チ◯ゲ
何分が経っただろう。
ラケルが、ようやくあたりが夜になっていることに気がついて廊下にでたその時、薄暗い廊下に一対の青い瞳がぼうっと見えた。
当然廊下には明かりなどないため、月明かりを頼りに目を慣らしていくと、
「……リーゼ?何してんだ?」
ラケルが呼びかけると、リーゼはこちらに歩いてくる。
何分ほどそこにいたのかは分からないが、リーゼはそのことを気にかける様子もなくラケルの前に静止すると、
「喧嘩してたね。」
くりくりとした瞳で上目遣いをしてくるリーゼだが、今のラケルには全く効果がない。
スミスの親が転生者に殺されたという事情は気になるものの、やはり親のことを悪く言われて嫌な気分にならない人間はいないことは容易に察しがつく。
「おめぇのせいだろうが!」
リーゼに食い気味に突っ込むラケル。
別にラケル自身も怒っているわけではなかった。どのみち、自分が転生者の息子ということはバレていただろうし、皆に知られるなら早い方が良いとも思っていた。
しかし、今ではない。それはわかる。
「うう……だって、ママのことを悪く言われたら、つい……」
もじもじと体をくねらすリーゼ。
確かに、ラケルも彼女が言いたいことはわかる。親のことを悪く言われて黙っていられるほど、ラケルだって大人じゃない。
だが、リーゼとは家の境遇が違うのだ。
父は自分の過去については全く語らない。
話すのはラケルの母親の話と、神々と戦ったことくらいであった。それより前の、転生者としてこの世界にやってきてから神を倒すまでの冒険譚以外の話を、ラケルは全く知らなかった。
今思えばそれは、ラケルに変な気苦労をかけさせないためであったのだろうか…?
「とりあえず、帰ろっか?」
なぜか待っていた方のリーゼが先に帰りたそうにしている。
校門から二人で学校を出て、月明かりを頼りに帰り道を急いでいく。
町の出口にたどり着いたところで、リーゼが振り返った。
ラケルもそれにつられて、街の入口にある門を振り返る。
「神の抑圧から開放された地、モエナへようこそ!」
いつも見ていたこの文章だが、今見てみると少し異なった見え方をしてくる。
今日一日で転生者の概念がラケルの中で音を立てて揺れ動いていた。
ラケルの中で転生者=父親であったはずの方程式が崩れている。
「なあ、リーゼ。俺たちは神の支配から解放されたんだよな……」
ぼーっとラケルが眺める看板をリーゼも見上げる。
ボロボロの看板越しに星空がとてもきれいに見えた。
「あなたの父さんのおかげでね。私達が生まれる十年か、それ以上前の話だけど。」
そう言って、看板から視線を下ろし、ラケルの方をじっと見つめる。
「ねぇ、ラケル。同じ転生者の子供どうし、これからは協力していこうよ!よろしくね!今日待ってたのはそれが言いたかっただけ~。」
ケラケラと笑うリーゼの姿を見て、ラケルも傷ついていた心がどこか癒やされる。
「ああ、そうだな。よろしく。リーゼ。」
リーゼは最後までラケルの話しを聞くと、ラケルの住む集落と異なる方向へ歩いていく。
転生者=悪とする人との出会い、すなわちスミスとの出会いが間違いなく自分の中で転生者の位置づけ、あるいは父親の過去について深く考えることとなった一日であった。
その後、ラケルが帰宅した時には、父はとっくに夕食の準備を済ませていた。
一言、「ただいま」と告げ、手を洗う。
父、大勇者タクはただ「おかえり」と機械的に告げる。
「その様子は、学校で何かあったな?」
夕食を食べ始めてふと、父親が尋ねる。ラケルはぎくり、と身を震わせる。
「なんでも……ないよ。」
「12のガキが一丁前に悩み事してんじゃねぇよ。あれか?学校で出されるご飯が不味いとか、担任の先生が怖いとか……俺のときはチ◯ゲが生えてきたとかだったかなぁ……」
ラケルの脳天に血管が浮き出る。
「ご飯食べてる最中にやめてよ……チ◯ゲとか言うのさぁ!!」
フォークをコトリ、皿において更にタクは続ける。
「じゃ、真面目に当ててやろうか。今日授業で何かしら転生者について勉強をした。それも、あまり良くない内容のことだ。差別だの、奴隷だの……それで、ラケルは父親もそうだったのかと気落ちしている。もうな、父親ともなればお前の顔に書いてあることが読めるんだよ。」
歯に挟まった魚の骨を取りながら、タクは言い放つ。
なぜそれを……と聞くのはあまりにも野暮なのだろうか。
窓ガラスに写った自分の顔を見る。普段通りのように見えるが、タクはそのように見えてはいないらしい。
「……。」
なおも、ラケルは沈黙している。
自分のことだけではなく、リーゼのことやスミスとの一件が大きく胸にしこりとして残っている。
「……確かに、父さんはこの世界の人間じゃない。そして、転生者として言えることは、俺たちは他の誰とも変わらない、ただの生身の人間だってことだ。チ◯ゲだって生えるし、頭を割られたら死ぬ。ただ違うのは……ここだ。」
タクは心臓が位置するところの少し右側、つまり『核』が存在する部位を指差し、言った。
「この器官があるだけで、俺たちは人間じゃなくなる。少なくとも、この世界では核を持ってるだけで、ほかは人間なのに魔物と同じ扱いをされるらしい。」
ラケルは父親の発言に違和感を抱く。
どこか他人行儀の、『らしい』という語尾のせいだと気が付き、パサパサになった口をこじ開け、
「らしい、ってどういうこと?父さんは転生者で、言葉も通じないうちに憲兵に見つかって即逮捕されて……」
「そりゃあ普通の転生者の場合はそうなる。父さんの場合は少し特殊でな。とある人に拾われて、自分で言葉を覚えた。たまたま憲兵以外の人間に見つかったラッキーな転生者だったってことだ。」
どうやら、うちの父さんはリーゼの母親のように奴隷として売り飛ばされたり、捨て駒のように戦士として戦わされることもなかったらしい。
「……ふーん。そうなんだ。」
自分でも思ったよりそっけない答えが出た。
それには少し拍子抜けの様子で、タクも切り返す。
「そうなんだ、ってもう少し父さんの話に興味を示してくれてもいいんじゃないのかなぁ?」
それに反応することもなく、ラケルは黙々とフォークを口に運び続ける。
父さんは奴隷ではなく、使い捨ての人形として戦地に送り飛ばされることもなかった。
そう思うと、ラケルはどこか安心できたのだ。
父親は汚れていない。汚されていない。父親の言葉が、どこか自分を落ち着ける材料となった。
「……じゃあ、父親として一つだけ。」
ラケルの頭をきゅっとタクの方に寄せ、タクはラケルに優しく語りかけた。
「ラケル、もし転生者に対して恨みを抱いていたり、転生者がとても嫌いなやつがいたとしても、そいつに突っかかったりすることはやめてほしいんだ。」
その真っ直ぐな黒い瞳はラケルをまっすぐと捉え、離さなかった。
「子供達までそんな差別の意識や恨みを引き継いでいってしまったら、もう負の連鎖が止まらなくなる。それは、絶対に避けなければいけないことなんだ。」
ラケルがスミスと喧嘩をしたことを父親が知るはずもないが、その言葉は今のラケルにとって必要なものであった。
転生者が、転生者を嫌う人間を許してやってほしいと言っている。
スミスとこのまま残りの学校生活をギスギスしたまま過ごすわけにも行かない。
そういう意味でも、父は仲直りのため、息子の背中を図らずとも押してくれている。
「……わかった。頑張ってみるよ。」
ラケルは頷き、父は頭を何回か撫でた。
父が真面目な頼み事をする際は、必ずこうやってラケルの頭に手を触れ、目を合わせて願い事をする。
じっとこちらを見つめられると、どこか自分に素直な返事を返すことができるような感覚にラケルはなることができたのだ。
「よーし!なにか他に今日あったことを教えてくれよ!魔法はなにか習わなかったのか?」
暗い話はここで終わりだと言わんばかりの、明るい声で持ってタクはラケルに告げた。
「えーっと……右手を前に突き出して『投影』って唱えるんだ。そしたら……」
ラケルは立ち上がり、授業と同じように右手を突き出し、影を投影する。
眼の前の影にデコピンをすると、影は実習の通りに消えていった。
「どうかな、父さん……って泣いとる!?」
眼の前には目頭を抑える漢の姿。
「ついにラケルが魔法を……俺は感動しているぞ、息子よ……!」
この一瞬を噛み締めんとばかりにタクはラケルの方をまじまじと見て、再び目頭を抑える。
まいどまいど、この人はリアクションがでかすぎる。ただの親バカなのだ。




