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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
閑話集 四季折々
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閑話 晩夏のシルエット(ソランとマリー)

 麦の刈り入れが終わると、次の果樹の採り入れまで、少し手がすく。それにまだ日も長く、ことに夕暮れ時は、昼の暑さが嘘のように涼しい風が吹いて気持ちいい。

 だからこの時期、この時間、家の庭先にあるテーブルに女性が座って縫い物をしている姿がよく見受けられる。

 彼女たちは、誰も彼も楽しそうだ。時に小声で歌を歌っている者もいる。

 ジェナシス領は、他のどの地域より早く冬が来る。それに備えて、早めに家族の服を調えなければならないのだが、彼女たちにはそれよりも前に揃えるべきものがあった。

 収穫祭の衣裳だ。

 土地も痩せており、自然も厳しい。毎日の暮らしで手一杯で、娯楽などないに等しい。そんなここでは、春の花祭りと秋の収穫祭が、とびきりの楽しみ事なのだ。

 特に秋は女神に実りと繁栄を感謝する、春よりも重要な祭りだ。領民たちは、ここぞとばかりにめかしこむのが常である。

 それはまた、持ち寄る料理とともに、領内の女性たちの腕の見せ所でもあるのだった。




 さて、領主館の家事室にて、少女が二人、真剣な面持ちで針仕事をしていた。ソランとマリーである。

 ソランは男物の上着のボタン付け、マリーは祭りの衣裳の裾の始末をしていた。


「できた!」


 先にソランが椅子を降り、上着をかかげて、見守っていたエイダへと持っていった。

 黒い生地の全体に、色味を抑えてはいるが、それは見事な刺繍が施されている。縫製も針目が細かく、きっちりと仕立てられ、上等の仕上がりだ。

 それらはもちろん、まだ十歳でしかないソランが縫ったものではなく、領主館の家事一切を任されているエイダの手によるものだった。

 ソランがやったのは、最後の仕上げ、ボタン付けのみである。


「ソラン様、とても丈夫に付けられましたね。これならどんなに暴れても、ちょっとやそっとではボタンはとれませんよ」


 その他の繊細な出来に比べれば、頑丈一徹のボタンの有様は不釣合いであったが、エイダはにこやかに褒めた。

 ソランは嬉しそうに笑って、


「着てみていい?」


 と、祭りを待ちきれない様子で聞く。


「ええ、そうですね、仕上がりを確かめてみましょう」


 と答えが返れば、大事な上着をエイダに持っていてもらって、自分は、えいっとばかりに着ているものを脱いでしまった。それをできたばかりの上着と交換し、いそいそと袖を通す。

 ボタンを留め、きょろきょろと自分の姿を見下ろし、そっと刺繍に触れる。それから、はにかんで顔を上げ、どうかな、と小首を傾げた。

 闇色の艶やかな髪が取り巻く白い顔は、幼くはあっても秀麗で、はっと目を惹きつける。めったにはないことだが、彼女が神妙にさえしていれば、人の(ことわり)を越えた神秘的な幽玄ささえ時に感じさせるものだ。

 けれど今、深い青い瞳は生き生きとして、彼女の持つ生命の強い躍動を余すことなく伝えていた。

 さながらそれは、夜に現れ、人を道に迷わせてからかって遊ぶ、いたずら好きな夜の精霊のようだった。


「わあ。すてき! ソラン!」


 マリーが大きな声をあげた。衣裳を持ったまま椅子を飛び降りてきて、片手でソランの手を取り、目を輝かせてその姿に見入る。


「似合ってる?」

「うん。すっごくよく似合ってる!」

「マリーのは?」

「できたわ」

「着てみせて?」

「うん」


 マリーもその場で着替えて、できたばかりの衣裳を身に着けた。

 落ち着いたオレンジ色の地に、拙いながらも茶や赤や緑で刺繍が入れてある。なんとそれは、すべてマリーの手によるものだった。

 これが上手にできたら、これから仕立てるソランの服を手伝ってもいいと、エイダと約束したのだ。

 大好きなソランに自分の作った服を着てもらいたい。嬉しそうに、ありがとうって言ってもらいたい。

 マリーはそのために、寝る間も惜しんで、この衣裳を一所懸命作ったのだった。


「ああ」


 ソランは目を丸くして、感嘆の溜息をついた。


「とっても似合ってるよ。すごくかわいい」


 ソランが夜の精霊なら、マリーはオレンジ色の花の精霊だった。あたたかい色合いの髪の色や、柔らかい造作の容貌と相まって、本当に愛くるしい。

 ソランは思わず、マリーの額に、ちゅっと口付けた。

 するとマリーは、ソランにぎゅっとしがみついた。


「大好きよ、ソラン。愛してるわ!」

「うん。私も! 愛してる!」


 明るい笑い声をたてて、マリーをぎゅうぎゅう抱き締め返す。マリーの瞳には歳に似合わぬ切なさが宿っていたが、ソランはまったく屈託がなかった。

 そのうちそのまま小柄なマリーを少し持ち上げ、右に左にゆっくりと振り回し、ステップを踏みはじめる。

 マリーもソランの意図をつかんで、いちにいさん、いちにいさん、と呟きながら、足を動かしはじめた。のってきたところで、二人で目を見交わし、体を少し離して手を取り直し、大人が踊るのと同じポジションをとった。

 今度は拍子ではなく、二人で一緒にダンスの曲を歌いだす。軽い調子の楽しい曲だ。それに合わせて、たたん、たたんと軽快にステップを踏む。

 正式に習ったりはしていない。子供たちは小さい頃から、大人が踊るのを、見て覚えるのだ。

 だから、時に出鱈目だ。基本的に楽しければいいから、勝手にステップを増やすし、変えてしまう。

 この時もそうだった。二人はだんだんと足運びを複雑に速くしていった。ついでに曲調も速める。まるで、ネズミが一目散に逃げていくようなリズムだ。二人は息を切らせて歌いながら、とんでもなく複雑怪奇なステップを踏んでいた。

 そのうちとうとう曲に追いつかなくなって、二人同時に足をもつれさせる。

 あっと叫んで転げ、いたたたた、と顔を上げると、そこにお互いの顔があり、目が合って笑いだす。

 なんだかわからないけれどおかしくておかしくて、打ち付けた膝の痛みなんか、どこかへいってしまった。


「さあさあ、ダンスの練習をするなら、元の服に着替えてくださいな。祭りの前に破れたりしたら大変ですからね」

「はあい」


 きれいに揃えて返事をし、二人はくすくすと笑いながら、もう一度着替えた。




 その夕、領主館には少女たちのかわいらしい歌声が響き、射し込む夕日に長く伸びた影が、闇にとけるまでくるくると踊っていたのだった。

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