閑話 酒癖(ディー編)
密談も行われるようなある高級料理店の一室で、ディーは酔ってクダを巻いていた。
「今日だって人前でソラン様にべったべった触りまくって、しまいにはディープなキスをやらかして殴りとばされたくせに、空気を読まない俺が悪いって言うんだ! 空気読んでないのは貴方でしょーに!」
ううう、酷すぎる~。そう言ってテーブルに突っ伏すが、恐らくあれは泣き真似だろう。同僚たちは、おざなりに、はいはい、と返事をし、来たばかりのつまみがなくならないうちに口の中に放り込んだ。
ディーは再びがばっと身を起こし、腕を振って語りはじめる。
「何がいけないって、あの人、王子だから、羞恥心とかないんだよ。だって、生まれた時から衆人環視の中で生きているんだから、そんなのあったら、生きていられないでしょ?
それに王子だから、空気も読まないし。あの人、読めないんじゃないんだよ。読めなきゃ今頃暗殺されてるよ。単に読まないだけなんだよ、面倒だから。
好きにやりたい放題やって、その皺寄せを全部俺に押し付けるんだ、あの人、王子だから! 生まれる前からそうなんだよ。 なにしろ、王子だから!」
いや、生まれる前はないでしょう、と誰もが思うが、面倒なので突っ込まない。むしろ先を争ってつまみを自分の口に突っ込む。
「ううううう。自分ばっかりずるい~。あっちは新婚でもこっちは一人身だっての! 王子だからって見せ付けていいものと悪いものがあると思わない、ねえ?」
新婚なんだからしかたなかろうよ、とは、やはり誰も言わない。自分の身がかわいければ黙っているに限るからだ。
ディーは絡み酒だ。しかも王子王子と煩い。どんだけ上司が好きなんだ、という話である。大好きな上司が妻にかまけてばかりいるので、寂しいのだろう。
と本人に言ったら、そんなわけあるかーっ。俺がどんだけあの横暴上司に振り回されていると思っているんだーっ!!! と暴れるので、絶対に言わない。二度も同じ惨劇を繰り返す気は誰にもなかった。
「誰だよ、あれを誘ったの」
「違う違う、あっちが俺たちを誘ったの。今日は奢るからって」
「そうだと知ってれば来ねーよ。こいつが奢るって迷惑料だろ? そのつもりでやってるんだもんなあ、まったく」
「でも、時々ガス抜きしといてやんないと、こいつが倒れたら、次、俺たちのうちの誰かだから」
「ああ~、それは勘弁だよなあ」
殿下の副官を死なないでこなせるのはディーぐらいだ、と皆思っている。殿下がその気で動くと、その後ろには死屍が累々と、まではいかないが、過労死寸前の部下が足の踏み場もないほど転がるということになる。比喩ではなく、恐ろしいことに実際の光景となることが珍しくない。いつだったか、情報立案局の事務所の床に、力尽きた局員がごろごろ転がって、暗殺者の襲撃があったのかというような状態になったこともあった。
あの方のやる気は迷惑なのだ。非常時にはとんでもなく頼りになるが、平時はむしろ、ディーにすべてを押し付け、妻にかまけていてくれた方が、どれだけまわりにとって平和であるかしれない。
しかも、それもしばらくの平和なのだ。妃殿下が出産なさって復帰されれば、いよいよ殿下は兵制の改革に着手されるだろう。身重であることを慮っておとなしくされ、ついでに妃殿下が身動きままならないのをいいことに、恥ずかしがって嫌がるのを悪趣味にも楽しみつついちゃついておられるのは、束の間の休息に過ぎない。
彼らは、妃殿下をお気の毒に思いながらも見て見ぬ振りをして、いつでもそそくさとその場を退出する。眉間の皺がトレードマークで、女と見れば無言で凄んでいらした殿下のお姿を知っているだけに、いっそ微笑ましいとすら思っているのであった。
なにしろ、あまりの女嫌いに男色の噂まであった殿下だ。自分が生贄にならなかっただけでも儲けものである。愛人ではなく正妃に鼻の下を伸ばしておられるなら、こんなありがたい話はないのだ。
まあ、そんな風に休暇を満喫していらっしゃるので、必然的にディーは忙しい。兵制の改革の下準備だ、それに伴う法改正だ、根回しだ、というだけでも重量級の仕事量なのに、海軍の創設とそれに伴う軍港の建設に軍船の建造、他にも砲兵隊の創設だの、バートリエ砦の建設だの、エランサとの交渉だの、殺人的なスケジュールを捌いている。最終的な判断は殿下と将軍と宰相がなさっておられるが、そこまで纏めて持っていくのはディーである。いつも軽口ばかりたたいているが、彼は有能で豪腕であった。
ディーが切れるか倒れるかしたらなどと考えたくもない。そうなるくらいなら、彼の絡み酒に付き合った方がマシである。
というわけで、彼らは諦めた。別名、放置する、ともいう。
まずは呼び鈴を鳴らし、ボーイを呼ぶ。そして高級酒の注文と自腹では食う気のしない高額な珍味の追加をする。高給取りの上司様の奢りである。遠慮するだけ失礼である。
そうして彼らはディーが酔いつぶれるまで、楽しく美味しく付き合ったのだった。
もちろん友情に厚い彼らは、後日奢ってくれたお礼に、皆で割り勘で奢り返してあげたのは言うまでもない。
ついでに、殿下に(ディーの陥っている)事態の改善を申請(告げ口)したのも、厚い友情故であった。