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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
閑話 ルティンの恋
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 クーリィとウィラーに、ウルティア将軍の部下が将軍に会わせろと、食事を摂らないと相談を受けたのは、彼らを医療所に放り込んだ翌日のことだった。おかげで、将軍の証言との付き合わせは叶わなかった。それは仕方が無い。想定内のことだ。この日の分もルティン側の情報だけをまとめ、王へと送った。

 情報網を使って日に夜を継いで届くまでに二日弱。あちらから王の代理人が来るのに三日。書面は必ず二通用意した。一通は駐屯地にいる王へ、もう一通はこちらに向かっている代理人が道中で受け取れるようにだ。たぶん、ディー・エフィルナン筆頭補佐官あたりが来るだろう。もしかしたら、王自身が出向いてくるかもしれなかった。


 欲しい情報は将軍との話でだいたい得られた。感触として信憑性も高いと思われた。それも将軍の部下たちを口説き落とせば補完できそうだと見当をつけていた。彼女は事態の鍵を握るバルトローと連携を取っていない。それをしていたのは、話を聞く限り部下の方だった。

 そこで翌朝を待って、将軍に彼らに食事をするよう説得してもらえないかと依頼した。


『それだけで良いのか?』


 訝しげに聞き返される。


『はい。小さな誤解で、せっかく取り留めた命を失うのは惜しいですから』


 少なくとも洗いざらい吐いてくれてからでないと、医療費やら、エランサ人の報復から守るために置いている警備やらの元がとれない。という本音は微塵も見せない清らかな笑顔でルティンは嘯いた。


『それが貴国の流儀なのだな』


 彼女は尋ねるというより自分に言い聞かせるように言った。エーランディアでは、そもそも一般兵の捕虜など考えられないのだろう。将軍クラスや名の知れた指揮官は虜囚とすることもあるようだが、それ以外は殺してしまうか、奴隷にすると伝え聞いている。


『聞きたいのだが、私の部下だったということで、彼らに私と同じ裁定が下されることはないと考えてよいのか?』


 ルティンを真っ直ぐに見て言うそれは、まるで自分が生き残れるとは考えていない口調だった。普通ならば、聖王の首を取ってきたのだ、客分扱いを要求してもおかしくないだろうに、そういった素振りは一切無い。

 出会ってからずっと、ルティンは彼女に死の影しか見出せなかった。むしろそれを望んでいるかのようにすら感じられる。『ウルティア将軍』としての誇り高い死を欲しているように。

 不羈の獣。初めて彼女を見た時、そう感じたことを思い出す。誇り高い野生の獣は、決して人に懐いたりしない。彼女が将軍でなくなる時は、死ぬ時なのかもしれなかった。

 そして恐らく、それがバルトローと連携を取っていない理由ではないかとルティンは推測していた。生きる気の無い人間と未来の話はできないだろう。


『もちろんです。我らは国策に従った一兵卒の行いまで裁きはしません。そうするのなら、敵対した国の民を一人残らず殺すことになるでしょう。我らはそれを望みません』


 少々誇張が過ぎたが、それが王と王妃の偽らざる思いだ。それに彼女は理解を示して頷いた。


『慈悲深いことだ』


 その呟きに感情は乗っていなかったが、どういうわけかずいぶん皮肉めいて聞こえた。だからか、いつか同じように賞賛された後に姉がこぼした、「慈悲深い、か」という自嘲の声が耳に甦った。


『そんなことは思っておりませんよ』


 ルティンはやんわりと反論した。

 あの姉のことだ、彼女に会わずに済ますとは考えられない。そう遠くないうちに、二人は顔を合わせるだろう。その時に、余計な齟齬を生じさせたくなかった。どこか似たものを持つ二人では、些細なことがお互いを傷つける刃になる予感がした。ルティンはそれを避けたかった。

 彼女は説明をうながすように瞬きをした。


『そこまで傲慢にはなれません』


 我らがしているのは、所詮人殺しだ。どんなに上辺を立派に飾り立てて見せようと。それを知っていて、なお、その道を選ぶのは、深い業だ。王にも姉にもその自覚はある。たぶん、彼女にも。そうでなければ、聖王を殺したりはしないだろう。彼女は少々強引だが、その業を断ち切ろうとしたのだ。

 彼女はどう受け止めたのか、微かに眉を顰めた。ルティンは更に言葉を重ねた。


『それが最善だと考えるからです』

『最善?』


 そう呟いた彼女は、唇の両端を均等に吊り上げた。ルティンは息を呑んだ。笑みというにふさわしい形は、けれどまるで小さい甥や姪が泣き出す瞬間に見せる表情に良く似ていた。幼い子供は時に笑っているように泣き、泣いているように笑う。

 彼女はすぐに軽い溜息とともに俯いてしまった。そのせいで、視線が外れ、表情も見えなくなった。幾許もなく顔を上げた時には、何事もなかったかのように無表情に戻っていた。


『説得にはいつ行くのだ?』

『よろしければ、すぐにでも』

『承知した』


 ルティンは座っている彼女に近付いて、手を差し伸べた。しかし、小さく横に首を振った彼女に、きっぱりと断られた。


『すまないが、ウィシュタリアの流儀に私は慣れることができないようだ』

『そうでしたか。それは重ね重ね失礼いたしました』


 ルティンは手を引っ込めた。どうやらやはり、さっきの会話で彼女の機嫌を損ねたようだ。縮められたと思っていた距離が、再びいっきに開いてしまったのを感じた。

 彼女は硬質な雰囲気を纏って立ち上がった。ルティンはその姿に目を奪われた。白い髪が色濃い肌のまわりを後光のように覆い、二色の宝玉のような瞳が鋭い光を含んでルティンを見据えている。船の指揮官室で出会ったときのように近寄りがたく、凛と立つ彼女は、冒しがたい存在感に満ちていた。

 ああ、この獣を手懐けたい。

 突然、強烈な征服欲に駆られて、ルティンは艶やかに微笑んだ。

 彼女がこの笑みから目を逸らせないのを知っていた。いつでも動きを止めて、じっと見ている。不興を買った今でも、それが変わりないのを確かめた。

 付け入る隙は、まだある。

 そう判断したルティンの笑みは、意識しなくても凄まじいばかりの色気を発して、壮絶に輝いていた。




 予告なく病室に入ったのは、単に先手必勝の法則に乗っただけだった。中に入ったところで目深に被っていたフードを除けた将軍を目にした彼らは、一斉に起き上がろうとして、一人残らず呻いて無様に崩れた。ひどい怪我をしているのだから当たり前だろう。


『将軍』


 誰からともなく口々に呼びかけた彼らを、彼女は冷ややかに見回した。


『おまえたちは、最早私の部下ではない。そう言ったはずだが?』

『将軍の命に従わなかったこと、お怒りは重々承知です。ですが』


 頬に傷のある精悍な顔付きの男が言い募ろうとするのを、彼女はよくとおる声で遮った。


『本来なら死を以って償わせるところだが、私を将軍に任じた聖王を殺した身では、その権限も無いだろう。その意味でも、おまえたちは私の部下ではないのだ。そのくらいのことはわかると思ったのだが、それもわからぬほど愚かだったか』

『我らは聖王に仕えたのではありません。将軍であろうとなかろうと、貴女に仕えたのです』


 彼女は億劫そうに目を逸らし、溜息をついた。


『私の命令を守れぬような者はいらん。この期に及んでまだ私に縋りつくつもりか。おまえたちなぞ、うんざりだ』


 辛らつな言葉に、彼らは黙り込んだ。諦めた様子はなかったが、言葉ではどうにもできないと悟ったのだろう。


『わかりました。申し訳ありません。どうしていらっしゃるか、将軍のご様子を一目なりと確かめたかったのです』


 男たちの抑えた物言いに、彼女は彼らに視線を戻した。


『二度と私に関わるな。これからは自分の面倒は自分で見るしかないと悟れ』


 言葉も無く彼女を一心に見詰める男たちそれぞれに視線をとめた後、彼女は無言で踵を返した。少し離れて後ろに立っていたルティンに、このまま行かせろとばかりに、有無を言わせぬ一瞥を投げつける。

 ルティンは彼女に向かってものやわらかに右手を伸ばした。びくりとして立ち止まった彼女の前に立ち、後ろのフードを引っ張って頭に被せる。片手ではうまくゆかず、両手を使って整えると、その両腕の中で固まってこちらを凝視している彼女に気付いて、思わず笑ってしまった。見ようによっては鋭い目つきで睨んでいるようにも見える。でも、そうでないことは、もうわかっていた。

 あんなむさくるしい男たちに囲まれていたにもかかわらず、彼女はどうやら男慣れしていないようだった。殺し合いだったらたじろがないのだろうが、ちょっとしたことで気遣われると、どうしたらいいのかわからないらしい。

 あれほど心配していた部下たちへの高飛車な態度といい、これといい、気付いてしまえば、なんと言えばいいのか、胸の奥をくすぐられるような感情を刺激される。


「ハイデッカー、部屋まで送ってさしあげろ」


 振り返ることなく、戸口に立つ奴に指示を出す。そうしながら、彼女には改めて微笑みかけた。


『お先にお戻りください。お気をつけて』


 彼女はコクリと頷いた。ルティンは、やってきたハイデッカーに彼女を引き渡した。

 彼女の足音が聞こえなくなったところで、ルティンは男たちに向き合った。


『ウルティア将軍の身柄は安全な場所で匿っています。けれど、あなた方が問題を起こせば、彼女はこうして人前に出て、危険に身を曝さなければならなくなる。彼女を守る心積もりがあるのならば、それなりの身の処し方をよく考えてください』


 これは誰だ、その顔はなんだ、どうして将軍に馴れ馴れしいのか、といった戸惑いが感じられた。それにはかまわず、ルティンはクーリィとウィラーに合図して食事を運び込ませた。


『まずは食事を。その後、この二人がバルトロー総督からのメッセージを聞きましょう』


 彼らは一様に驚いた顔をした。一人が、なぜそれを、と声を上げた。鎌をかけただけだが、どうやら引っかかったようだ。


『将軍に詳しくお話を伺いましたから』


 意識して温和にニッコリしてみせると、彼らは目を見開いて固まった。唾をごくりと飲みこむ者までいた。

 ルティンの美貌は老若男女関係なく人を惹きつける。厄介な代物だが、有効に使えばこうして便利な面もあった。初対面でも簡単に人の好意を得易いのだ。そして、かなり辛らつなことを言っても相殺されてしまうようで、反感を買いにくい。

 ハイデッカーなどのように、おまえの笑顔からは黒いものが滲み出ている、と言って鳥肌を鎮めるために両腕をさする人間は、百人に一人いるかどうかだ。


『将軍は私が責任を持ってお預かりしています。先ほどのご様子からも、心配ないことはわかってもらえたと思うのですが』


 彼らの表情が固くなり、動揺が目に現れた。ハイデッカーが昨日していたのと同じ心配をしている雰囲気だった。というより、もっと直接に危惧しているようだ。無理も無い。エーランディアでは敵国の女を殺しはしなくても手篭めにする。それが常識の者からしてみたら、そうでないことなど想像もできないだろう。

 少々親密に見えるように振舞っても、彼女は嫌がる素振りを見せなかった。あの高飛車さが標準ならば、それも恐らく驚きだろう。

 彼らには、ルティンが彼女の信頼を得ていると誤解させておきたかった。その方が、彼らの協力も得易いはずだからだ。


『ウィシュタリアこそがどこよりも将軍を守れること、努々お忘れなきようお願いします』


 ルティンは華やかな笑みとともに、脅しを、優しげに捕虜たちに伝えた。

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