6 初めての拝命
「キーツ、エメット婦人を呼んで、四階の客間を二つ開けるように頼んでくれ。新入りの私室はそちらに移す。ディーは四階に侵入することを禁ずる。衛兵にも伝えておけ」
「はっ」
返事をした細身で背の高い騎士が、ソランとイアルにニヤリと笑いかけ、ウィンクしてから踵を返して階段を下っていった。
「ディー、謝罪の機会を与えるが、どうする?」
その言葉を受け、彼は立ち上がり、いずまいを正した。
「まず、お詫び申し上げる。次期領主の任を捨てると言ったこと、真に浅慮の至り、また、貴公に対する侮辱でもあったこと、重ねて詫びる。申し訳なかった」
深々と頭を下げる。反発心を隠したままのものでなく、心底からの謝罪と感じられるものだった。何より先に、一番の気掛かりを謝ってくれたことに、ソランは好感を抱いた。
「謝罪を受け入れます。どうか頭を上げてください」
ソランから手をさし出し、握手を求める。それを両手で取って握り、ディーは弱ったなという顔をした。
「俺が言うのもなんだが、もう少し警戒心を持った方がいいと思うよ。だいたい、そんなにすぐに許すもんじゃない」
「そうですか? 貴方の謝罪は真っ直ぐで気持ちよく、私は嬉しかったのですが」
ディーは上を見上げ、盛大な溜息をついた。彼の手に力がこもった。そのままなぜか敬語で呻く。
「この手を離したくないんですが。いいですかね?」
「駄目ですね」
ソランに視線を戻し、しぶしぶ離した彼の様子に、彼女はふふっと声をあげて笑った。その笑顔に、居合わせた面々の視線が引き寄せられる。あまりにむさ苦しい日々に慣れた目にとって、それは少々毒だった。
イアルが遣る瀬無い溜息をついた。どこに行っても、いつもこうなのだ。こんな猛者ばかりの中で、トラブルの種にならなければいいがと、まわりの様子をうかがう。同じように部下を見回していた殿下と目が合い、同じことを考えているらしいのに気付いた。
「……殿下。共同風呂で、俺は理性が保てません」
ディーが据わった目で申告した。
「俺以外の奴に無遠慮に見られるのが我慢できません」
「わかった」
殿下も溜息をつき、ようやく階段を上りきったエメット婦人を手招きして近くに呼び寄せた。
「新入りの部屋を四階の客室に二つ用意してくれ。それから、二人の風呂は別になるように取り計らってもらえるか」
「承知いたしました」
誰も異論はなかった。冥界に死んだ妻を迎えに行って、いつのまにか妻と同じ死体になっていた男と同じになりたくなかったのだ。そうでなくとも、ディーという馬に蹴られれば死ぬ。誰もこれを贔屓とは思わなかった。様々な意味で殿下の判断は正しかった。
「殿下、あの」
ソランは言葉に迷った。同郷のエメット婦人が侍女頭をしているのは聞いていたので、それほど心配はしていなかったのだが、それでも風呂のことは助かった。これでこそこそしないですむ。
しかし、過大とも言われかねない殿下の心遣いに、そのままあからさまにありがとうございますと礼を言うのは、新人として口にしにくかった。
「かまわん。おまえのためだけではない。おまえこそわだかまりはないか?」
ソランの言いたいことを察して、尚且つディーの反省の見られない発言に気遣って聞いたのだが、
「はい、ありません」
ソランはケロリとして答えた。
その鈍感さを、危惧しつつも彼は羨ましく感じた。そして改めて子供なのだと思った。怖いもの知らずなのだ。大事に育てられてきたのだろう鷹揚さがある。
十代になったばかりの子供でも、背が大人並に伸びてしまう者はいる。ソランはちょうど、そんな感じに見えた。声変わりするかしないかの微妙な年頃。何しろ髭さえ生え揃っていないのだ。
殿下のまわりは特に強面が揃っていた。軍の精鋭である。ソランと同じくらいの背のディーでさえ、体の厚みや骨格は一回り違う。容姿も整った者が多かったが、いかんせん滲み出る凄みがあった。その中に入れば、ソランはまるっきり子供に見えた。
ただ、相対してみれば、幼くてもどこか敵に回したくない風格があったし、腰に下げた大剣は使い込まれている。見た目で判断すると痛い目に遭うタイプなのは、誰もが胸の内でこっそり思ったことだった。その上、この若さで次期領主に指名され、また、医術を修めているという。
性格も素直で笑顔も可愛い。将来が楽しみな、他に取られたくない人材。助手というより護衛であろうイアルは言わずもがな。こいつらを逃してはならない。満場一致の認識だった。
「ならば良い。ディー、下に二人の荷物が届いていた。おまえが運び上げておけ」
「はっ。仰せのままに」
おどけたように大仰な仕草で拝命し、駆け去っていく。
「館内を確認し終わったら事務室へ来い。場所はわかるな? 明日の打ち合わせをする。装備を揃える都合があるから、荷解きは午後にしろ」
「はい」
「では、解散。各自持ち場へ行け」
「はっ」
深く重い声に、ソランとイアルも拳を胸に当て、思わず背筋を伸ばした。それに、殿下が面白そうに表情を和らげた。