4 家族会議
食事を終え、居間へ移った。イアルが呼ばれてきて、暖炉前の応接セットに六人で座る。フルーツとチーズ、それに薬草茶が用意された。
「さて、今回の件について摺り合わせをしておくべきだろう」
祖父がお茶で喉を潤し、口火を切った。
「ソラン、おまえの身分は?」
「ジェナシス領の後継者です。お祖母様の血縁者でお祖父様の養子となりました」
「そうだ。それで今日は私の娘の家族と対面した」
祖父の孫であるということはすっぽり抜け落ちているが、嘘は一つもない。実際、ソランは生まれた時から望まれた後継者だった。
母が父へ嫁ぐ条件は、第一子を後継者として差し出すこと。そしてそれを前提に、祖父は体の弱かった祖母の代わりに領主となった。
血筋でないものは神官にはなれない。だが、王権を借りれば領主という体裁が整う。新王の即位により各地の統治者が一新された時、祖父は、祖母とジェナシス領を守るため、領主の地位を願い出た。
それは、いずれ本来の統治者である血筋に、統治権を戻すまでの苦肉の策。また、そうでなければ領民も従いはしなかっただろう。
「イアル、おまえの身分は?」
「ソラン様の護衛です。アーサー様の縁故で任ぜられました。領主一族の次期頭領であり、ソラン様の後見の意味を持ちます。表向きは軍医の助手です」
ソランが薄々感じ取っていたことをはっきりと口にされ、衝撃を受ける。ソランがいなければイアルは領主となってもおかしくない立場だ。実際、その任に相応する能力も持っている。その彼がソランの補佐をするという。心強く、喜ばしく、そして重かった。
彼の人生も背負う。それを、領民たちの未来を担うと決めたときより、ずっとはっきりと実感する。
たとえ彼が、選んだのは自分で、俺の人生は俺のものだと言ったとしても。
ソランは無表情を心掛けて、自分に言い聞かせた。
うろたえるな。表に出すな。今さら、ここまできて。
「まるわかり」
ところが、隣に座るイアルに、ぼそりと言われてしまう。
「気のせいだ」
言い張る。認められるわけがなかった。上に立つものとして、それがせめてもの誠意である。
「お姉様、語るに落ちてますよ」
反対隣のルティンがポロリとこぼした。思わず見遣ると、にこっとされた。
……答えるならば、なんのことだ、とシラを切らなければならなかったのだと、ようやく気付く。
ソランはカップを取った。冷めて飲み頃のそれをがぶ飲みする。心を落ち着ける時間をかせぐために。
斜め向かいの祖父が何事もなかったように、父に尋ねた。
「ティエン殿、あなたとジェナシス領の関係は?」
「妻の故郷であるというだけで、相続権はありません」
「リリアは?」
「次期領主が指名された時から、私にも相続権はありません」
「ルティン?」
「同じくありません。ただ、それは表向きで、もしお姉様に子がないまま亡くなられるようなことがあれば、世間が継承権第二位と目しているイアル殿ではなく、私か私の子が次の領主とならざるを得ないでしょう」
邪神とも呼ばれるマイラを祀る一族。それは主神セルレネレスを祀る父だけでなく、政治の表舞台に係わるならば、伏せておくべき事柄だった。だからこそ、祖父は祖母を立てその補佐にまわることができなかったのだ。
王太子が逃げ込んだ地。そこが邪神の神殿領だなどと、知れ渡らせるわけにはいかなかった。都から近い、天然の要塞のようなそこにたまたま紛れこみ、その徳で以て盗賊を感化し、従わせ、王弟と渡りあう足がかりを得たと、世間にそう信じさせなければならなかった。
「補足はあるかね?」
「お祖父様の立ち位置を」
ルティンが問う。
「私かね? 私はジェナシス領の領主だよ。ジェナスの後継者の守護者。それから、王より宝剣の君の守護を命ぜられている」
「アティス殿下ですね? その剣が主を選ぶとは本当ですか?」
ソランの知らないことを、するりと口にする。ほんの幼い頃からそうである。彼はひけらかしはしないが、同年代の子供たちより聡く賢い。
「本当だ。私とリリアは証人として立ち会ったからね。剣の主以外は、誰も抜けなかったよ」
父が口を挿んだ。
「お母様、それはそれほど特別な剣なのですか?」
「ああ、まあ、抜き身は惚れ惚れするが、地味な拵えだぞ。いつも佩いておられるじゃないか。普通に使っておられるだろう?」
「あれですか!」
「そう、あれだ。今度会ったら、見せてもらえばいい。おまえにも抜けるか試させてもらえばよいだろう。おまえもな、ソラン」
「失礼でしょう。私は結構です」
人の愛剣を軽々しく触るなんて、武人として考えられなかった。
「その方が賢明かもしれないね。なにしろ、因縁付きの剣だから」
父が笑む。
「剣の主は命を狙われる。それで守護がいるのだ」
祖父の言葉に、殿下に会ってからずっと聞きたかったことにやっと辿り着いた。ソランは急いで質問した。
「因縁の相手は誰なのです?」
「呪いにより不死になった者たちのうちの裏切り者だ」
「不死?」
ルティンが眉をひそめ、聞き返す。
「そうだ。外見は我らと同じだ。生まれ、育ち、老いて死ぬ。だが、女神マイラの御許へ行けぬ彼らは、前世の記憶を持ったまま生まれ変わるのだ」
ソランは息を呑んだ。重すぎる宿業に胸が塞がれた。女神の元で癒されず生き続けることがどれほどの苦しみになるのか想像もつかない。ソランがまだ若く、人生の苦しみをほとんど知らない故に余計に。それでも、未来永劫女神から切り離される恐ろしさは分かる。上も下もない暗闇に一人で放り出されるようなものだ。
「なぜそんなことが」
痛みを含んだ声でソランは囁いた。
「二代目の剣の主が殺され、それに関わった者たちに不死の呪いがかかったのだそうだ。呪いを解くには、二代目の生まれ変わりを待つしかないそうなのだが、待っているうちに永遠に不死でいたい者たちが出てきたらしくてな。以来、宝剣の主は狙われるようになったのだ」
「そうでなくても殿下は敵が多くていらっしゃる。なまじ出来が良いからねえ、皆の目の上のたんこぶなのだよ。その上、本人にその気はないときている。
だが、欲得に目の眩んだ者どもが、それを信じられるものか。だから奴らは余計に疑心暗鬼に駆られて、なんとしても殿下を亡き者にしたいとやっきになる。
第一王子派、王女派、我が国を脅威に感じている国々。王家の力を削ぎたい大領主たち。他にもありましたかね?」
父が祖父を見る。
「とりあえずそんなところだろう。殿下も些か辟易されていてな。先日の毒殺騒ぎでは農家の子供たちも犠牲になっておるし、御自分が囮になると仰られてな。
そんなわけで、警備も薄く見せて王都の中をふらふらされたり、明後日からの視察へ殿下自身がお出でになると決められた」
祖父がソランと目を合わせ、困ったような笑みを浮かべる。
「医術を持った者がお傍にいた方が良いのだが、己の身を己で守れる者がおらんでな。それでは気掛かりでよけいに危険だと仰って遠ざけてばかりで、まわりは気を揉んでいたのだ。
おまえがお仕えする話が出た時からずっと、危険な任務には連れて行かないと仰っていたのだが、どうやら殿下のおめがねに適ったようだ。
我らも影から護衛するが、いざまさかの時は、お傍にいる者が頼りだ。気を抜かぬようにな、ソラン」
「はい」
「イアルも。ソランを頼む」
「承知いたしました」
母が腰を上げ、テーブルに手をつき、屈んでソランの額にキスをした。
「おまえに女神マイラの祝福があらんことを」
同じようにイアルにも施す。
「おまえたちは、私たちの自慢の子供たちだ。己を信じて為すべきことをしてきなさい」
それは、己の神の神殿を離れていても、神官の言葉で。
ソランもイアルも無言で頭を下げ、深い礼をしたのだった。