改めてソファを勧められた。


「さて、それではお話をうかがいましょうか」

「はい。殿下の既往歴を知りたいのです。特にどんな毒が使われ、どんな治療が行われたのかを。それと、最新の毒物に対する治療法を」

「既往歴については、後ほどカルテをお見せします。毒物については、そうですね、動植物毒についてはイリス様以上の成果は上がっておりません。ただ、複合毒については、少しお教えできるものもあるかもしれません。笑えない話ですが、あんなものにも流行り廃りがありますのでね。鉱物毒については、ハルはそのためにエレイアに行っているのでしょう? むしろこちらが教えを請わねばならないのではないかと思われます」


 エレイア王国は多く金銀銅等の貴金属を産出する。そういったものを使った細工物も特産物だ。概ね裕福な国の一つであるが、風土病が蔓延している。だんだん体の自由が利かなくなり、痙攣、皮膚炎、骨折しやすくなる等、症状は全身に現れ、何より凄惨なのが酷い痛みを伴うことである。

 ソランの師匠であるハル・エイブリーは、鉱物毒の中毒者の症状と似ているのに気づき、長年に渡りかの地で調査研究を行ってきた。


「そうですか」


 ソランは落胆を隠せなかった。動植物毒のいくつかは、中和することができる。それは始祖ジェナスから代々受け継ぎ、祖母イリスから教わった、精霊族が教えてくれたという知識だ。また、鉱物毒については小人族から教わったという薬が伝えられている。炭から作る物だが、これも万能ではない。毒物を摂取してから一刻以内に服用しなければならないし、全てを除去してくれるものでもない。一命を取り留めても、廃人になってしまうことも少なくない。


 急激に効く毒は治療する間もなく命を奪う。救いは、そういったものは飲み物や食べ物に致死量を混ぜれば、匂いや味が変わってしまうことである。少量ならば、体が自ずから毒を排出するのを助けてやればよい。ただし、それによって壊された部分が養生によって元に戻るかは量と種類による。

 一方、ゆっくりと体を犯していく毒は体の中に留まり、生きている間中体を蝕み続ける。特に鉱物毒に多い。師匠ハルは、そんな推論を出していた。


 ソランは思いつき、尋ねた。


「殿下は毒に体を慣らされるようなことはされてきたのですか?」

「いや、しておられない」

「良かった。師匠は、安易に毒に体を慣らすような真似はするべきではないと言っておりました。蓄積され、蝕まれていくばかりだと」


 安堵の息をつく。


「私も薬を調合したいのですが、器具や薬草はこちらで分けていただけますか?」

「ええ。調剤部に紹介しましょう。入用のものは上限を設けず使えるように取り計らいましょう」

「ありがとうございます」


 ソランはやっと少し笑顔を見せた。殿下の命を預かる任に気負っていたし、緊張もしていた。


「ソラン殿は、怪我の治療もなさるのですか?」

「ええ。一通り習ってまいりました」

「それは……、大変でしたでしょう」

「はい」


 初めは死体の解体作業だった。吐きもしたし、悪夢にもうなされた。そうやって身につけてきた知識や技術でも、救える命はほんの少しだ。それも傷を負った手や足を切り落とした末であったりする。

 ソランにできるのは、人が生きようとする力に手を貸してやることだけだった。痛いくらいに良く知っている。命の火がいくらも残っていない体は助けられない。祖母に対してそうだったように。

 急にとてつもなく不安になった。万が一の時、自分はは殿下を助けられるのだろうか。

 ソランは視線を落とし、拳を強く握った。未だかつてこれほど不安になったことがなかった。祖母が死ぬ時でさえ、もっと冷静でいられた。己の力不足を口惜しく思っても、女神の許へ行く祖母を祝福できた。だが、殿下にもしものことがあったら。


 怖い。


「ソラン殿?」


 ソランは無表情になっていた。そのように教え込まれていたからだ。不安や苦痛や怒気は、それが大きければ大きいほど表に出してはいけないと。

 カイルに声をかけられ、暗い深淵を覗きこみかけていた精神が呼び戻される。


「……すみません。考え事をしていました」


 微笑んでみせる。これも徹底的に身につけさせられたもの。


「いえ。では、これから調剤部に行きませんか」

「はい。お願いいたします」


 皆立ち上がり、扉へ向かう。その時、他の誰も見てないところで、イアルがポンとソランの背中を叩いた。

 生まれてからこの世で一番長く共にいる彼には、隠し事ができない。時にそれは腹立たしく、そして今は、波打つ心を宥めてくれる。

 ソランはさっきよりはほぐれた微笑を浮かべてみせた。

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