さよなら
モエナ町から数キロ。
リーゼは小窓からぼうっと空を見上げていた。
「流れ星……?」
リーゼが目撃したのは、まっすぐに空へと伸びる虹色の輝き。
流れ星と呼ぶにはあまりにも距離が近いとわかってはいたが、あまりの美しさに息を飲む。
それがモエナ盆地でタクが放った『転生・大魔法』ことなど知る由もない。
リーゼは小窓から目をそらすと、冷え冷えとした石壁がリーゼとその母親を取り囲んでいた。
ここは地下室。その現実から逃避するようにもう一度リーゼは小窓から空を見上げた。
「ごめんね、リーゼ。私があの人に買われてしまったばかりに……。」
うつむく母親。
その憂鬱の原因は、奴隷だった母を買ったこの屋敷の主にある。
「おい!マリナ!とっとと部屋から出ろ!今日は儂の部屋でお前を抱いてやる。」
突然自分の名前を呼ばれて体がこわばるマリナ。
不安そうにリーゼは母親のことを見る。
「……大丈夫、大丈夫だから。」
そういう母の声は震えていた。
リーゼの父親は、母親を奴隷市場で購入してから母に乱暴ばかり働いている。
リーゼが小さい頃からこうやって母を呼びつけては無理やり犯しているのだ。
娘を産ませたのも、母に逃げさせないように娘を枷とするためだとこっそり聞いてしまった日には、リーゼは泣いた。誰にも迷惑をかけないように、ヒソヒソと泣いた。
「おい、何をしている……って、今日はガキもいるのか。」
豚鼻がよく似合う、豚のような体格をしたこの屋敷の主が地下室の扉から顔をのぞかせた。
リーゼは入学前は一日中外でいるようにしていたし、入学後も帰宅を遅らせることでできるだけこの男と会うことは避けていた。
しかし、今日、数年ぶりにこの男と出会ってしまった。
制服以外はろくに着るものがないリーゼは、ほぼ下着姿でへやにぽつんといた。それを見て、主は、
「なんだ……お前、ちょっと見ない間にもう『メス』になってやがったのか。ああ、抑えられん。お前たち両方ここで脱げ。ガキ、儂が女にしてやろう。」
そう言ってドカドカと地下室に入ってくる主。
リーゼは恐怖で声を出せない。初めて男が怖いと思った。
「やめてください!リーゼはまだ12です。どうか、私で勘弁してください……」
リーゼと父親の間に割り込むように、マリナが割り込んでくる。
「なんだ?お前は儂が買ってやったから今の生活が保証されているんだろうが!転生者の女など、性奴隷以外の使い道など他にないというのに!それともなにか?また奴隷市場に帰るか?」
刹那、リーゼの母マリナの顔色が変わった。
リーゼを守る母親の顔から、トラウマをほじくり返された転生者の顔へと豹変したのである。そして、
「ごめんね……リーゼ、ごめんね……」
マリナは小刻みに震える手で、リーゼの肌着にするりと手をかける。
「なにするの、ちょっと、やめて!」
ああ、地獄だ。リーゼは少女ながら悟ってしまった。抗うも地獄、従うも地獄。
「そうだ、それでいい……フヒッ。」
主は相変わらず欲情した豚だ。
リーゼにもはや抵抗する気力は残っていなかった。母のトラウマが、娘を想う気持ちに勝利してしまった以上、もうできることは残されていない。
「お母さん……」
青い瞳が、まっすぐにマリナを見つめた。
その瞬間、初めて自分の娘の表情をまじまじとみたマリナ。
怯えた瞳は、まっすぐに自分自身を捉えていた。
その瞬間、転生者ではなく、母としての自分が再び蘇る。
「……やっぱり、無理です。できません。」
ピタリ、リーゼの服を脱がせようとするマリナの手が止まった。
その瞬間、豚は溢れんばかりの性欲が今度は怒りになって現れた。
「なんだ?お前が無理なら儂がやる。おい、ガキと母を引き剥がせ!ガキを儂の部屋へ連れて行く!」
主のそばにいた屈強な侍従がこちらによってきて、無言で二人を引きはがそうとする。
「と、いうか。ガキがここまで成長してるなら、古いほうは捨てても構わんか……。おい、母親は殺してもいいぞ。ガキだけは生きて引き剥がせ。」
表情を一つ帰ることなく、男は母を掴む力をより強めた。
骨がきしむ。母が苦悶の表情に歪む。
「もうやめて!なんでこんなことするの!」
リーゼが叫ぶ。
主は全く心を痛める様子もなく、飄々とした態度を持って、
「なんでって……こいつが転生者で、お前が転生者の子供だからだろうが。恨むんなら、お前の母親を恨むんだな。この世界に呼ばれちまったその運命を呪いながら、死ね。安心しろ、お前の娘は儂が教育してやる。お前にやったように、ゆっくり、着実に……な。」
プチン。マリナの中で何かが切れた。
それは堪忍袋なのか、限界を指し示す計器なのかは分からなかったが、とにかくマリナは激昂した。
とっさにリーゼの勉強机から羽ペンを取り出し、自分を取り押さえる侍従に突き刺す。
何度も、何度も突き刺す。
「うああっァぁぁぁぁ!!!!」
男の鉄仮面のような表情が苦悶に歪んだ。
血が吹き出す。しかし、致命傷には至らない。
「……死ね。」
男はゆっくりと、
「……やめてよ。お母さんの首をしめないで。殺さないで。」
モエナの首を、リーゼの母の首を。
「お願い、やめてよ。」
締める。
バキバキ、骨がきしむ、いや、砕ける音がする。
最後に目線だけでも、リーゼに向ける。首は回せないので、右目だけ。
右目だけ笑顔を作り、
「リーゼ、逃ゲッッ……」
気管を握りつぶされたか、発声することもままならない。
母の表情を見て、今度はリーゼの中で何かが切れた。
それはリーゼの中で魔力の新たな流れを作り出し、心臓の鼓動とともに小さな身体に新たな魔力回路が供給されていく。
「やめてよォぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
その瞬間、わけも分からないまま男は吹き飛び、石の壁に大きくヒビをいれて背中から打ち付けられた
「なんだ……この力、いや、魔力は……!?」
リーゼの様子が明らかにおかしいことを感じた主は逃げようとするも、腰が抜けて動けない。
一歩、一歩とリーゼが近づくに連れて、後ろになんとか下がろうとするも、そこにはすでに壁がある。
「ああ、最低だけど、不思議な感覚。今なら何でもできる気がする……こうすれば、あなたも死ぬのかなぁ?」
右手を主にかざす。
すでに豚は失禁してしまっているが、それすらも気にならない様子で、
「やめッ、やめろ!お前の母は魔法が使えない転生者だと聞いたから買ったのに、そのガキが魔法を使うなんて、聞いてねぇぞ!悪かった!謝る!」
「謝るなら、お母さんに謝ってよ。さよなら。」
右手から放たれた魔力の衝撃波は、豚を粉微塵の肉塊へと変えてしまうほどの、威力と殺意にまみれた一撃であった。




