閑話 星に願いを(冬至)
天に輝く星々は、その昔、主神セルレネレスが創造したもうたものだという。
月のない晩に、真っ暗なだけだった夜空を飾り、その下で、美しいものが大好きな美の神リエンナを口説いたのだそうだ。
けれど、リエンナはにっこりと笑って言ったという。
「我らが偉大なる輝かしきあなた。今宵のあなたは、夜に輝く月のよう。満ちもすれば、姿を見せぬこともありましょう。私は、小さくとも夜毎に変わらず美しく光る、あの小さな星を愛します」
そうして星々はリエンナの祝福を受け、女神と共に、地上に灯る愛を見守る存在となったのだった。
「気がすすまん」
回廊を歩きながら、まだそんなことを言う兄に振り返り、ミルフェ姫は、キッと睨み据えた。
「ですから、説明しましたでしょう? 夜の最も長くなる冬至の日は、星々に願い事をするのに一番良い日なのです。だいたい、一番必要だと思われるお兄様がお願いしなくてどうするのですか。私、今回は今までになく力を込めて、祭壇を作ったのです。それもこれもお兄様のためです。なにがなんでもお祈りしてもらいます!」
「だからどうして、私に必要だというのだ。なあ、ソラン」
妹にニヤリと笑ってみせてから、腕を組んで隣で歩く妻のこめかみに、自然に唇を寄せた。
ソランは頬を染めて上目遣いで、人前では控えてください、と小声で抗議したが、その様子があまりに可憐だったので、夫である殿下は軽く聞き流した。ぜひまたこの顔を見たいと思ったのだ。
「……まあ、無口で無愛想なのは脱したと認めましょう。けれど、頑固でわからずやなのは変わらないではないですか。いつお義姉様に呆れられるかと、私、心配で、心配で」
ミルフェ姫は、兄の反対側から、縋りつくように義姉の手を取った。
「言ってやれ、ソラン。私の欠点など見当たらないと」
「おかしなことを言わないでください! いいのですよ、お義姉様。私が味方です。いいえ、私だけでなく、父や母やエルファリアお兄様も味方です。アティスお兄様の至らない点は、私たちで必ず直させますから、どうぞ遠慮なく仰ってください」
「え、あの、その」
左右を一歩も引かない兄弟に挟まれ、ソランは答えに窮した。
「ああ、すまない、ソラン」
アティス殿下は思い出したように言うと、妹の手を妻の手から叩き落して、妻の体を抱きこみ、ぐるりと反対側に移動させた。
「私のどこが好きかと聞いたら、どこと言えないくらい全部だと言ってくれたのは、二人だけの秘め事だったな」
とたんに、妃殿下は頭の先まで真っ赤になり、いたたまれないというように、自分の耳を両手で覆った。本当は、ミルフェ殿下を筆頭に、まわりにいる護衛たちの耳を塞いでまわりたかったのだろうが、それは無理で無駄な話だった。
恥らいきって、最早目に涙まで浮かべている。それもまた可愛らしいと、アティス殿下は満足な面持ちで、腕の中の妻を見下ろすのだった。
そうしながら、妹に苦言を呈す。
「これ以上、いったい何を望めというのだ。生涯の愛か? 永遠の愛か? 愛想を尽かされているかもしれないのに、神の力で愛する者の心を歪めて、ずっと自分に縛りつけておきたいと? そんなものに、どんな価値があるというのだ。それは、己の幸せではあっても、相手の幸せとは違うだろう。それが本当に美しいものに価値を見出すリエンナの心に適うと思うのか?」
ミルフェ姫は押し黙った。ちょうど手が届く部分のスカートを握り締め、全身を強張らせて、こちらもだんだん涙目になっていく。そして、我慢しかねたように、声を震わせ、つまらせながら弁解した。
「わ、私は、ただ、末永く、お兄様とお義姉様が、仲良く幸せでいてくれればと、思っただけで」
それに慌てたのは、兄ではなく義姉の方だった。
「ミルフェ様、お心遣いありがとうございます」
夫を押しのけ、手を伸ばして、布地に皺を作ってしまっている手を取って、柔らかく包んだ。
「私の幸せまで考えてくださって、とても嬉しいです」
「お義姉様。でも」
「大丈夫です。私はアティス様になんの不満もありません」
「それでも、私、お義姉様に酷いことをするところでした。こんな兄ですもの。いつ愛想を尽かされたっておかしくありません。なのに、お義姉様に我慢をさせようと」
「おい。不満はないと、今、聞いただろう」
アティス殿下が訂正を入れたが、二人は聞いていなかった。
「ミルフェ様、私たちが婚約した時に、お約束してくださったではないですか。そんな時は、ミルフェ様の許へ来るようにと。だから私は心強くいられるのです」
「おい、ソラン!」
何を言い出すのかと彼は慌てだした。思わず彼女の肩を抱くが、彼女は義妹と手を取り合って見つめあい、そちらに興味を払わない。
「そうでした。もちろんです。ぜひ、いらしてください。そうしたら一緒に楽しく暮らしましょうね」
「はい。ありがとうございます」
「ちょっと待て! 勝手な約束をするな!」
「お兄様、うるさいです。心が狭いにもほどがあります。それではすぐに、お義姉様に呆れられますよ」
つい今さっきまで泣きそうになっていたのに、ミルフェ姫は、つんとして生意気な口を利いた。
アティス殿下は眉間に皺を寄せ、怖い顔になって妹から妻を引き離し、腕の中に囲う。
すっかり元気を取り戻した姫は、兄にからかう視線を向けて、二人の様子を眺めた後、また少し意気消沈気味になって言った。
「そうですね。よけいなお世話でした。お二人には必要のないものでしたね」
「わかればいい」
アティス殿下は重々しく頷いた。沈黙が三人の間に落ちる。
用がないのなら、ミルフェ殿下についていく必要はない。しかし、このまま別れて帰るのは気まずかった。
「あの、ミルフェ様。私の領地では、人は神に願い事をするものではないと言われています」
ソランが静かに言った。
「まあ。そうだったのですか。では、私、よけいによくないことをするところでした」
「ああ、すみません、そういうことを言いたかったのではないのです。そのかわり、私たちは神に感謝を捧げるのです。今日の一日を与えられたことに感謝いたします、と」
「感謝?」
「はい。ですから、リエンナにも感謝を捧げたらいいと思うのです。愛する人と共に生きられる一日は、リエンナの加護あってのことでしょうから」
「ええ。ええ。そうですね。それは、たとえ離れていたとしても変わりませんわね。生きて、そこにいてくれるのなら」
ミルフェ姫は遠くにいる婚約者を思ったのだろう。遠い目をしてそう言った。
「ならば、やはり、星々が最も長く輝くこの日に、ぜひ感謝を申し上げなければ」
義姉の提案に、姫は嬉しげに頷いた。
「はい。そうしましょう! こちらです。もうすぐそこなんですよ。あの木立の向こうに用意してあるのです」
また先にたって歩き始めた妹姫のあとを、さきほどと同じように、二人は腕を組んでついていった。
アティス殿下が、ふいに尋ねる。
「愛する人か?」
ソランはちらりと目を上げた。優しい色合いの夫の視線に絡めとられて、照れるよりも幸せな気分で素直に返す。
「はい。愛する人です」
殿下は黙って彼女の唇に、触れるだけの口付けを落とした。
二人の頭上では、星々が美しく楽しげにさんざめいていた。
地上で灯された愛の灯めがけて、たくさんの祝福を降らせんとして。