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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第十一章 解呪

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1 幼馴染との再会

 バートリエでの始末を終え、王都から半日の距離にあるカデナ領に着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。

 三百騎の騎兵とソランの預かりとなったエランサ人の女性たち、彼女たちの世話をさせるために連れてきたファティエラたち、それにジェナス一行にダニエル一行も一緒で、王都を出る時よりもかなり大所帯になっていた。故にずっと野営であったのだが、この日だけはきちんとしたベッドで眠れる予定だった。


 出迎えに来てくれた局の同僚べイルの案内で、ゆるやかな坂道を登っていく。山裾に広がったそこは、建物も多ければ人も多い賑やかな町だった。天然の湯の湧く保養地である。それに浸かれば皮膚病や傷や関節炎に効き、飲めば子宝に恵まれるらしい。町の中心には、子を授ける豊穣の神フェルトの神殿もあって、王都の新婚夫婦に人気の旅行地だ。

 そのため、宿泊施設が多数あり、騎兵や女性たちの宿泊所として借り上げたのだ。殿下をはじめとする身分のある一団だけが、べイルの実家である領主館に泊まることになっていた。


 一行が町に入ると、人々が次々と建物から出てきて、歓声を上げて歓迎してくれた。殿下の名だけでなく、なぜかソランの名まで呼んでいる。殿下の横に並んで馬を進めながら、促されるままに手を振ると、悲鳴のような喜びの声と共に人波が動き、ソランは笑顔が引き攣りそうになった。

 政治の中央で職を得ているような大領の領主ならいざ知らず、ソランは辺境の小領を継いだばかりの実績もない若造である。第二王子と婚約したとは言え、それは内輪に知らされただけのもので、正式な発表はされていない。ソランの名を彼らが知っている理由がわからず、不気味だった。しかもこの熱狂である。いったいどんな噂が広まればこうなるというのだろう。実体に添わない期待ほど始末の悪いものはない。ソランはそれを知るのが怖かった。


 途中で女性たちと騎兵の大部分と別れ、一番奥まった場所にある館に辿り着いた。門扉の内側の広い前庭に幾人もの人が出迎えに立っていた。その中の一人がマリーだと見てとると、ソランはそわそわとして殿下に視線をやった。

 呆れたように笑い、行けとばかりに顎で示されるのを見て、ソランは馬を飛び降り、彼女に向かって駆けだした。

 マリーもスカートの裾を摘んで走ってくる。そしてどちらからともなく腕を広げ、抱きしめあった。


「ソラン、よく無事で」

「マリー」


 二人ともそれ以上言葉にならない。嬉しさと安堵もいきすぎると切なくなるらしい。ソランは鼻の奥がツンと痛んだ。手触りのいいマリーの頭を何度も撫ぜる。懐かしく優しい感触だった。

 しばらくして、マリーに二の腕を掴まれ、少し押しやられた。彼女がソランの顔を覗き込んできて、まじまじと観察する。とたんに、くしゃりと泣きそうに表情を歪めた。


「ひどい~。あんなに丹精していた肌も髪もぼろぼろじゃないの~」


 かと思うとソランの手をがっつりと掴み、一瞬で手袋を引き抜く。


「いや~っ。爪が割れてる~っ。あの馬鹿どもめ、私のソランに何をさせやがったのかしらっ!?」


 視線だけで殺せそうな勢いで、馬を降りている男の一団を睨みつけた。


「あのね、マリー、仕事をしてきたのだから、これは仕方のないことで」

「仕方ない?」


 くるりと視線が返され、鋭いそれが今度はソランに向けられた。再び腕が掴まれる。ソランは思わず足だけ一歩後退った。それほど怖かったのだ。


「千人の敵を十六の可憐な乙女がたった一人で薙ぎ払うのが?」

「は? 千人って」

「聖騎士であるリリア様を越える戦功だって、王都で専ら評判よ。親子で聖騎士に叙任されるだろうともね」

「まさか。大袈裟な」


 ソランは不安を吹き飛ばしたくて笑った。何の冗談だ。


「相手は七百人ちょっとだったし、それも全員丸腰で、まわり中を武器を持った兵に囲まれていたんだよ。

そりゃあ私が決闘を申し込んだのは間違いないけど、別に千人も薙ぎ払ったわけじゃないし、そんなのいくらなんでもできるわけないでしょう。って、痛い、痛い、痛いってばマリー!」


 説明している途中から、掴まれた二の腕が凄まじい握力で握り締められる。マリーが低い声でおどろおどろしく囁いた。


「千人に決闘を申し込んだですって? イアルの役立たずはいったい何していたのかしらねぇ。あの素敵に腹黒いお方を今度こそ本気で呪ってやろうかしら。うふふふ」


 不穏当な発言だった。目が完全に据わっている。ソランは逃げ出したかったが、腕の力はますます強く、それは適いそうになかった。しょうがなく、必死に宥める。


「だから、千人ではなくて」

「四捨五入すれば千人でしょう!」


 随分な丼勘定だった。聞く耳も持っていないし、手のつけようがない。しかたなくソランは捨て身の作戦に出ることにした。


「ああ、マリー、なんか疲れた。すごくすごく疲れた」


 少し顔を顰めて訴えてみる。マリーは、言いたいことを全部飲み込んだ消化不良の顔で、ソランを見上げた。ずるいわ、と顔に書いてあるようだった。たとえ嘘でもそんなことを言われたら、マリーはソランを気遣わずにはいられないのだ。

 もちろんソランはその程度のことで悪びれない。嘘と方便は使いようである。それで円滑に物事が進むなら、使うに越したことはない。ただ、このあとずっと、微に入り細に入り心配顔で面倒を見られることになるのが鬱陶しいのだが。


「御領主、殿下がお呼びです」


 口を挿む機会を窺っていたイアルが、やっとのことで声を掛けてきた。殿下を探すと、領主らしき人物と談笑していた。


「私も挨拶に行ってくるよ。イアル、マリーの相手を頼むね」


 気を利かせたつもりでそう言ったのだが、踵を返した背後で、ツンケンとした声が聞こえた。


「いや。近付かないで。あなた臭いわ」


 真冬の軍事行動中に、風呂になどそんなに入れるものではない。ソランもかれこれ二週間ばかり入っていなかった。他の男たちにいたっては、恐らく一月近くになる。自分たちは鼻が慣れて特に感じないが、それ以外の人たちにしてみれば、かなり酷く匂うのだろう。

 だからこそ王都に入る前に、身奇麗にするためにここに寄ったのだが、改めて気の滅入る事実を突きつけられ、ソランは引け目を感じた気持ちで殿下の許へと向かったのだった。




 風呂は大きなものだった。広い湯船と洗い場があり、ジェナスと一緒でも良いかと伺いをたてられた。

 実はソランは嫌だった。ジェナスもマリーもたわわな胸をしている。それはもう柔らかそうで、食べたらおいしそうなのだ。赤ちゃんのお尻やほっぺたも良くそう思うのだが、殿下にあれこれ触れられてからはそれに別の意味が付け加わって、人の体を見るのも、見られるのも、なんだかものすごく恥ずかしくなってしまっていた。

 けれど、ジェナスを待たせるのは心苦しかった。それで了承をしたのだが、他人を気にしている余裕はすぐになくなった。マリーの指揮下、三人がかりで体中を丹念に洗われたのだ。


 まずはきめ細かく良く泡立てられた石鹸で優しく隅から隅まで撫でるように洗われ、次に頭皮と髪にたっぷりとオイルを塗られてタオルで纏め、湯船に入った。

 汗が出て暑くて堪らないと訴えると、冷たい飲み物をあてがわれたが、出ることは許されなかった。これ以上は我慢できないというところでやっと洗い場に上がると、今度は念入りに髪を洗われ、そしてそれがすむと、痛いと悲鳴をあげるほど体中をこすられた。

 ソランはほとんど泣いていた。あまりの痛みに生理的に涙が滲むのと、羞恥心を許さない容赦ない仕打ちのせいだった。

 風呂場から出たら出たで、次はよく暖められた部屋で体中にオイルを塗られた。それで嫌だと言っているのに、全身をマッサージされたのだ。

 もう一度洗い流し、化粧水を叩き込まれ、髪を梳られ、爪を整えて磨かれ。軽い化粧に、裾の長いドレスと殿下に贈られた真珠の装身具とを身に着け。

 すべてが終わった頃には、ソランは疲れきって魂が抜けたようになっていた。


「ソラン様、呆けてないで、しゃんとなさってください」


 マリーはあれだけのことをしておいて、まだ満足していないようだった。


「気高く美しい国一番の淑女として振舞ってください」


 淑女。淑女なんぞ、くそくらえだった。ソランには一番向いてないものだった。


「マリー、現実を見ましょうよ。どんなにやらせても、魚は逆立ちできないでしょう?」


 キエラで覚えてきた無理な事の例えだった。


「ソラン様に必要ならば、私は魚にだって逆立ちさせます」


 マリーは胸を張って言った。ソランは泣きたくなった。そう言われると、マリーならやりかねない気がした。つまりは、ソランもマリーの意気込みからは逃げられそうになかった。

 長椅子の背に寄りかかって、さらにぐったりとしたソランに、マリーは拳を握って主張した。


「だって、悔しいったらないじゃないですかっ。ソラン様ほどの美女も淑女もいないのに、熊か猪の化身みたいに言われてっ。私、私には、我慢できませんっ」


 何の話かわからず、でも、係わり合いにならない方がよさそうな話題だと見当をつけて、聞き流して目を逸らした。それでもマリーの主張は止まらなかった。


「クアッド殿の剣を折ったからって、あのゴツイオヤジよりゴツイと思われているんですよっ。殿下は女性に興味がなかったから、さぞ女性離れした容姿だろうって」

「それはその通りでしょう」


 ソランは溜息混じりに呟いた。淑女とは様々なテクニックの権化だ。それが息をするのと同じようにできてこそ本物の淑女なのであり、ソランなど素では話にならないレベルだ。気を抜けば、すぐに女性らしくない仕草が出てしまう。そうすればどうしたって女装にしか見えないだろう。


「まだそんなことを言っているんですか!?」


 マリーは足音高く部屋の隅に行くと、手鏡を持ってやってきた。


「見なさい! これがあなたよ!」


 手鏡をつきつけられ、ソランは仕方なくそれに目をやった。憂い顔のなんとも言えない色っぽい美女がこちらを見つめ返していた。素直に感心して褒める。


「また化粧のテクニックが上がったね」

「違うでしょう! 化粧は少し色を添えただけ! ほとんど素ッピンなのよ、これは! 私のソランは綺麗なの! 美の神リエンナも裸足で逃げ出す美女なのに!」


 突然、わっと泣き出す。私のソランなのにぃっ。あのムッツリスケベ、私のソランに何しやがったぁぁぁっ。ぐすぐすと鼻を啜る合間に吐き出された言葉は、要約すると、そういうことらしかった。

 なんだか良くわからなかったが、殿下に対抗心を燃やしているらしい。それはいつものことなので、特に気にすることもなく、体を起こして、居住まいを整えた。


「私に関する噂がいろいろ出ているようですね。どこでどんなものが出回っているのか、報告してちょうだい」


 マリーは鼻をかんでからソランの傍に跪いた。それへと耳を傾けるようにすると、小声で話しはじめる。


「主に王都での噂です。ここは王都からの旅行客が多いので、先程のような騒ぎになったと思われます。ただ、噂の伝播にはクレアの商人だけでなく、神殿も関わっているようですので、国内に波及するのは時間の問題だと思われます」

「ええ。それで?」

「大筋では、エランサの侵攻に第二王子とその婚約者が逸早く駆けつけ、追い払ったというものです。その中で、ソラン様の軍功が大きく取り上げられています。

先程も申し上げましたとおり、一人で千人の敵を薙ぎ払ったと。また、百人の乙女を助け出したとも。

そこから人物像が想像されて、殿下のそれまでの所業やソラン様が男装をなさっていたこと、視察で殿下をお救い申し上げたり、クアッド殿と手合わせした時の状況などから、熊や猪の化身のような語りようで」


 そこでマリーは涙声になり、鼻を啜りあげた。


「王都は第二王子の凱旋を待つ人たちで溢れています。王都を訪れた者は噂を聞いて、所用を済ませても帰らずに、噂をその目で確かめようと待っているのです」


 ソランは身を起こして、マリーを見つめた。


「熊も猪も素手で倒したことがあるのは知ってるでしょう? 美味しくいただいたじゃないの」

「そういう問題じゃ、ありませんっ」


 冗談に紛らわそうとしたが、失敗したようだ。溜息をつきつつ、正攻法に出る。


「あのね、虚飾はすぐに剥がれ落ちるものよ。背伸びしたってしかたないでしょう」

「ソラン様がお綺麗なのは、虚飾じゃありません」

「そんなもの、歳をとれば変わるでしょう。それに、為してもいない軍功を誇ることもできません。王都へ帰る時は、今日と同じ服装にしてちょうだい。私は目立つ必要はありません。今回の指揮を執られたのは殿下で、私はその命に従っただけです。軍に所属する以上、当然のことです」


 マリーは不服気に唇を尖らせた。恨みがましい目で見上げてくる。


「お願いね、マリー」


 マリーの好きな笑顔でにっこりとしてみせると、なんとも複雑そうに眉を顰めて、不承不承、わかりました、と答えたのだった。

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