02*婚約破棄
なるほど、これがしたかったから付き添いを頼んだのね──とノルマリスは思った。
ブルームガルテン国の王都、女神ローゼリアの神殿前にて。
ノルマリスの婚約者、アリスター・グレイが声高らかに宣言している。
「ノルマリス、君との婚約は破棄させてもらう! 理由なら、僕が言わずともわかるだろう?」
彼の背に隠れるようにしてノルマリスを見上げているのは、妹のエリナだ。
つい先ほど、花の女神ローゼリアより黄薔薇の祝福を与えられたばかりの新米聖女である。
「なんと言いますか……締まりませんわね?」
宣戦布告とばかりにズビシと指差されたノルマリスは、あらあらと困り顔で頬に手を添えて小首をかしげた。
というのも、ここは神殿前にある大階段の上。
婚約破棄を宣言している婚約者は、階段を下りた先にいるのである。
「立ち位置をお間違えではないかしら」
こういった場合、上から下に向かって宣言するものではないだろうか。
公衆の面前で婚約破棄などというおかしなシチュエーションに、正解があるのか定かではないが。
ざっと見渡せば、見知った顔がちらほらと。
観客の配置には抜かりないようだ。
アリスターのどこか抜けているところをかわいらしく思ったこともあったが、今となっては錯覚だったと言わざるを得ない。
馬鹿な子ほどかわいいのは、身内に限った話。
婚約破棄を申し渡された今、アリスターとノルマリスの縁は完全に絶たれた。
戸惑いながらも意見を求めるように背後へ視線を向ければ、こくりと頷きが返ってくる。
ああ、良かった。ノルマリスの感覚は間違っていないようだ。安心した。
「ええと……ええ、おそらく。わたくしが木香薔薇の聖女だから、ですわよね?」
「そうだ!」
それ以外の理由などありませんものね。馬鹿でもわかる答えですわ、とノルマリスはうんざりした。
発端となったのは、四年前。
十六歳になったノルマリスは、両親に伴われて神殿へおもむいた。
今日の、エリナのように。
習わし通り、聖女の儀を執り行うためである。
ノルマリスの祖母にあたる黄薔薇の聖女が没して十数年。
次の黄薔薇の聖女はノルマリスに違いないと、両親をはじめ多くの人が思っていた。
人々の期待を一身に受け、ノルマリスもまた、そうなりたいと願っていた。
黄薔薇の花言葉は、恵み。
黄薔薇の祝福を与えられた歴代の聖女たちは、各地を巡って五穀豊穣を願い、豊かさをもたらしたと言われている。
しかし。
聖女の儀でノルマリスが咲かせたのは、立ち合いの神官たちが見たこともない花だった。
つる性の低木、棘がない枝。淡い黄色の小さな八重咲の花。
薔薇のようだが、大輪の黄薔薇とは異なる素朴な花。
数日後、大神官によって明かされた花の名は、木香薔薇。
異国固有の薔薇の一種だという。
花言葉は、幼い頃の幸せな時間、あなたにふさわしい人。
文献に残っていた祝福の効果は、対象となる人物の過去を読み、未来の伴侶にふさわしい人物を見つけること。
つまり──街の占い師と大差ない、ハズレの祝福だったのである。
(四年前からそれとなく婚約を破棄してほしいとお願いしておりましたのに……。あなたはとうとう気づいてくれませんでしたね)
突然の婚約破棄宣言だが、ノルマリスにとってはようやくといった心境である。
みんなが誕生を待ち侘びる黄薔薇の聖女ではないのに、どうして婚約破棄されないのか不思議だったが……どうやら、エリナが黄薔薇の聖女でなかった場合の保険だったようだ。
「わたくしと婚約破棄したあと、新たにエリナと婚約を結ぶということですわね?」
「そうだ! 僕の使命は、黄薔薇の聖女の血を絶やさぬこと。わかってくれるね? ノルマリス」
自分で言っていて、悲しくならないのだろうか。
これでは自ら種馬だと吹聴しているようなものである。
(そうならないように手紙やプレゼントを贈ったのに……。すべて水の泡じゃありませんか)
ちらと周囲に目を向ければ、足早に去って行く人々の姿が見える。あるいは、興味を惹かれて足を止める人の姿も。
ここは公共の場で、人が行き交っている。
堂々と婚約破棄を宣言するような場所ではない。
いかなる理由があろうとも、婚約破棄をするなら目立たない場所で行うべきだ。
ましてや、次の婚約を元婚約者の妹と結ぶつもりならば、なおさらである。
「言われないとわからないとか、阿呆なのか……?」
「髪色だけで選んだ人だから、頭までは……って、だめよルリ。そんなことを言っては」
ノルマリスから窘められ、傍に立つ美丈夫は無言で肩を竦めた。
彼の名前は、ルリエーブル。
下位の花の聖女には護衛がつかないからと、ノルマリスを心配してついてきてくれた騎士見習いの義弟だ。
すらりとした背は、高身長と言われるノルマリスより頭ひとつ分大きい。
護衛にしては細身だが、齢は十九。まだまだこれからといったところだろう。
温厚そうな目鼻立ちに、三つ編みにして片方の肩に垂らした菫青色の長い髪。
神秘的な印象を与える綺麗な黒色の瞳は、ノルマリスからしてみるとリスやネズミといった小動物の目のようでかわいらしい。
ルリエーブルは、ロートレック家が黄薔薇の聖女の護衛にするために引き取ってきた子どもだった。
幼い頃から「将来は黄薔薇の聖女様をお守りするのよ」と言い聞かせられていたため、ノルマリスを守ることが自身の使命だと思っている節がある。
木香薔薇の祝福を与えられた時、両親はもちろんノルマリスも「黄薔薇の聖女、あるいは高位の聖女に仕えるべき」と説得したが、彼は頑として聞き入れなかった。
聞き入れていれば、今頃は近衛騎士として活躍していただろうに。
言うことを聞かなかったルリエーブルのことを、ロートレック家は見限った。
どうして彼は、ノルマリスの護衛なんかに甘んじているのか。
わからないけれど、今ここにいてくれて良かったとノルマリスは思っている。
この茶番を耐えるには、一人では荷が重すぎるからだ。
「ああ、お姉様! エリナを許して!」
ほら始まった、とノルマリスは思った。
ため息を吐きそうになって、キュッと口を引き結ぶ。
「まさか私が、黄薔薇の祝福を与えられるなんて思ってもみなかったの! ああ、どうしてお姉様が木香薔薇で、私が黄薔薇なのかしら。できることなら、お姉様と変わって差し上げたい。運命って残酷だわ!」
左手を胸に当て、右手をノルマリスに向かって差し出す姿は、まるで歌劇の女王のようだ。
悲劇に酔いしれて、とても楽しそう。
(なるほど。アリスター様が立ち位置を間違えたわけではなくて、エリナのための立ち位置だったのね)
姉の嫉妬に耐える、けなげな妹。
エリナが演出したいのは、それだろう。
ノルマリスの目は、人によっては威圧感を覚えるらしい。
そうならないよう常から微笑みを浮かべるようにしているのだが、身につけた落ち着きのある雰囲気も相まって、なにかたくらんでいるように見えてしまう。
なにもしなくても高所から見下ろすだけで、意地悪な姉が完成というわけである。
エリナの目的は、ノルマリスが衆目に晒されながら婚約破棄されることだろう。
木香薔薇の聖女なら仕方がないかと嘲笑されることも期待しているに違いない。
(どこまで堕とせば気が済むのかしら)
エリナが、ノルマリスに対して並々ならぬ嫉妬心を抱いていることは知っていた。
まさか、黄薔薇の聖女になっても変わらないとは思ってもみなかったけれど。
ノルマリスは家でも神殿でも冷遇されているのに、これ以上どうしたいのだろう。
(これ以上となると、わたくしからルリを取り上げることしか思いつかないわ……)
もとより、ノルマリスはなにも持っていないのだ。
ほとほと困って、ついに小さくため息を吐いたその時だった。
「姉上」
「どうしたの、ルリ?」
「そろそろ、やめにしませんか」
ルリエーブルが言わんとすることを察して、ノルマリスは空惚けた。
「なんのことかしら」
ルリエーブルの表情がムッと歪む。
表情を取り繕えないなんて、まだまだ子どもだ。そんなところが、かわいいのだけれど。
「全部です。僕と一緒に逃げてくださいませんか」
幼い頃そうしたように、ルリエーブルの手が伸びてくる。
一緒に行ってほしい時、服の裾をちょんと摘まむ癖が彼にはあるのだが、まだ抜けないらしい。
本当は手をつなぎたいのだとノルマリスは知っている。
けれど、血のつながりがない家族という遠慮からか、あるいは主従関係を理解しているからか、彼は決して触れようとはしないのだ。触れたそうな顔をしておいて。
「でも、今日も明日も明後日も、ずっと先まで予約でいっぱいなのよ」
こう見えて、ノルマリスは人気者なのだ。
木香薔薇の祝福を求めて、やって来る者は多い。
「姉上の祝福は、ここでなくとも発揮できます。それに、僕は知っているんですよ。姉上が、神殿でも冷遇されていることを」
「あらまぁ」
まさか騎士見習いにまで知られているとは思わなくて、ノルマリスはわずかに眉を上げた。
「あらまぁ、じゃありませんよ。もう僕は、耐えられません。姉上を蔑ろにするなんて、とんでもない。今すぐ僕と王都を離れましょう」
「でも……」
何度も言うが、ノルマリスは人気者なのだ。
木香薔薇の祝福は場所を選ばないとはいえ、今すぐというのは無理がある。
一年先か、さらに先……それくらいでないと、新たな予定を立てられない。
「ノルマリス! 君はエリナの話を聞いているのかい⁉」
泣きも喚きもしないノルマリスにしびれを切らしたアリスターが叫んだ。
「ええ。しっかりと聞いておりますわ、アリスター様」
冷静に返すノルマリスに、エリナは悲劇のヒロインよろしくアリスターにしなだれかかる。
「いいの、アリスター様。きっとお姉様はまだショックから立ち直れていないのよ。私が黄薔薇の祝福を奪ってしまったから」
「エリナ、気に病むことはない。君はロートレック家の誇りだ」
アリスターとエリナのやりとりをどこか遠くで聞きながら、ノルマリスは思う。
当然だ。だってエリナは、黄薔薇の聖女なのだから。
これから彼女はたくさんの人に守られながら、大事にされていく。
(そのうちの一人に、あなたもなるのかしら……)
ふてくされた顔でノルマリスの傍らに立つ義弟、ルリエーブル。
彼ならばきっと、素敵な騎士になるに違いない。
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