閑話 王と王妃と侍従の秘密の関係
「婚約するそうだね」
王は侍従がお茶を用意するのを眺めながら尋ねた。
「はい。陛下のお許しをいただけましたら。近い内に彼女を伴ってご挨拶に参るつもりだったのですが」
侍従は人形のような美しい顔を無表情なままに答えた。王は弱弱しい笑みを浮かべると、一息ついてから言った。
「おめでとうと言っていいのかね?」
侍従はポットをワゴンに下ろし、カップをソーサーごと王の前に置いて、王に顔を向けた。
「ええ。私が望んで貰い受けるのですから」
「そうかね。君の幸福を祈っているよ」
王は優しくも、でもどこか淋しそうに祝福し、カップを取り上げて口を付けた。
「気持ち悪いですわ!」
居合わせた王妃は声を抑えながらも鋭く言い放った。
「そんなにご執心なら、結婚など許さず、愛人にでもなんでもすればいいではありませんか。ひそひそ噂されているより、いっそ本当にしてしまえばいいのですわ。
うじうじうじうじ、あなたは昔っからそう! 誰かがどうにかしてくれるのを待つぐらいなら、自分でどうにかなさい!」
「ごめんこうむる」
侍従が突然口調を変えて、きらきらしく怒りを閃かせて、王妃に視線をすえた。
「どうして私が中年親父の愛人になんぞならねばならん」
「それはひどすぎないか、クライブ」
王が悲鳴のような声をあげた。侍従は王に視線を戻し、その美貌全開で微笑んで見せた。
「どんなに冴えない中年男性だろうとお仕え申し上げているのは、愛があるからですよ」
それに引き攣っていた王の顔が、少しゆるんだ。
「ああ、やってられませんわ。ちっとも変わりませんのね。婚約者のディセリアも同じタイプですわね。よく言えば控えめ、悪く言えば覇気がない、潤んだ大きな瞳で上目遣いで、なんにもしないで庇護ばかり請う。苛々しますわ」
「貴女も気が強くて独善的なのはちっとも変わらない」
そう言って、侍従は鼻で笑った。美貌と相俟って凄まじく皮肉に満ちていた。
「そういう貴方も、傲慢なのも変わっていませんことよ」
王妃と侍従の間で、火花が散る。
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
王は見えない火花を散らすように、両手を伸ばしてわたわたと振った。
「クライブ、女性に言いすぎだ。いくら似た者同士で気が合うからといって、遠慮が無さ過ぎるよ。
ロディも誤解しないでおくれ。貴女は賢くて意志の強い、素敵な人だ。私には勿体無いほどの妃だと思っている。
ただ、一言も相談がなかったからね。少々寂しかっただけだ。いや、まあ、嫉妬もないわけではないかもしれないが、勘繰られているような、そういうのではないのだよ」
王妃は多少拗ねた顔をして王の言葉を聞いた後、知りません、と呟いて、つんと横を向いた。けれど、王が手を伸ばして膝の上の手を掴んでも、振り払おうとはしなかった。
侍従は王の姿に、優しく微笑を浮かべた。
「たしかに、私たちには真似できませんね」
頼りないほど優しくて、懐が深い。だから支えて庇護したくなる。
「私にはあなたたちこそ羨ましい。そんな風にいつでも毅然としていたいものだよ。私はいつも迷ってばかりだ。いっそロディが王になれば良かったものを。女神の御業に文句を申し立てるつもりはないが、私では力不足だろう」
王は溜息をついた。
遠い昔。まだ女神の御許から引き離されるとは思っていなかった頃、彼ら三人は夫婦だった。侍従が王で、王妃はやはり王妃、そして王は側妃だった。
王妃と側妃は王の寵を競い合い、挙句に王妃は側妃の生んだ王子を殺した。
しかし、ありふれた物語はそこで終わらず、永遠とも思える長い年月を、彼らは当時の記憶を抱いたまま過ごしてきた。愛も憎しみも後悔も罪も全部抱えて。
そして今生、三人は再び抜き差しならない縁を結ばされた。側妃だった王は王として重い責任を負わされ、王妃は殺した王子を息子として生み、王だった侍従は生まれてきた王子のために一度は命を捧げ、今度はその王子に仕えるために生まれなおした。
女神の御業に過不足は無い。今生をまっとうすることでこの呪いを解くことができるのならば、そして罪を贖うことができるのならば、その機会を与えたもうた以上の慈悲はないだろう。
「そんなことはありませんよ。私では押し切るばかりで人々の力を借りることはできなかったでしょう」
王妃が愛情を見せながら王を励ます。
「あなたたちの力添えがあってのことだよ」
王は王妃と侍従に順番に、感謝の念を込めて目を向けた。王妃は微笑み、侍従は軽く頷いた。
三人の愛憎劇に巻き込まれて死んだ王子が、今生で愛する女性を手に入れ結婚して、もうすぐ四年になる。王子の結婚後に死んだ不死人たちも、そろそろウィシュクレアの商業網に連絡を取れる歳になるはずだった。
そう、もしも呪いが解けていなければ。
王子と失われた神の間にどんな契約があったのかは誰も知らない。本人たちはもちろん、女神さえ知らないのだ。
これまで不死人たちは呪いを解くべく、王子の願いを叶えようとしてきた。しかしそれでも解けなかったのは、恐らく『王子と失われた神』でなければ叶えられない願いだったからなのだろう。
王子が死の間際に何を願ったのか。早ければあと二、三年でわかるはずだった。それで駄目なら、引き続き王子に手を貸し、彼の今の願いを一生かけて叶えていくしかない。
それは彼らの望むところだった。今生の王子は、彼ら三人にとって、等しく可愛い息子なのだから。
「お茶がすっかり冷めてしまいましたね。熱いのをお淹れしましょう」
「ああ、すまないね」
侍従は王のカップだけでなく、王妃の物も下げて、新しくお茶を淹れ直した。そうして再び、恭しく御前に供する。
今度は二人とも冷めないうちにそのお茶を味わった。
王宮の奥深くにある、王の私室での穏やかな午後のひとときだった。