10*木香薔薇のささやき
木香薔薇の聖女になって、四年。祝福を贈ることにもだいぶ慣れた。
聖女訓練を終えたばかりの頃はまだ力が安定していなくて、木香薔薇を咲かせられない日もあったけれど、今ではめったになくなった。
花の聖女によって祝福のやり方はさまざまだが、祈ることによって花が咲くという点だけは共通している。
空から雨のように花が降り注いだり、あるいは手のひらに出現したり。花の現れ方も十人十色だ。
木香薔薇の祝福は、開花する際に伴侶にふさわしい人物のヒントを教えてくれる――というものなので、ノルマリスは聞き逃すことのないように手のひらの上で咲かせるようにしている。
内緒話をするように、ノルマリスにだけ聞こえるささやき声で木香薔薇が教えてくれるヒントは、当然のことながら毎回異なる。
具体的なものもあれば、抽象的なものもあった。
ノルマリスが思うに、すでに伴侶と出会っている時は具体的で、まだ出会っていなければ抽象的になるようだ。
過去を読み、未来の伴侶にふさわしい人物を見つける――木香薔薇の祝福の性質を思えば、納得の理由である。
そういえば以前、占ってほしいとやってきた人たちが恋人同士だったことがあった。
いつもは断るところだが、神官の口利きとあっては断れず。
そんな時に限ってはっきりと「別れ」「新たな出会い」なんて声を聞き取ってしまい、答えに窮したことがある。
偽ることはできないのでそのまま伝えたが、恋人たちが別れ、それぞれふさわしい伴侶と出会うまで――ノルマリスは針のむしろに座るような思いをした。
もちろん、マリーンがそんなことをするはずがない。
どんな結果であっても、彼女は前向きに受け止めるだろう。
だからこそ、ノルマリスはいつもより少しだけ、前向きな気持ちで祈ることができそうだった。
「わたくしが祈る間、マリーンは心静かに待っていてね」
「わかりました!」
「では、」
呼吸を整え、手のひらを重ねて受け皿のようにする。
ノルマリスはそっとまぶたを落とすと、花の女神ローゼリアへ祈りを捧げた。
(花の女神、ローゼリア様……)
その時ふと、まぶたの向こうにいつかのステンドグラスが見えた気がした。
色鮮やかな薔薇に囲まれた女神の姿を思い浮かべ、ノルマリスは希う。
(マリーン・ケファの伴侶にふさわしい人物を、お教えください……)
手のひらに淡く感じる、木香薔薇の存在。
木香薔薇の祝福は問題なく花を現したようだ。
そのままじっと耳を澄ませていると、雑音が遠ざかっていくのを感じた。
木々のざわめきに鳥の鳴き声、風が草を撫でる音、マリーンの息遣い。
すべてが遠い彼方に過ぎ去って、ノルマリスと木香薔薇だけの世界になる。
木香薔薇はその時を待っていたかのように、ささやきだす。
声のようで、声ではない。
鈴の音のようで、鈴の音ではない。
例えるならば、幼い頃に想像した妖精たちの声だろうか。
落ち着いた女性の声のように聞こえることもある。
――灯台。
――魚のぬいぐるみ。
――約束。
聞き取れたのは、それだけだ。
ヒントは最大五つまで。マリーンへのヒントは、三つで十分ということなのだろう。
木香薔薇のささやきは大抵、このように曖昧である。
とはいえ、わかる人にはわかる内容のようだ。大体の人は、納得して帰る。
(マリーンは、誰かわかるかしら)
わかったら、すてきだなと思う。
灯台に約束だなんて、とてもロマンチックだ。
ノルマリスの脳裏に、ヴルツェルの入り江が思い浮かんだ。
あの場所で告白されたら、どんなにすてきだろう。
(暮れなずむ空。潮騒の音を遠くに聞きながら、大好きな人が耳元でささやくの。大好きです、姉上……って、間違っていますわよ、わたくし!)
どうしたことだろう。
なぜ、義弟の声で再生されるのか。
恥ずかしくて、穴を掘って埋まりたい。
(はぁ……ルリのせいね。大きくなっても、恥ずかしげもなく好きって言ってくるのだもの。ルリからしか聞いたことがないのだから、それは当然、ルリの声で再生されるに決まっているわ)
雑念を追い払うように息を吐き、肩の力を抜く。
そっと目を開けると、わくわくしているマリーンと目が合った。
ノルマリスは微笑みを返し、手のひらにある木香薔薇の花へ視線を落とす。
木香薔薇は語らない。あとはノルマリスが語るのみだ。
「木香薔薇の祝福は、未来の伴侶にふさわしい人物についてのヒントを教えてくれるわ。マリーンへ贈る言葉は、三つ……」
「三つ……」
ごくり、とマリーンが喉を鳴らした。
彼女の緊張をひしひしと感じながら、ノルマリスは告げる。
「灯台、魚のぬいぐるみ、約束……。これまで出会ってきた人の中に、思い当たる人物はいるかしら?」
灯台や魚のぬいぐるみという言葉からして、海の近くに縁があるのだろう。
これから向かうヴルツェルは、まさに港町。
運命的なものを感じるのは、ノルマリスの願望ゆえだろうか。
「灯台、魚のぬいぐるみ、約束……」
やがて、マリーンの口から「あっ」と声が漏れた。
どうやら、思い当たる人物がいたようだ。
今回も問題なく祝福を贈れたようで、ノルマリスは安堵する――しかし。
ホッとするノルマリスとは対照的に、マリーンはみるみるうちに顔を青ざめた。
「ど、どうしましょう、ノルマリス様……」
「えっ?」
震える声に慌てて顔を上げれば、真っ青な顔をして震えているマリーンがいた。
どういうことかわからず、ノルマリスは慌てる。
「どうしたの? マリーン」
「あた、あたし……運命の人を逃がしちゃったかもしれません〜〜!」
「ええっ⁉︎」