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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
閑話集 こぼれ話

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閑話 酒癖(親心?編)

 バートリエから王都に戻ってきた夜。無事の帰還を祝いに、妹や兄の代理であるその婚約者、ソランの家族が館に集まってきた。そこで、館の従業員や局員も含めて、無礼講で再会を喜んだ。

 アティスは厨房の者に、客に振舞うような良い酒を出すように申し付けた。館の中にいる者は、全員が非常時には戦闘員になってもらわなければならない。どんなにめでたくても、酔うほどの酒を出してやることはできなかった。その代わりの心遣いだった。

 はずだったのだが。


 持参した酒で半分できあがってしまったティエンが、やはり持参した特大の杯をアティスの前に据えて、なみなみと溢れんばかりに自ら注いでくれる。


「さあ、お飲みください、義理の息子になるかもしれない、上司のご子息様」


 なんだその呼び名は、と思うが、敢えて指摘するのはやめた。現実的で合理的で神をも畏れぬ罰当たりな似非神官が、必死で現実逃避をしているのである。少しでも突っつけば、今度は怒涛の攻撃に転じてくるだろう。しかも、酔っても明晰な頭脳は、いつも被っている大神官の皮が剥がれて、容赦なく辣腕を振るうに違いない。彼は舅と不毛な言い争いをする気は、毛頭なかった。


 しかし、状況は厳しかった。酒瓶の半分も入ってしまう杯の大きさも異常だったが、それ以上に酒の銘柄が問題だった。さっき、挨拶がてら乾杯した時に注いであったはずのティエンの杯は、アティスが他を回っているうちに空になっており、そのたった一杯か二杯で酩酊するほど、この酒は強いものだった。その上、杯の口元で酒が盛り上がってぷるぷると震えており、持ち上げるどころか、触れただけで周辺が酒びたしになりそうだった。

 手を出しかねて沈黙したアティスを、さらに追い詰めたのは、他でもない姑のリリアだった。 


「では、あなた、殿下と乾杯なさってくださいな」


 彼女はティエンが握っているのとは別の瓶を手にとり、夫の杯を満たしたのみならず、取り上げて彼の手に押し付けた。


「いや、もう、私は」

「さあ、貴方のためにお注ぎしました。どうぞ?」


 小首を傾げ、にっこりと笑い、じっと見つめる。ティエンは早々に折れて、杯を掲げた。


「あー、では、リリアの美貌に」

「あなた」


 その場にそぐわぬ乾杯の音頭に、リリアが鋭く非難した。


「……殿下の、ご健康に」


 やはり的外れな言葉を渋々と呟く。それを見てアティスは、もしも自分に娘が生まれても、こんな大人気ないことだけはするまいと、心に誓った。

 自分の健康を祝福されれば、応えぬわけにはいかない。しかたなく、杯に手を伸ばす。

 と、横から、どんっと勢い良く当たられて手が滑り、あっという間に杯がひっくり返った。テーブルの上を流れて危うく服が濡れそうになるのを、その当たった手が放った雑巾が床にこぼれるのを食い止め、事なきを得る。


「未来の上司様、失礼致しました。大変申し訳ございませんでした。大丈夫でいらっしゃいますか?」


 微妙な呼び名で、ソランの弟のルティンが、精霊族もかくやという笑顔をふりまきつつ謝罪してきた。まだほんの子供であるのに、ひどくソツがない物言いだったが、謝罪しつつ笑顔なのはおかしいと思った。それに、その笑顔が年齢にそぐわない真っ黒いとぐろを巻いているように見えて、アティスはぞっとした。いつだったか匿ってやったのに、人の靴の紐を左右で結び合わせてくれたような子供だったことを思い出す。それに、神学校カグラシヤナに入学以来、主席を取り続けているとも聞く。いずれにしても、ティエンとリリアの息子だ。ソラン同様、まともであるわけがないのだと、心に銘じた。

 今はとりあえずアティスの味方だが、父親の醜態が気に入らないのか、リリアの脅しまがいの薫陶の賜物なのかであって、呼び名から察するに、結婚自体は納得していないのだろう。こいつもマリーと同じかそれ以上の手強い小舅になりそうだと、げんなりとした。


「いや、大事無い」

「そうでございますか? それは幸いでございました」


 本当に、と付け加えて、アティスの背後に向けられた目を追って振り返れば、ティエンが完全に酔いつぶれていた。というか、たぶん、妻によってそういう状態に落とされていた。


「あらあら。娘の婚約がよっぽど嬉しかったようですわ。お酒に弱いのに、困った人」


 リリアは、ティエンが突っ伏したテーブルから転げ落ちないように背中を支えながら、アティスに向かって頭を下げた。


「殿下、申し訳ございませんがこれで失礼させていただきます。不敬の段は平にご容赦を」

「ああ、かまわない。迎えのものを呼ばせよう」

「いえ、おかまないなく。息子がおりますから」

「そうか。では、気をつけて帰れ」

「はい。ありがとうございます」


 彼女はこんな状態であるのに優雅に会釈し、最後に温かく微笑んだ。


「こんなことを殿下に申し上げるのは失礼かとも思いますが、どうか愚かな親の戯言とお聞き逃しください。どうぞソランを末永くお願いいたします」


 アティスはやっと婚約者の親族からまともな言葉を聞けて、自分が思ってもみなかったほど、ほっとしているのに気付いた。


「ああ。必ず」


 そこへエメット婦人が追加の雑巾と膝掛けを持って現れた。アティスは見計らったように呼びに来たアーサーに促されて、その場から離れた。




 いつまでたってもソランを囲んできゃあきゃあ騒いで、忌々しいほどに一向に疲れを見せなかった女性の一団も、エメット婦人に仕切られて、ようやく解散の運びとなった。

 アティスは数時間ぶりにソランを手にすることができて、極度に高まっていた鬱憤が、すっと消えていくのを感じた。何しろ、並んで立って肩を抱いただけで自然に体を寄り添わせてきて、にこりと微笑みかけてくるのだ。こんな可愛い女が他にいるだろうか。


 客のすべてを送り出して、さて私室に引き上げるかと、ソランの背中を押したところで、新たな客が現れた。

 連れだってやってきたのはリングリッド将軍とエニシダだった。王から王太子としての仕事は与えられたが、未だ正式に立太子はしていない。故に、一応上司の将軍と陛下の侍従のエニシダは、どちらも無視するわけにはいかない人物だった。


「すまんね。少しいいかね? ああ、彼も同じ用事だよ」


 アティスがエニシダの手にしている物に視線をくれたのを見て、将軍が教えてくれる。彼らが連れ立って来るほど親しくないことは知っていた。ただ、今回に限って言えば、二人とも酒を持参してきているという共通点があった。


 その銘柄を見て、アティスは嫌気がさした。先ほど危うく半瓶も飲まされるところだったものに負けず劣らず強い、そして飲み口のいい酒だったからだ。

 特にエニシダのは、キーツが女性を口説くのに定番で使うと言っていた、『女神の涙』とかいうものだった。ちなみに、将軍のは『星々の戯れ』とかいう生産量の少ない幻扱いされている酒だった。

 ティエンの持ってきた『背徳の誘惑』を入れれば、三大火酒(さんだいひしゅ)となる。あまりの度の強さに飲む者を選ぶ高級酒だった。

 隠すことすらしていない符号に、誰の差し金か察せられないわけがなかった。それに、この畳み掛けるように何重にも仕掛ける執拗さは、たしかに舅のやり口だった。

 ただ意外だったのは、エニシダも舅に弱みを握られているらしいということだった。この若さで宰相の弟子として存在を確立している彼に、そんな隙があったのかと、いぶかったのだ。


「そういうわけですので、しばしお付き合い願えますか?」


 無駄に煌くエニシダの笑顔に何かを貼り付けて目前から隠してやりたかったが、


「すぐに済ますよ」


 将軍が挿んできた決定済みの断定口調に、彼は嫌々ながらも頷くしかなかった。

 それを受けて、将軍はソランへと向き、


「すみませんね、ソラン嬢。少し男同士の話があるので、殿下をお借りしますよ」

「それはかまいませんが、あの」

「ええ、男同士の話ですから、申し訳ございませんが、ご遠慮願えますか」


 エニシダが勝手にソランを追い払う。むっとするが、確かに、舅の使者との面会だ、ソランに余計な話を聞かせたくない。


「おまえは先に下がるといい」


 抱いていた手で背中を軽く叩くと、何か言いたそうな顔をしつつも頷いた。


「また後で」

「はい」


 将軍やエニシダに丁寧に挨拶してから去っていく彼女を見送りつつ、本当に後で会いに行けるか、かなり絶望的な気持ちになっていた。




 客間のソファに落ち着くと、彼らは持参した杯を取り出し、各々酒の封を切って杯を満たした。


「事情はわかってくれているようで、話が早くて助かる。さる高位の神職にあるお方が、祝い酒をぜひ殿下にたらふく飲んでいただきたいと仰ってな。使者として私が寄越されたわけだ」

「右に同じです」

「で、これを私に飲めと?」


 毒を飲まされたほうがまだマシな気がすると思いながら、聞き返す。


「ああ、まあ、そうなんだが、その前に私たちが毒見をしようと思ってね」

「高級酒ですしね」

「というわけだから、少し待ってもらえるかね」

「毒見が終わるまで」


 この二人、思っていたよりも仲がいい。妙に気が合っている。もしかして、ティエンと将軍とエニシダには、アティスの知らない繋がりがあるのかもしれなかった。神職と軍部と王宮の性格に難有りな実力者の結託の図に、なにかもう、どっと疲れが増した。


「勝手にすればいい」


 アティスは背もたれに寄りかかって、ふんぞり返った。やってられるか、という気分であった。


「では、遠慮なく」


 そう言うが早いか、二人ともツマミもなく、がぱがぱと酒をあけはじめる。


「それにしても、あいつも往生際が悪い」

「昔からそうでしょう。あの人が往生際が良かったことなんて、一度もありませんよ」

「んん? そういえばそうだったか」


 親しげにアティスのわからない話をする。しかもティエンをこきおろしているはずなのに、しみじみとしている。そのエニシダの口調に、彼はやはり不死人だったかと、薄々感じていたものに確信を得た。

 もっとも、宮廷も軍も不死人が集まりやすい構造になっている。市井よりも遭遇率は高いはずだ。彼らはウィシュタリア、クレア、ミシアの中枢に入り込み、そうしてウィシュタリア王家を存続させてきたのだから。


「あれだけの苦労をしていれば、娘を手放すのが惜しいのもわかるが」

「というより、生意気な弟子にくれてやるのが我慢ならないだけなのでしょう」

「どんなに出来がいい男でも、娘の相手となると、アラを探したくなるものだからな」

「おや、リングリッド様でもですか?」

「うむ。そして、目立つアラがないと認めがたくて苛立つものだ」

「目立つアラがあったら、娘をくれたりしないでしょうに」

「うむ。そのとおりだ。それは自分が一番わかっておるのだよ」


 これみよがしのこの会話は、つまり、舅の仕打ちを許せということなのか? アティスは話の内容と強烈な酒の匂いに辟易してきて、眉間に皺を寄せて、そっぽを向いた。

 しばらくして、二人は毒見は終わったと言った。


「いや、酔った酔った。こんなのを二本も飲んだら、さすがに足腰立たなくなるだろうな」

「その前に死にますよ」

「あっはっは。こんな夜に死んだら、死んでも死に切れんだろう!」

「足腰立たなくても、同じ気持ちになるでしょうね」

「違いない」

「というわけで、貸しにしておきますよ」


 エニシダがしゃあしゃあと言うのに、アティスは眉間の皺を深くした。


「いいかげんにしろ」


 勝手に押しかけて、アティス宛ての酒を半分以上も飲みきり、このウワバミどもはこれ以上何を要求するというのだ。盗人猛々しいとはこのことだ。

 アティスが言葉を吐き捨てると、面の皮の厚いはずのエニシダが、なぜか傷ついた顔をした。作り物のような美しい顔を悲しげに歪める。まさか本当のわけがないとわかっていつつも、思わず罪悪感が刺激されるような表情だった。が、次の台詞に、アティスは己の甘さをものすごく後悔した。


「ああ、悲しいですね。どうしてこんなにかわいくなくなってしまったのか。昔は素直でかわいい子だったのに」


 己の中で、なにかが引きちぎれる音を聞いた。が、王族として培ってきた忍耐を総動員して凌ぐ。中身が古狸だとわかっていても、その外見に、どうにも腹が立ってしかたがなかった。


 年下のクソガキに、どうしてこんなことを言われなければならないのか。ああ、酔っ払いだからか。そうだな、素面の者が酔っ払い相手に本気になるなど、物笑いの種だしな。年長者がガキの失敗をあげつらうのも大人気ない。ああ、そうだ。そうだとも。


 アティスは己に言い聞かせ、深く深く言い聞かせ、呼吸を整えて、歪んだ笑みを浮かべた。壮絶に殺気だった笑顔だった。


「酔っ払いはお帰り願おうか」


 それを見て、エニシダはふきだした。隣の将軍の腕を遠慮なく叩きながら、笑いはじめる。それにつられて我慢していた将軍も笑いだした。涙を流して、腹を押さえて、二人でのた打ち回る。彼らはどうやら笑い上戸らしかった。


 アティスは蹴り飛ばしてやりたい衝動と戦いながら、笑い転げる二人に倒される前に酒瓶を回収した。ふと、三つの酒にまつわる話を思い出したからだった。

 『背徳の誘惑』は不倫を誘う酒でもあるが、夫婦や恋人、あるいは信頼関係にある者の間では、同じ杯の酒を飲み干すことによって、背徳を飲み込んでしまう、つまり背信しないことを誓い、信義を深める意味を持つ。また、『女神の涙』は媚薬でもあり、『星々の戯れ』は星、つまり天の祝福を示す。

 贈り主は、本当に、アティス自身と今日という日が忌々しくてしかたがないのだろう。あわよくば酔い潰させてやれと思っているに違いない。それでも裏を返せば、こんなものを人に持たせて寄越すほど、ソランとの結婚を受け入れてくれているということだ。

 いろいろな意味でティエンの心尽くしの品なのだろう。うっかりティエンの酌は避けてしまったが、残りはソランとありがたくいただくべきなのだろうと思ったのだった。


 未だ笑いやむ気配のない二人を横目で見たが、ソランを思い出して彼らの事が急にどうでもよくなったアティスは、ソファの後ろに控えていたディーに命じた。


「邪魔だ。叩き出せ」

「承知いたしました」


 そしてもう後ろを振り返ることもなく、部屋を出たところで彼らの事は綺麗さっぱり忘れた。ソランとこれから二人きりで過ごそうというのに、他はすべて瑣末でしかない。護衛の一人に、今日はこれ以上の取次ぎを固く禁ずると命じ、とりあえず私室へと急いだ。

 一秒でも早く可愛いソランに会って、心満たされる時間を過ごしたかった。




 だから、彼は二人が笑う合間にした、別れの挨拶の言葉を聞くことはなかった。


「良い夜を」

「女神の祝福を」


 彼らが皆、本当はアティスを息子のように思っているなど、彼は思ってもみないのだった。

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