家族の絆
剣の稽古を終えた王太子ジークフリートが執務室に入っていくと、父である王はソファに腰掛け、両膝の上に弟妹を一人ずつのせていた。
三つ下のレヴァインは十歳、八つ下のマーガレットは五歳である。特にマーガレットは大はしゃぎで、握ったクッキーを父王の口の中に押し込んでいた。
「あ、兄上!」
レヴァインはジークフリートに気付いて、嬉しそうにぱっと顔を輝かせて膝の上から飛び降り、彼の許まで駆けてきた。それに笑いかけてから、ジークフリートは父王に向かって頭を下げた。
「遅くなりまして申し訳ございません、父上」
「かまわん。早く座れ。喉が渇いただろう」
父王は、ニッと人好きのする顔で笑んで、隣に座れと顎をしゃくった。手ずからポットを取り上げ、少し冷めた茶をカップに注いでくれる。
ジークフリートは弟の手を引いて、父王の隣に座った。
「剣を、またひとまわり大きいものにしたそうだな」
「はい。師からお許しが出たので」
「うわあ、本当だ、大きいですね、兄上」
レヴァインが興味津々で剣を触りたそうにする。それへ、抜いてはいけないよ、と言い添えながら、鞘ごと渡してやる。
「重いですね! これを振るってるんですか。すごいですね」
レヴァインは興奮気味に、大切に両手で捧げ持つようにして重さを量った。すると、マーガレットも興味を引かれたらしく、膝の上から滑り降りて、にじり寄ってきた。
「マギーにも、かして!」
「おまえはまだ駄目だよ。剣を持つことを許されてないだろう?」
レヴァインは彼女から剣を遠ざけ、しかつめらしく言い聞かせた。
「やだーっ、やだ、やだ、マギーもーっ。それ、ヴァイ兄様のものじゃないでしょーっ。いいよねー、ジーク兄様、マギーもさわったって!」
彼女はジークフリートの膝の上によじ登り、片手で首に抱きつき、片手はレヴァインへと伸ばした。
ジークフリートは困った。レヴァインの言うことはもっともだった。しかし、この頃のマーガレットは、やたらとまわりの者に甘えて我儘を言う。それが受け入れられないと泣き喚いて、いつまでもぐずぐずと駄々をこねるのだ。
母がいた頃は、そんなことは滅多にしなかったのだから、母の不在が淋しいのだろうと見当はつく。だから、できるものならば、他愛ない我儘は聞いてやりたかった。
だが、レヴァインもまた、意地悪を言っているのではない。母ならばきっと、レヴァインと同じ事を言ってマーガレットを諌めただろう。彼は彼なりに母のいない穴を埋めようと、一生懸命、マーガレットの面倒を見ようとしているのだった。
ジークフリートは困り果てて、剣に触ろうとするマーガレットと、触らせまいとするレヴァインを、片腕ずつで抱きしめた。二人の頭をしっかりと自分の肩口に押し付ける。
「喧嘩をしてはいけないよ。みんなで仲良く助け合わないと」
母はそう言い置いて、エランサへ親征したのだった。長兄のその言葉に、弟妹二人は母の言葉を思い出して、しょんぼりと兄にすがりついた。
そんな兄弟を、王は突然、まとめて腕で囲った。
「きゃっ、いたい!」
「痛!」
幼い二人が悲鳴をあげるのにかまわず、ぐいっと持ち上げ、三人一緒に自分の膝の上に置こうとする。
王は成人男性としてかなり長身の部類に入る方で、しかも若い頃から、戦乱の中を生き抜いてきた。子供の三人くらい、まとめて抱き上げても、どうということはない。
けれどやはり、三人いっぺんにのせるのは無理があったようで、子供たちは一度膝の間に降ろされた。
すぐに、マーガレットが持ち上げられて右の腿の付け根に座らされる。次いでその横にレヴァイン。最後に最近急に身長が伸びはじめたジークフリートが、レヴァインから返された剣を抱えたまま、一人で左側にのせられた。
王はそうして、満足そうに、三人をぎゅっと抱きしめた。
「母上がいなくて淋しいな」
そう言って、かきあつめた三つの頭の天辺に、順番にキスを落としていく。……十三にもなって父の膝の上にのせられて、微妙な顔をしているジークフリートの頭にも。
子供たちはキスされ終わると、父王を見上げた。
「おまえたちに知らせねばならぬことがある。……私は母上を迎えにいくことにした」
「お母様がかえってくるの!?」
わっと喜びの声をあげたのは、マーガレットだけだった。息子二人はその意味することに、目を見開いて沈黙した。
王は優しい表情でマーガレットを見下ろし、はしゃぎだした彼女に答えた。
「ああ。そうだ。一日でも早く帰ってこられるよう、迎えに行くのだ」
「いつと聞いてもよいですか?」
ジークフリートは控え目な質問をした。
「五日後に発つ」
「……急ですね」
「急ではない。先遣隊が発つ前から用意していたのだ。明日でもよいくらいなのだが、手続きがどうの、見栄えがこうのと、まわりがうるさくてな」
ジークフリートは父王の言葉に苦笑した。父王の高い要求を、愚痴をこぼして大騒ぎしつつも、必ず叶える臣下たちの姿が、容易に思い浮かんだからだった。
「御武運をお祈りいたします」
「うん。なんだ、おまえもいっぱしの口を利くようになったな」
王はジークフリートの頭を、小突くように撫でまわした。
「マギーも! マギーもなでて! ご、ごぶんをおいのりします!」
意味のわかってない口真似に、彼女以外の全員が笑った。
「御武運だよ、マギー」
レヴァインが隣から肘でつついて教えてやる。
「ごぶうん? ごぶうん! おいのりします!」
「よく言えた」
王は彼女の頭を撫でた。
「どうか、母上と一緒にご無事でお戻りください」
レヴァインは少し違うことを言った。それが子供たち皆の、本当の願いなのだった。
「ああ。約束する。必ず戻ってくる。……ジーク、それまで幼い二人を頼むぞ。レヴァイン、マーガレット、兄上の言うことをよく聞くのだ。よいな?」
「はい」
三人は異口同音に答えた。
「よし。では、お茶の続きだ。マギー、父上にお菓子を食べさせておくれ」
子供たちは父王の膝の上から降り、テーブルの菓子皿の上に手を伸ばした。
だが、父とこうして過ごせるのも、あと五日だけ。
手に手にお菓子を持った子供たちは、急いで父王の傍に戻り、ぴたりと身を寄せ合って、お菓子をほうばったのだった。