閑話 思いのままに(おまけの反省会)
ソランの部屋をノックしても返事がなかった。
「いらっしゃいますよ。どうぞ。私もこれで下がらせてもらいます。下の応接室で待機しますので、御用の際はそちらまで」
「わかった」
この地で、しかもソランの部屋で殺されるようなら、他の場所では一秒たりとも生きていけないだろう。アティスはイアルの言葉に頷き、他の護衛にも休むように申し渡した。
扉を開けて中に入ると、ベッドの脇に座ったソランが掛け布団から頭を出し、剣の柄に手をかけるところだった。髪がやけに乱れていた。
「な、なんですか? なにか落ち度でも?」
挙動不審だ。だいたい、なぜ頭だけ布団の中に突っ込んでいたのか。
「どうした?」
「どうかなさったのはアティス様ではないのですか? どのようなご用件ですか?」
「寝に来ただけだが」
ソランは更に挙動不審気味に目を瞬いた。なんとなく、警戒されている感じがする。
「客室は気に入りませんでしたか?」
「そんなことはないが、では、おまえがあちらに来るか?」
ソランはとうとう一瞬恥ずかしそうにして、次にはキッと睨みつけてきた。
「今日は行きません。どうぞ殿下は一人でごゆっくりとおやすみください!」
「おまえがいないと眠れない」
「そんなわけないでしょう、幼児ではあるまいし!」
ツンケンしている。しかも、殿下、に呼び名が戻っている。それに、扉から数歩入ったところからソランに近寄れなかった。拒絶されているのを感じていた。
「なにを苛々しているのだ」
ソランは目を見開いて、怒った顔で何か言いたそうに口を開いたが、きゅっと口を噤むと、ぷいっと顔を逸らしてベッドに突っ伏した。その状態で叫ぶ。
「今日は、一緒に寝ません! 絶対!」
布団を握り締めるあまり、今にも引き裂いてしまいそうな勢いだった。
アティスは意を決して歩を進めた。ソランに近付くのに覚悟がいるなど初めてだった。情けないほど不安な気持ちになっていた。それでも、こんな状態で客室に戻っても、とても眠れるわけがなかった。
五十センチほど離れたところで止まり、ソランに合わせて両膝をつき、呼びかけた。
「ソラン」
返事がない。それでも、聞こえていないわけがない。答える気がないのだ。
「ソラン、おまえがいないと眠れない。本当だ」
本当のことだった。一度はベッドに入ったのだ。入ったが、二秒で出た。ソランの温もりが欲しかった。
「お願いだ、こちらを向いてくれ」
とんでもなく間抜けなことを言っている自覚はあった。が、恥も外聞もなかった。彼女の情けを請わずにはいられなかった。
眠れない、どころではない。ソランがいてくれなければ、そもそも生きている意味もない。
だから、バートリエから戻り、王都に入る前に、私を捨てるくらいなら殺してくれと言ったのだ。これから踏み入るのは茨の道だとわかっていた。全力を尽くすつもりではあったが、道を間違えてしまうことも有り得た。その時に、見限られて捨てられでもしたら、気が狂ったようにソランを追いかけて、邪魔する全てを滅ぼすだろうと思った。不測の事態で彼女を失うのとは全然意味が違う。そんな思いをするくらいなら、殺された方がましだった。ソランなら、死んだのもわからないうちに殺してくれるにちがいない。
即答で『はい』と言われて複雑な思いもしたが、安心もした。アティスにとっては、死よりも、ソランを失う方が恐ろしかったのだ。
「これ以上、恥ずかしい思いをするのに、耐えられません」
ソランは呻くように言った。答えてくれたことに、ほっとする。
「すまなかった」
「領民全員に見られたんですよ? だから、駄目だって言ったのに!」
ソランがどんなに駄目だと言っても、聞く気はなかった。どんな時も、恥ずかしがりはしても、嫌がったりはしなかったから。それに、護衛や侍女の前なら慣れて、それほど騒がなくなっていた。要は、慣れの問題だと思っていたのだ。今もそれに変わりはない。が、拒絶されるほど嫌なら、考え直さなければならなかった。
「悪かった。私の我慢が足りなかった」
「あんなふうに、婚約を伝える予定じゃなかったんです。もっと、ちゃんと紹介しようと思っていたのに。なんか、有耶無耶になっちゃったじゃないですか」
恨みがましさがこもる声に、そうだっただろうかと首を捻った。むしろソランらしくて、領民たちとのやりとりも微笑ましくて好ましかったが。ことにあの歌は素晴らしいものだった。
「いろいろ考えていたんです。順番とか、言い方とか。領主に就任して初めてだし、ちゃんとしなければって。それが全部、ぱあです。失われた神だってことも、殿下が英雄の君だってことも、伝えなきゃって思っていたのに、言い出せなくなっちゃったじゃないですか」
それは別に、死ぬまでに教えればいいことなのでは? ソランの性格で言い出せなかったのは当たり前だろう。それを言ったら、だから従え、と強要するみたいになりかねないのだから。
「こんなこと、言うつもりなかったのに。ごめんなさい。八つ当たりです。本当はわかってるんです。私が足りてないだけだって。
殿下は、天性の女たらしの才能があるから平気かもしれませんけど、私は、駄目なんです。どきどきして、ふわふわして、心臓がこわれそうになって、平常心ではいられなくなってしまうんです。だから、人前では絶対離れていて欲しいんです。
それに、一緒の部屋で寝てたなんて目で、明日見られたくないんです。今日だって、溜まった報告を聞いてても、生まれた子供たちに祝福をしてても、なまぬるーい目で見守られている感じがして、いたまれなかったんです。
だって、ベッドは一人用なんですよ? どれだけ我慢して狭いところで寝ることになるか、わかっているんですか? そんなところで一晩我慢できるほど離れがたいと思っているなんて、絶対知られたくないです」
つまり、ソランは二人の仲について何か言われるのが嫌なのではなく、私といると胸が高鳴ってしかたなく、それを指摘されるのがいたたまれないと言っているのだろうか。それは、恥ずかしいというより、単に恋故の感情に戸惑っているだけなのでは?
アティスは勝手にゆるむ口元に手をやって隠した。とんでもなく気にするポイントがずれている上に、ソランに口説いている気がないのは、今までに散々学習してわかっていた。だが、途中から、自分の我慢が足りないのだけが本当に問題なのだろうかと、本気で考えずにはいられなかった。こんな告白をされて正気でいられる男は恋人でもなんでもないだろう。
「私の脈を計ってみよ」
ソランは少しだけ顔を上げた。ほとんど条件反射のようなものなのだろう。差し出した手を取り、診やすいようにベッドの上まで引いて、そこで手首の脈を探して指を当てた。幾許もなく真剣な顔になって起き上がり、首に触れてきた。
「少し速いですね。熱は」
その手に手を重ね、しっかり捕まえてから理由を告げる。
「さあ、どうかな。あったとしても、それは全部おまえのせいだ。おまえだけがそうなるわけではない。私もおまえといれば、どきどきして、ふわふわして、心臓が壊れそうになって、それから平常心でいられなくなる、だったか? 同じだ。だから、おまえに触れたくなるのだ」
「殿下も?」
信じ難そうに呟く。
「アティスと呼べと言っただろう。そうすればもっと速くなる。呼んでみればいい」
黙っているソランに、さあ、と促す。
「アティス、様」
「うん」
いい呼び声だった。面映そうな表情もいい。思わず微笑むと、ソランはなんとも色っぽい顔をした。本人は少しも気付いていないのだろうが。抱き締めて、口付けて欲しいと言っているようだった。
だから、そうした。しても、ソランは腕の中でおとなしかった。
「離れたくない。こうしていたい。それは私だけの我儘か?」
目を覗き込んで囁くと、切なそうに目を細めて、横に首を振った。安心して片腕で抱きなおし、空いた手を伸ばして掛け布団をめくった。次にソランの剣帯を外し、ベッドの上に放り投げる。それから、彼女の室内履きと上着を脱がした。抱き上げて、ベッドの上に下ろす。ソランは剣を改めてヘッドボードへと置きなおしていた。アティスも自分の上着と靴を脱ぎ散らかしてベッドに上り、剣も外してソランの剣の横に置いた。掛け布団を引き上げて、中に滑り込む。
たしかに狭かった。下手に寝返りをうてば、転げ落ちるだろう。
「もっとこちらに」
ソランが引寄せようと無防備に背中に手をまわしてきた。何度体を重ねても、その相変わらずの無垢ぶりに、本当の悪女というのは、こういうのを言うのだろうと思った。無邪気に男心を掴んで、決して逸らさせない。
ソランがそれを自覚しない限り、いつでも悪者はアティスになるのだろう。
それでよかった。ソランにとっての悪者が、アティスだけであるのなら。
アティスは身を寄せ、ソランの腰に手を滑らせた。どうせ悪者なら、せいぜい悪者らしく振舞って、思いのままに、期待を裏切らない行動で応えることにしたのだった。




