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04*薄紅薔薇の聖女

 役目を終えて沈黙する木香薔薇の花を見つめながら、ノルマリスは憂いの表情を浮かべていた。


(困りましたわ……)


 ノルマリスは、ずっと悩んでいる。

 木香薔薇の祝福で受け取った『ヴルツェルで、あなたを待っています』というお告げのせいだ。


 花の聖女は、花を咲かせて祝福を使う。

 一年に及ぶ聖女訓練と、聖女として祝福を贈ってきた三年の間、ノルマリスは膨大な量の木香薔薇を咲かせてきた。

 だが、一度だって彼女自身に関するお告げを受け取ったことはなかった。


(それなのに、どうして今……?)


 ステンドグラスの塔で祈りを捧げた時、ノルマリスは自分のために木香薔薇を咲かせるつもりはなかった。

 ただ純粋に、月明かりに照らされたステンドグラスが美しくて、ここで祈りを捧げたら気持ちがいいだろうなと思って祈ったのだ。


 木香薔薇の祝福の効果は、祝福を受けた人の過去を読み、未来の伴侶にふさわしい人物を見つけること。


(つまり、ヴルツェルにわたくしの伴侶候補がいるということ……?)


 そのことに思い至ってから、ノルマリスは困惑と期待で参っている。

 頭の中はヴルツェルのことでいっぱいだ。おつとめが終わったあと、無意識に図書館へ足を向けてしまうくらいには。


(だってわたくし、恋をしたことがないのですもの……)


 ため息を吐くアンニュイな姿に色香が漂う美貌の持ち主だが、こう見えてノルマリスは初恋すら未経験のうぶな令嬢である。

 運命の相手がヴルツェルにいると言われたら、つい頭の片隅に置き続けてしまうくらいには、乙女な一面を持ち合わせていた。

 人は見かけによらないと言うが、彼女はまさにそれだ。


(このタイミングでだなんて。まるで、婚約破棄を待っていたかのようですわ)


 まさか、婚約破棄も女神様の(おぼ)()しだったのだろうか。

 思い浮かんだ荒唐無稽な考えを振り払うように、ノルマリスは持っていた花をポケットへしまい、書架を見上げた。


 ここは、神殿の隣に建つ図書館だ。

 花の聖女は地方に派遣されることもあるため、図書館にはさまざまな地方の資料がそろえられている。


 神官のためにつくられた施設だが、多くの神官がその役目を放棄しているようだ。

 図書館には、花の聖女の姿しか見当たらない。


(どこも同じということね……)


 目が合った聖女に会釈を返して、ノルマリスは目的の本を探した。

 彼女が歩いているあたりに並んでいる書架には、ブルームガルテン国南部地域の資料が収められている。


 ヴルツェルは、南部にある小さな港町だったはずだ。

 ブルームガルテン国にある景勝地の一つ――と記憶している。


「ヴルツェル……ヴルツェル……。あった、これだわ」


 書架から数冊の本を取り出し、抱え持つ。

 閲覧スペースへ向かったノルマリスは、持ってきた本の中で特に目を引くものを開いた。


「まぁ、なんて綺麗なのかしら……」

 

 ため息の出るような美しさに、ノルマリスは感じ入る。


 描かれていたのは、入り江のスケッチだ。

 黒の濃淡だけで描かれているが、それでも美しさが伝わってくる。


 画家の腕が良いのか、それとも景色が良いのか。

 きっとどちらもだろう。


 開いた本は、画家の旅行記らしい。

 訪れた場所のスケッチとともに、コメントが添えられている。


 そのままパラパラとページをめくってみたが、どのページもすてきだった。

 花の国ブルームガルテンらしく、どの絵にも花が描かれている。


(ここに、わたくしの運命の相手が……?)


 のどかで、あたたかそうで、ホッとする景色だ。

 運命の相手とは関係なく、一度は行ってみたいと思う。

 開いたページを指でなぞりながら、ノルマリスはぽつりとつぶやいた。


「港町、ヴルツェル。行ってみたいわ……」


 しかし、無理だ。

 ノルマリスの予定は、ずっと先まで埋まっている。

 なにか特別なことがない限り――王命や大神官の命で派遣されることがなければ――ノルマリスが彼の地を踏むことはないだろう。

 木香薔薇の聖女としての誇りを捨ててまで、行きたいとは思わない。


 ノルマリスは目をそらすように本を閉じた。

 音を立てたのはノルマリスなのに、拒絶されているような気がして胸が痛む。


 あとに残るのは、モヤモヤとした気持ちだけ。

 どうして調べてみようなどと思ったのだろう。調べなければ、こんな思いをしなくて済んだのに。


「帰りましょう。明日もおつとめだもの」


 本をまとめて席を立った、その時だった。


「あら、ノルマリスちゃんじゃない!」


「えっ?」


 いつ来たのだろう。

 振り返ると、妖精のように愛らしい女性がノルマリスにいたずらな笑みを向けていた。


 甘そうな薄紅色の髪に、ペリドットのような淡い緑色の目。

 華奢(きゃしゃ)で小柄な体に、庇護欲をそそられる。


 彼女のことを、ノルマリスは知っていた。

 メイディ・ハイス――薄紅薔薇(ローズローズ)の聖女だ。


 十代の息子がいるとは思えない、可憐(かれん)な容姿。

 堅物で有名なハイス侯爵が人目も(はばか)らず愛を告げる、妖精姫。


「お久しぶりです、メイディ様」


「ふふ。こんばんは、ノルマリスちゃん」


 メイディとの付き合いは、それなりに長い。

 薔薇の聖女の家門同士、お茶会などで顔を合わせることが多く、彼女はノルマリスのことを妹のようにかわいがってくれた。

 ノルマリスが木香薔薇の聖女になってからは、茶会へ顔を出すこともなくなり会う機会を失していたけれど。


「ねぇ、ノルマリスちゃん。あなたはどうして、ヴルツェルへ行きたいの?」


 どうやら、しばらく観察されていたらしい。

 それなのに気づかなくて、ノルマリスは恥ずかしさに頬を赤らめた。


「理由、は……」


 言うべきか黙すべきか、悩んだ。

 けれど、メイディの新緑のような目が「任せて」と言っているような気がして。

 気づくとノルマリスは、洗いざらい話していた。


「ふぅん。なるほどね、よくわかりました」


 話を聞き終えたメイディは、伸び上がってノルマリスの頭をよしよしと撫でた。

 今までの頑張りを褒めてもらえたような気がして、じわりと涙がにじむ。

 キュッと唇を噛み締めながら、ノルマリスは「ありがとうございます」とつぶやいた。


「ごめんなさい。久しぶりに褒めてもらえたから、うれしくて……」


 涙を拭いながら、恥ずかしそうに苦笑を浮かべるノルマリス。

 そんな彼女を、メイディはギュッと抱きしめた。


 恥ずかしいけれど、ぬくもりには抗えなくて。

 ノルマリスはされるがまま、じっとしていた。


「あのね、ノルマリスちゃん。一つだけ、聞かせてもらっても良いかしら?」


「はい、なんでしょう?」


「あなた、どこででも眠れるタイプ?」


「えっ? ええ、どこででも眠れますが……?」


 質問の意図がわからず、ノルマリスは面食らう。

 不思議がるノルマリスに、メイディはふふっと意味深な笑みを浮かべたのだった。


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