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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第十一章 解呪
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5 謁見

 王宮前広場に到着すると、常時閉められている王城の正門が開かれた。そこから城壁のすぐ下を流れる深く広い水路に下ろされた跳ね橋は、通用門から架かる橋とは違って幅が広く、ソランたちはそこを通って悠々と入城することができた。

 中の広場は国賓を迎えるのにも使う美しい庭園であった。ただし、気をつけて見てみれば正面の王宮門のみならず、樹木の向こうに回廊を模した構造物が造られ、四方を完全に塞がれている。王宮は建物を使って巧みにいくつかの区域を閉鎖できるようになっている。これはその一つで、侵入者を簡単に奥には行かせない造りになっているのだ。

 広場には将軍に率いられた軽騎兵と近衛が待ち受けていた。軽騎兵は軍備を取り上げるためであり、近衛は護衛という名の監視者である。

 たとえ王太子に推されようとしている王子であっても、いや、だからこそ、王に対する恭順の姿勢を貫かなければならなかった。力があればあるほどよけいに、脅威にはなり得ないのだということを、執拗なくらい示さなければならなかった。


 殿下は馬を降り、歩み寄った将軍と抱擁を交わした。ソランたちも全員が馬を降り、その場にて待機した。いくらも待つこともなく、二人はこちらへ向き、将軍が朗々とよくとおる声で命を下した。


「軽騎兵第一、第二、第三隊の任務はここまでとする。ただし、新しく、同行の馬車を軍医局施設まで護衛し、アーバント医局長に引き渡すことを命ずる。完遂後、軍本部へ報告、その後解散を許す。以上」


 軽騎兵たちは右手を胸に当て、直ちに受命した。それに殿下が留めるように手を挙げた。


「長きに渡る任務、ご苦労だった。おまえたちのおかげで心安く行動することができた。礼を言う」


 第一隊百騎長アドリード・セルファスが進み出て殿下の御前で片膝を地につくと、すべての騎兵がいっせいに膝をついた。


「過分なお褒めのお言葉をいただき、ありがたき幸せに存じます。今回の任務に当たれましたこと、生涯我らの誇りとなりましょう」

「早計だ、セルファス」


 殿下は柔らかく苦笑した。


「おまえたちの力を示してもらわねばならんのは、これからだ」


 思わず、といった具合に顔を上げたセルファスと視線を合わせ、彼が理解の色を示して表情を引き締めると、殿下は凄みのある微笑を口元に刷いて頷いた。


「期待しているぞ」

「はっ。なおいっそうの忠誠と精進をお約束いたします」


 セルファスは今一度深く頭を下げ、立ち上がって、きびきびと撤収の指揮を執りはじめた。

 ソランは馬を引き取りに来た者に任せ、殿下の傍へと向かった。エレーナたちに後ろ髪引かれる思いだったが、殿下の傍を離れるわけにはいかなかった。

 エレーナたちはこれからしばらく医局で暮らすことになる。処遇は今朝伝えてあったが、外を覗けない馬車の中で、また怯えているかもしれないと心配だった。

 彼女たちをひっそりと運び入れられれば良かったのだが、どうしても『戦果』として衆人に示さなければならなかったのだ。そのために、彼女たちが無遠慮な視線に晒されないよう、窓を締め切った馬車での移動とした。しかし、中から外が窺えず、音と振動のみで外の様子を想像するとすれば、それはそれで不安なものなのではないかと思われた。

 でも、マリーもファティエラも彼女たちに付いている。アーバント医局長も頼りになる人だ。ソランは彼女たちのことは、ひとまず頭の中から締め出すことにした。

 そして、近衛に囲まれ、殿下に従い、ソランも王宮へと踏み入ったのだった。




 ソランは謁見の間の重厚な扉を前にした時、なぜかものすごく遠くまで来た気になった。地理的には領地に近いはずなのに、不思議とキエラやバートリエよりも遠いと感じられた。

 今まで領主になるつもりではあったが、王宮で仕えるなど考えたこともなかった。ソランはずっと領地内のことにしか興味がなかったのだ。が、ここに立って、なんと浅はかだったのかと思った。

 領主位は子々孫々永代ではない。政変でもあれば、簡単に奪われる。ジェナスの血筋の者をあの地に残さなければならないのなら、あの中にいるだけでは駄目だった。祖父や母がそうしたように、外に出て体を張って守らなければ、叶うものではなかったのだ。


 扉は待ち受けていたとばかりに係によって開かれ、先触れが殿下の名を告げる声が響いた。一行は止まることなく中へと進んだ。ソランはこれほどの広い部屋に入るのは初めてだった。玉座のある壇は遥か彼方にあるようで、俯きがちにしている視界には入らなかった。

 床面は青い石が敷き詰められており、一歩踏み出すごとに足元でカツカツと音を立てた。壁際には人いきれがするくらいぎっしりと人々が並んでいて、彼らの発する漣のようなざわめきに室内は満たされていた。人々の視線が執拗に絡みつく。ソランは、このどこかに父や母もいるのだろうかと、ちらりと考えたが、とても彼らの顔を探す度胸はなかった。

 やがて殿下が立ち止まり、その後ろに続く全員が止まった。殿下は片膝を床について、胸に手を当て、礼の姿勢を取った。ソランも同じ姿勢を取り、声が掛かるのを待った。


「よく戻った、アティス」


 陛下の声は肉親の情に溢れた温かいものだった。


「ただいま戻りました。ご指示のバートリエの件はすべて事を収めてまいりました」


 対して俯いたままの殿下の声は硬く、王を敬う態度に終始していた。


「立って顔を見せよ」


 殿下が言葉に従うのに合わせ、ソランも立ち上がる。それを待って陛下が言葉を紡いだ。


「よく無事で戻った。リングリッド将軍から詳しい報告を受けている。そなたの逸早い行動のおかげで国境が守られたと聞いた。よくやってくれた」

「運が良かったのでございます。領地にて親しき友人を招き、我が婚約者を紹介しようと用意しておりましたところ、ここにいるエーランディア殿がバートリエの知らせを運んできて、様々な便宜を図ってくれました。また、ジェナス殿も賢者の力を貸し与えてくれたのです」


 殿下が振り返り、立ったままでいた二人を示して見せると、二人は陛下に優雅な仕草で礼をとった。陛下は親しげに彼らに話しかけた。


「我が国の親しき盟友、ウィシュクレアのエーランディア殿、ウィシュミシアのジェナス殿、あなたたちのご助力に感謝する」

「常日頃のウィシュタリアの恩義に報いたまででございます」

「私も同じ気持ちでございます」


 ダニエルが先に答えると、ジェナスも妖艶な笑みとともに短く返事をした。


「お二方にはお礼方々、さらに親交を深めるべく、もてなしたく思う。ぜひ我が城に滞在してもらいたいが、いかがか」

「光栄にございます。お言葉に甘えさせていただきます」

「ありがとうございます。喜んでお受けいたします」


 ダニエルとジェナスのそれぞれの返答に、陛下は満足気に頷いた。続いてソランに視線が向けられた。


「ソラン嬢」


 優しくそう呼ばれた瞬間、ソランは深い礼の姿勢をとった。緊張していた。茶番の仕上げである。王に衆人の前で『功績』を認めてもらう。その時に、わずかでも人々に奢った印象を与えてはいけなかった。殿下が親子の情さえ排除して、ただただ恭順を示したのはそのためだった。


「それほど恐縮しないでおくれ。この度のそなたの働きは目覚しかったと聞いている。唯一人で千の敵を退けたとか」


 ソランは俯きがちに、ゆっくりとした口調で説明した。早口でないことは、それだけで敵意を表さないと教わっていた。


「私一人の力で為したものではございません。私はただ殿下のご指示に従ったまででございます。また、バートリエにて今も国境を守る兵たちの力あってのことにございます」

「王妃が謹慎を申し付けた者どもか」


 その言い様に、ソランはもう少しで顔を上げてしまうところだった。彼らの真実の姿を陛下に伝えたいという思いに駆られたのだ。はやる気持ちを抑え、内容以上の不敬を含まないように細心の注意を払って質問に答える。王妃陛下が謹慎を命じた者たちを褒めるなど、それだけで不敬と言えば言えたからだ。


「はい。己の身の寄る辺も定まっていないにも関わらず、国の危難に身を捧げるのを厭わない、高潔な兵たちにございました」

「顔を上げよ」


 どこか冷やりとしたものを含むそれに、やはり言い過ぎたかと思いつつも、ソランは務めて冷静に体を起こして姿勢を正した。陛下の足元あたりに視線を合わせる。陛下がソランを真っ直ぐに見据えているのを感じた。柔和ではあっても威厳に満ちた陛下の様子に、改めて冷や汗が滲み出た。


「たとえそうであっても、あれらはそなたの命を狙った。それはそなたの仕えるアティスの力を削ぐ行為であり、王家への反逆である。それをどう思う」

「領民は領主を選べません。優れた領主の下ならば、彼らは必ずや優れた行いをするでしょう」

「その根拠は」

「殿下の下で彼らは命懸けで国境を守りました。彼らは殿下を慕い、殿下のご意志を果たさんと、今もバートリエの地を守っております」

「つまり、アティスなら、あれらを有益に御すことができるというのだな?」

「仰せのとおりにございます」


 沈黙が落ちた。痛いほどの静寂に覆われた。そこでソランは初めて、広間に居る誰もが固唾を呑んで陛下とソランの会話に耳を澄ませていたのだと気付いた。

 殿下に縋りたかった。不安で堪らなかった。ひどい失敗をした気がしてしかたなかった。なんという差し出口を利いたことか。ソランは緊張のあまり乱れそうになる息を殊更ゆっくりと繰り返し、無表情を装うのに精一杯だった。

 こんなときはどうするのだったか。ソランは祖父の教えを必死に思い出そうとした。ふっと、祖父の人をくった笑みが思い浮ぶ。時に忌々しくもあるが、頼もしいその表情で語っていたことが脳裏に甦る。

 まずは、そう、状況を見定めよ、だ。焦るのは、大抵状況の定まらない時だ。『その時』まで待つ忍耐が必要だ。状況さえ見誤らなければ、道は自ずと決まるのだから。

 だから、ソランは呼吸を整えて陛下の言葉を待った。


「ソラン嬢。今一度問う。その身を生涯アティスに捧げる覚悟はあるか?」


 思ってもみなかった問いに、ソランは視線を上げてしまった。陛下の温かい目と、その隣の面白がっているのを隠した王妃の目に、いつだったかお茶に招かれて、そんな約束をしたような気がすると、ぼんやりと思い出した。考えるより先に返事が口をついて出た。


「はい。我が魂に誓って」

「そうか。では、そなたを聖騎士に叙し、アティスの立太子とともに正式に王太子妃とする」

「はい。かしこまりました」


 ソランは、またもや反射的に返事をした。してから、今、何かとんでもないことを公言されたのではなかろうかと、内心でうろたえた。この状況を把握しようと頑張ってみたが、返事とともに下げた頭の中は空回りするばかりで、浮かんでくるのは言葉にならない己の驚愕の叫び声だけだった。

 婚約はした。子宝の祈祷、などというものもしてもらった。殿下に一生寄り添うのだという覚悟もある。それでも想像の域を超えなかった『結婚』を、突然現実のものとして目の前に突きつけられて、ソランは混乱していた。


「アティス」

「はい」

「王太子領として先の謀反で接収した領地をそなたに与える。その兵を使い、西の守りを固めよ。近年のエランサの荒廃は目に余る。隣国の荒廃が今回のように我が国に影響を及ぼす前に、取り除くのだ」

「かしこまりました。御下命に従い、必ずや憂いを取り除きましょう」


 それからソランは思考を止めたまま、殿下が退出の挨拶を陛下と交わすのを意識の遠くで聞いていた。そしてダニエルやジェナスに続いて、培った鉄壁の外面で、辛うじて挨拶を口にした。雰囲気は和やかだった。が、ソランの心の中は嵐だった。


「ソラン」


 急に殿下に呼ばれ、そちらへ目を向けると、実に魅力的な笑みでソランへと手をさし伸べていた。必死に暴れる鼓動を押さえ、動揺をとりつくろってきたのに、目にした一瞬ですべてが崩れ去る。ソランは頬と首筋を真っ赤に染めた。

 殿下の笑みが深まった。誘うように揺らされた掌に、ソランは自分の手を重ねた。そのまま殿下に促されるのに合わせ、二人一緒に陛下へと礼をする。

 ソランの様子は、それまでの硬質さを湛えた美しさとは裏腹に、非常に初々しく可憐だった。それはそこに居合わせた人々の中に男女の関係なく、嫉妬と羨望と欲望と崇拝と畏敬をいっぺんに植えつけた。

 この時ソランは、宮廷の新しい花、それも王太子以外は摘むことを許されない、国一番の高嶺の花として認識されたのだった。

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