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05*国王からの指名

 メイディと会ってからひと月後のこと。

 ノルマリスは、大神官に呼び出されていた。


 必要最低限の調度品がそろえられているが、殺風景な部屋だ。

 場違いだと責められているような気がして、ノルマリスは不安そうに眉をひそめた。


 悪いことをした覚えはないが、つい身構えてしまう。

 あの日――木香薔薇の聖女だと告げられた時のことを思い出すからだ。

 木香薔薇の聖女であることに誇りを持つようになった今も、忘れられない。


 花の女神ローゼリアから花の祝福を賜ったことは、喜ばしいことである。

 しかし、黄薔薇(ローズジョーヌ)の聖女になるために生まれたと言っても過言ではない生活を送ってきたノルマリスは、世界が終焉(しゅうえん)を迎えたような衝撃を受けた。


 耳を澄ませば、両親の関心が冷えていく音が聞こえてくるようだ。

 木香薔薇の聖女だと告げられた瞬間に聞こえてきたのは、ざぁぁぁっと波が引くような音。あるいは、パキパキと凍り付くような音だった。


 当時の記憶がこびりついているのだろう。不安でたまらなくなる。

 もっとも、傍目から見たらいつも通りの彼女だったが。


 穏やかに淡い笑みを浮かべた、エキゾチックな雰囲気を持つ女性。

 悲しい過去も不安も飲み込んで見せない、酸いも甘いも噛み分ける大人の姿だ。


 やがて、前方の扉が開いて大神官が入ってきた。

 小柄で老齢な男性だ。丸い小さな眼鏡が彼によく似合っている。


 大神官はノルマリスの姿を見て、ゆったりとうなずいた。

 よしよし、ちゃんといたね――と言うように。

 

「待たせてすまなかったね」


「いえ、お気になさらないでください」


 勧められた椅子に腰掛けると、早速本題を告げられた。


「話がある」


「お話、ですか……?」


 大神官の様子を見るに、悪い話ではないようだ。

 花の聖女にあるまじきうわさを耳にしたとか、そういうことではなくてホッとする。


「ああ。このたび、王太子殿下がご婚約することになってね」


「それは、おめでたいことですね」


 王太子であるチャールストン・ベアビアス・ブルームガルテンは十九歳だ。

 長すぎず短すぎない、清潔感のある焦げ茶色の髪。年齢のわりに落ち着きすぎている、穏やかなブラウンの目。

 目立つ容姿ではないが、悠然と構える姿には為政者らしい威厳がある。


 十六歳で成人してから、彼の婚約についてはさまざまなうわさが流れていたが、このたびようやくお相手が決まったらしい。


 お相手は、西の隣国アーホルンの末姫。

 豊かな金色の髪と新緑のような目が美しい少女だそうだ。

 まだ十三歳と年若いため、十六歳の成人を待って結婚式を挙げる予定だとか。


「国王陛下はとても喜んでいらしてね。国民とこの喜びを分かち合いたいと、地方へ花の聖女を派遣することを決定されたのだ」


「すばらしいことですね」


「そうだろう、そうだろう。そして、派遣する花の聖女の一人に、君を望んでおられる」


「え……わたくしを、ですか?」


 とても信じられなくて、ノルマリスはきょとんとした。

 そうするとキリリとした顔立ちが崩れ、途端にやわらかい雰囲気になる。


「ああ。木香薔薇の祝福は、未来の伴侶にふさわしい人物を見つけるというもの。王太子殿下の婚約祝いにぴったりだとお考えになったようだ」


 なるほど、考えてみればたしかに木香薔薇の祝福は婚約祝賀ムードにぴったりだ。

 王太子の婚約に触発されて、結婚を意識する若者が増えるに違いない。

 この祝いに一肌脱げるのならと、ノルマリスは笑顔で答えた。


「かしこまりました。精一杯、つとめさせていただきます」


「そうか、受けてくれて良かった。すぐにでも出発してもらいたいのだが、いつ行けそうだね?」


 ノルマリスだけなら、明日にでも出発できるだろう。

 義弟のルリエーブルは渋るだろうが、騎士見習いである彼は王都に残って騎士を目指さなくてはならない。

 しばしの別れを寂しく思いながら、ノルマリスはもう一つの懸念を口にした。


「予約のキャンセルをお伝えしなくてはなりませんので、どんなに急いでも来週になりそうです」


「む。それはいかんな。予約については担当神官たちに対応させるから、あなたは王命に専念するように」


 大神官の言葉に、ノルマリスははたと気づいた。


(……もしやこれは、日頃から掃除を押し付けてくる神官二人へのお仕置きになるのでは?)


 ぺこぺこと頭を下げて回る神官二人の姿を想像したら、少しだけ溜飲が下がった。


(性格が悪いと思われるかしら。ルリには知られたくないわ)


 念のため、再度確認しておく。


「よろしいのですか?」


「問題ない」


 大神官からそこまで言われては、任せるしかないだろう。

 神殿に戻ってきた時のことを考えると頭が痛いが、王命は絶対である。


 ルリエーブルに逃げようと言われた時は断固として拒否したというのに、なんとも変わり身の早いことである。


(だってわたくし、ルリエーブルの理想でありたいのですもの)


 かわいい義弟(おとうと)が抱いている、ノルマリスはすばらしい姉であるという幻想。

 ノルマリスはそれを、壊したくない。


「話は以上だ。なにか質問はあるかね?」


「派遣先はどちらでしょうか?」


「港町、ヴルツェルだ。その後は、時計回りにぐるりと国内を回ってもらう」


 大神官の答えに、ノルマリスはパチパチと目を瞬かせた。

 まさか、ヴルツェルなんて。


(これはきっと、偶然ではないわ。おそらく、彼女の……)


 急く気持ちを抑えて、大神官に退出のあいさつをする。

 部屋を出ると、廊下でばったりと出会った。頭に思い描いていた人――メイディに。


 いたずらが成功した子どもみたいな顔をして、メイディはくすくす笑っていた。

 エリナがやったらひどくいやみったらしく見えるのに、メイディだとかわいらしく見えるのだから不思議だ。これが年の功というものだろうか。


「良かったわねぇ、ノルマリスちゃん」


「はい。メイディ様のおかげです」


「そんなことないわよ。わたくしはちょっと提案しただけだもの。うまくいったのはきっと、女神様の(おぼ)()しだわ」


「そうですね。あの、メイディ様」


「なぁに、ノルマリスちゃん」


「このあと、お時間はありますか?」


「ええ、たっぷりと。一緒に感謝の祈りを捧げましょう。そのあとは、荷造りを手伝ってあげるわ!」


 そこまでは……と遠慮するノルマリスだが、メイディに譲るつもりはないようだ。

 会わない間にノルマリスがどんな目に遭っていたのか、知ったのかもしれない。


 遠慮しないでとロートレック侯爵家に押しかけたメイディに、両親はもちろんエリナも驚いていた。

 メイディが家族の気を引きつけてくれたおかげで、ノルマリスは誰にも邪魔されることなく旅の準備を終えることができたのだった。


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