山神と花嫁
※性差別などの時代錯誤な表現あり〼。
見上げる空はどこまでも高く青く。
そこに虚ろで陰鬱な金属の音がろろろろんと反響していた。
祝いの魔よけが揺らされて奏でられている音。
男たちが山に入り、決められた種の大きな木を伐り倒し、その太く長い幹から5本の板棒を作り、先端を加工して、金属の細い板をたくさん付ける。
この村の結婚式に欠かせない魔よけ。
花嫁をさらいに来る悪魔から守るために、魔よけは結婚式から翌日まで鳴らすのがしきたり。
鳴らすのは花嫁の家族、花婿の家族、村長、世話役の2家が夜通しで交代しながら鳴らす。
今はその魔よけが完成して、試しに鳴らされているのだろう。
その音をどこか遠くに聞きながら、濃紺の長い髪を風に玩ばれながら娘はひとり高い石垣に座り込んで村を見下ろしていた。
この村が信仰する山神様は普段は山の祠で人の暮らしを見守っているが、冠婚葬祭時にはこの石垣にある神座に降りて来るのだという。
だからここは村全体を見渡せるほどの高さがある。
実り月にある村祭りでは神輿を担いだ男衆が、祠から山神様を乗せた神輿――中は空のままだが――をこの場まで連れてくる。
祭事だけは山神さまを連れてこなければならず、慶弔時は勝手に山を降りて来るらしい。
娘はそんな山神様を『自分勝手』な神様だなと小さな頃から思っていた。
山神の名を出せば何でも罷り通るのがこの村のおかしなところだ。
山神様は悪魔を使役する。大人の言うことを聞かない子は『悪い子』として山に捨てられる。
捨てられた子は悪魔が連れ去る。それも山神様が持っていって良いよと言うのだ。
そういう言い聞かせ方にうんざりしていた娘は、それに反発するため逆に親に反抗せず、大人しい良い子のように育っていた。
「はーあ」
「ユル、大きな溜息だねー。ほら受けとって」
ユルの目の前に、グミの実がとさとさっとさりと降ってきた。
「わ、わわっ。ちょっとシイナ! また取りすぎだよ!」
ユルは慌てて腰布を広げて受け止めた。山の恵みは村人みんなの物だ。取りすぎれば怒られる。
「なあに、山神様も新婚夫婦への贈り物だと大目に見てくれるよ」
シイナは柔らかく笑って、ユルの隣に座った。
ユルはグミを摘まんで口に入れていたが、シイナからたちのぼる血腥い臭いに気付いて、彼の筋骨隆々とまではいかないが、しっかり肉が程よくついて引き締まった身体におかしなところはないかを目で確認し始めた。彼はユルの恋人であり、もうすぐ夫となる相手だ。村中総出の結婚式準備もこの2人のためだった。
「怪我はない? いいの獲れた?」
「熊が獲れた。怪我もないよ」
「ええっ! 熊? お疲れ様、怪我がなくて良かったあー」
グミを頬張りながら目を丸くするユルにシイナはくっくっと声を抑えて笑う。
「……なあに?」
「元気なところはそっくり。やっぱり姉妹だよね、ユルとモイは」
言いながらシイナはユルの腰布からグミを掴んで幾つか口に入れ、種を飛ばした。
「……そう?」
モイを良く見てるのね、とユルは口から出掛かった言葉をグミの実と共にごくんと飲み込んだ。
モイはユルの3つ下、たったひとりの妹だ。
彼女はまだまだ幼い。この村で13歳ならもう殆ど大人のように扱われるが、モイは言動が子供っぽいため村の人たちからは悪い意味でからかわれている。
だけど両親にはそういう部分も愛される要素らしく、ユルには許されなかったことはモイに許されていたり、妹ではあるが可愛いとあまり思えなくなって長い。
ユルはちらり、とシイナの表情の変化を見る。
いつも通りの優しい笑み。彼はユルが知っている限り微笑んでいる顔ばかりな気がする。
……だけど。
ユルはこれまで見たことのないシイナの真剣な表情を何度か見たことがある。
誰にも分からないようモイを見つめる時だけ。
それはいつからだったか……ユルは記憶の蓋を開けてみる。覗いた先には現在よりもっと小さな自分が見えた。
* * * * *
ユルとシイナは幼馴染み。とは言え村の子供はみな幼馴染みと言っていい。
その中でも2人はもっと近しい関係だった。家が隣のシイナはユルよりひとつ歳上で、生まれた時からずっと一緒だった。
気付けば2人の下にはモイと、シイナの弟ナイナが加わって、いつでもどこへいくのも一緒だった。
それにモイはシイナにとても懐いていて、ユルよりもシイナの妹、と言ったほうがいいくらいだった。
ユルが11歳を越えて、家の手伝いや村の女たちと刺繍や縫い物なんかをする頃になると、4人で遊んでいた中でユルだけが除け者になったような気分になった。
あれは村祭りの準備で忙しい大人たちが、子供たちだけを広場に集めた時だっただろうか。
モイはシイナにべったりくっつきたがって、他の子に誘われても遊ぼうとしない。
ナイナも2人にくっついていたし、他の男の子たちもそっちに混ざっていくから、男の子の中に女の子がひとり。
そうなってくるとユルに対してモイの文句を言う子が出てくる。
男の子たちも、女の子たちが混ぜてほしいと言っても許さないのにモイには許すものだから、余計に女の子たちは取り入るのが上手いモイを目の敵にしていた。
「ユル、妹にちゃんと言ったほうがいいよ、あれじゃあ将来『あばずれ』って言われるよ」
「うん、ごめんね、言っておくから」
あばずれが何なのか、何がごめんなのかユルには分からない。だけどここで一緒になってモイの文句を言えば、姉が妹のことを悪く言うなんて、と家で両親に叱られるのはユルだったし、ごめんねと言わなければ女の子たちはユルに怒ってくる。
だから、ユルは悪くなくても謝らなくてはいけないし、モイを叱ってもそのせいで親から怒られるという理不尽な目にあっていた。
だから折角子供たちで集まっていてもユルはちっとも楽しくなかった。これなら家で自分が端切れで作った人形と着せ替え遊びをしていたほうがよほどマシだ。その人形もモイに見つかれば取り上げられてしまうけれど。
そんな風にやさぐれているユルをよそに、男の子たちと遊んでいるモイは山に入って野ウサギを追ったり、木枝を加工したもので石を野鳥に当てて遊んだりしていた。それで山道で転んで怪我をした。
ユルは両親にモイから目を離さないようきつく言われていたので、怪我をしたとナイナが走ってユルを呼びに来た時には真っ青になった。妹の怪我より両親の叱責が怖かった。
その後シイナがモイをおぶって山道を降りてきて、ユルの前で下ろした。
子供というのはわりと冷たく利己的な部分があって、その場にいた子供たちの殆どは逃げるように帰っていった。
山に入って近場で遊んでちょっと怪我をした程度はいつもの事だが、それがまだ小さな女の子となると親から叱られてしまう。
男の子同士は良いのだが、女の子は駄目だと言われている。だからいつも女の子たちを男の子の遊びに混ぜないのだけれど、今日はいつも皆の兄代わりのシイナが連れてきたモイがいて、彼から離れなかったから仕方なく遊んでいた、と男の子たちはシイナに責任を丸投げして帰ってしまった。
女の子たちもそら見たことかとさっさと帰っていった。
それでも心配して残っていた優しい子たちも中にはいて、モイが足を挫いたと聞けば、水で冷やそう、と手巾を持って連れ立って川へ行ってしまった。
シイナの背から下ろされたモイはといえば突然大声で泣き出したので、ユルは面食らっていた。
ナイナはそれを見てよほど痛いのだと思って、ユルの親を呼びに走っていったので、後に残されたのはユルとモイと、シイナだけ。
「痛いの! シイナ、おんぶして!」
「ね、ねえ、モイ。ワガママ言わないで。赤ちゃんじゃないんだから、シイナだって重いしさ、ね?」
ユルが宥めたが、モイは喚くばっかりで姉の言うことは全く聞いてくれない。ユルは困ってしまって思わず何か言ってくれないかなとシイナを盗み見た。
そのシイナは真っ直ぐモイを見ていた。とても真剣な表情で。すぐに目を逸らしたが、あんな表情のシイナをユルは初めて見た。
その後、川の水を浸した手巾を持ってきてくれた子たちが代わる代わる手当てをして慰めてくれたおかげか、モイは泣き止んだ。
迎えに来た母親に皆の前でユルは酷く叱られ、連れてきたナイナはバツの悪そうな顔をしていた。
モイは母親に背負われて、安心したのか疲れたのか眠ってしまったようだった。ナイナがユルたちの母の隣を歩いて、ユルは少し距離を置いて後に続く。
居場所がない、ユルはなんとなくそう感じた。
とぼとぼと歩いていたけど、ふと足を止めてみる。
前を歩く母を見ても、彼女は後ろを――ユルを振り返りはしない。やっぱり、とユルは呟く。
『悪い子は山に捨てる。捨てられた子は悪魔に連れさらわれて食われてしまう。悪い子を山神様は守らない』
小さな頃からこの村の大人たちは脅すように子供にそう言って聞かせる。
(私は悪い子だから、山に捨てられて、悪魔に食われてしまえばいい)
そう考えると胸が詰まって涙が溢れてきた。
目の前を行く母とはどんどん間が空いていく。ずうっと先に行ってしまった。普段は全く気にもならない脅し文句が心の隅々まで染み渡っていた。
(モイだけ可愛いから、私はいらない子だから)
それは謎々の正解のようにすとんと腑に落ちた。ごしごし、と目を擦って来た道を戻り始める。
広場には山神様の祠へと続く道がある。
男の子たちが遊ぶのはその道の近辺だけ。それを大きく逸れてしまえば山で迷ってしまう危険がある。
だからユルは山の奥に入ってしまおうと思ったのだが、意を決して戻り始めた彼女の腕を誰かが引っ張って止める。
「シイナ……っ」
ユルのすぐ後ろにシイナがいるのを彼女は失念していた。
「どこ、行くの? もうすぐ陽が落ちるよ」
微苦笑を浮かべたシイナはユルの腕を掴んだ手を離そうとしない。
「……お参りに行こうかなって」
「今から?」
怒ったような言い方にユルはたじろぐ。
「……私、悪い子だから。きっと山に捨てられる……」
はあああ、とシイナは大きな溜息を吐いた。
「わかった、じゃあ僕がついていくから」
「えっ?」
「ユルが山に捨てられるほど悪い子なら、僕も悪い子だ。一緒に山神様のところに行って、ユルが悪魔に連れていかれるなら一緒に行く」
「――シイナは悪い子じゃないでしょう?」
シイナは皆のお兄さん的存在だ。成人前でシイナより歳上の男の子たちはいるが、もう大人の仲間入りをしていて子供たちとはつるまない。だからシイナが危ない所では気を配るし、今日のように怪我をした子がいれば面倒を見る。
何もしない自分とは大違いで、ユルは後ろめたく仄暗い気持ちにげんなりする。
たったひとりの妹が怪我をしたのに、手当てをする気にはならなかった。他の家の兄弟姉妹は喧嘩をしても仲が悪くても、怪我や病気をすればとても心配するし何とかしよう、何とかしたいと思うものだと嫌になるほど見てきている。
だけどユルが今日思ったのは『お父さんとお母さんに怒られるだろうな』この一点。だから、ユルは悪魔に食べられる。悪い子だから。
シイナはユルの言葉には返事をせずにユルの腕から手を離す。すると今度は手のひらをしっかり握った。
そして黙々と歩きだす。
ユルの視界の端で山際を落ちていく夕焼けが見えた。
空に赤く溶ける夕陽がなんだかとても綺麗で、それだけで泣きたくなった。
2人は広場に戻って、山道を行く。祠までは少し距離があって道も歩きにくい。シイナはユルの歩くペースに合わせてくれていた。
その手は繋がれたままだ。
こんな風にシイナと――誰かと手を繋いだのはとても久しぶりで、ユルはその温かさにまた胸が詰まった。
(こんなにすぐ泣く子だったかな、私)
感情のままに泣くのは妹の仕事で、見ていて恥ずかしくなったユルは人前で泣く事自体を『恥ずべき事』と認識してしまったので、悔しくても辛くても悲しくても誰かがいると泣けなくなってしまっていた。
手を引いて少し前を歩くシイナを見ても、その表情は分からない。道に視線を戻して、石や木の根に足を取られないよう歩いた。
突然シイナが、あ、と驚いたように声を上げると急に立ち止まった。
「――なに、どうしたの?」
棒立ちのシイナの視線を追って見れば、奥の木の間をちらちらと白いものが過った。
「……あくま?」
胸がどくどくと脈打って、身体が震える。シイナの手に力が入って、ぎゅっとユルの手を握った。
「違う、違うよ」
少し上ずったシイナの声がどこか嬉しそうなのと、彼の否定の言葉に安堵したユルは白い影を良く見ようと目を凝らした。
白い影は山のずいぶん奥のほうに2体いて、どうやら番のようだ。身体の割に小さい角を持つのと、持たないのが寄り添ってゆっくりと歩いていた。
「……鹿?」
「山神様の祝福だ……」
――しゅくふく?
ユルにはいまいち意味が分からなかったが、2人で鹿がずっと奥に消えるまで見つめていた。
その頃には日も落ちて、夜闇がじんわりと山奥からこちらへとやって来ていたが、不思議と怖い気持ちはない。ユルはシイナとしっかり手を握り合って、祠にお参りすることができた。
結局この後悪魔がやって来ることもなく2人で山を降りたが、心配した両家両親が探しに来ていて6人で家路に帰ることになる。ユルの母は彼女を抱き締めてわんわん泣いていたし父も声が震えていた。
帰り道、シイナがユルと共に白い番の鹿を見たとお互いの両親に言えば、彼らはすごく喜んでシイナも誇らしげにしていた。だけどユルは2人だけの秘密にしたかったなと、胸がちくりと痛んだ。
当然、白い鹿の話はモイにも伝わる。
「いいなあ、お姉ちゃんばっかりシイナと見に行ったの? わたしも行きたかった!」
それを聞いた両親は珍しくモイを叱りつけたが、叱られたモイはもちろん、ユルも何故そんなに親が怒るのかこの時は分からなかった。
だがモイはこの日以降白い鹿に執着し、その意味を知って後にはよりそれが酷くなりユルは辟易することになる。
『実りの月に山神様の祠近くで白い鹿を見た2人は幸せな夫婦になれる』と言う。ユルは十三歳を越えて意味を知らされたものの、かなり冷静に受け止めていた。
なぜなら、悪魔はいなかったということを知ってしまったからだった。
ユルは良い子ではない、それは自分で良く分かっていたのに拐われないし食われもしなかった。だから白い鹿についても信じていないし、山神様についても信仰心は薄れていた。あれだけ恐れていたものが、一気に子供騙しの陳腐なものに感じてしまっていた。
両親との関係はあの日に修復されたように見えて、それなりに期間があるから蟠りは残っていたし、妹に甘いところは直っていない。
そしてシイナはあの日からユルの恋人になった。
ハッキリ何かを言われたわけではない。あの日を境に彼はユルのために贈り物を持ってくるようになったし、周囲からもあなたたちはお似合いの恋人同士ねなどと言われるようになったからだ。
シイナはユルのために山の実りをとてもたくさん持って帰って来る。不思議とシイナが山に入ると実が鈴生りの果樹を見つけるのだと言う。シイナから聞いて他の村人が捕りに行ってももう獣や鳥に食われた後なのだとか。
特にユルの好物のあけびやいちじくは大豊作になるらしく、その時期になれば籠いっぱいに捥いでくる。
ただ、一番に山から降りたシイナを迎えるのはモイなのでシイナは幾つかモイに渡していた。
そういう時のシイナは真っ直ぐモイを見ていて、同じく迎えに出たユルは何だか胸がさわさわと落ち着かなくなってしまうことが多かった。
毎年実りの月の祭の時も。
ユルはシイナと2人で祠にお参りしなさいと送り出されるのに、すぐにモイが合流してきて、その後ナイナも来る。
モイは白い鹿を探したいのだろう、シイナと2人になりたがり駄々を捏ねる。ナイナが呆れた顔で諭しては2人の間に入る。
こんな時ユルは3人から少し離れてシイナの顔をそっと盗み見るのが癖になっていた。
彼はやはり真剣な眼差しでひた、とモイを見据えている。シイナはユルをそんな風に見つめたことは一度もない。
――本当に私たち恋人同士なのかな。白い鹿を見たからそうなってしまったんじゃないのかな。
そう考えてしまうユルは、もうシイナを今までのような家族に近い好きとは違う、明らかな恋心を抱いていたし自覚もしていた。
だからこそあの強い視線の意味を深く考えてしまう。
(このまま黙ったままでいれば……)
知らない振りをしていれば、ユルはシイナのお嫁さんとして幸せになれる。
(私は幸せになれる。でもシイナは?)
モイはユルとシイナは恋人同士だから、結婚するからと言われても一向に諦めない。それはシイナがモイを拒絶しないせいもあるだろう。
(モイに気持ちが残っているから、なのかな)
そう思ってもシイナの本心を聞くことはできないままだった。
* * * * *
「……あのね、シイナ」
ユルは俯く。これから答えがどちらであっても酷く嫌な質問をしなくてはいけない。
記憶を辿れば、やっぱりシイナの瞳はモイを捉えていたようにしか思えない。
あの日に私と白い鹿を見たせいで、私がひとりで山に行けば、私が妹と家にいれば良かった、そもそも。
――生まれてこなければ。そうすればシイナはモイと幸せに……。
モイが白い鹿をあんなに見たがるのは、本当はシイナとモイが見るはずだったのでは? とユルは思い始めていた。
「だめだよ、ユル」
目元にシイナの指が触れた。それで自分が涙を流していることに気付く。
「ユルを不安にさせてるのは分かってる、だけど、ごめん。結婚式の後まで待って」
シイナは困ったように微笑って、ユルの頬に口付けた。
「モイのことは妹としか思ってないよ。せめてこれだけでもはっきり言っておけば良かったね、僕の落ち度だったよ」
「シイ――」
ユルが口を開こうとした時、シイナの顔が視界いっぱいになって、とうとう閉じた目蓋だけしか見えなくなった。
ユルの唇にシイナの唇が重なって離れた。
少しひんやりとして、厚みは少ないそれは名残惜しそうにユル、と彼女の名を紡ぐ。
「本当は結婚式までしちゃいけないんだよね、口付け。だけど恋人同士になったらするものなんだって」
ふふ、と悪戯が成功した時のように微笑むシイナにユルは何も言えない。
ただ、首から上が熱い。まるで熱が出たときのように暑かった。
「ユルがもう神様も悪魔も――何も信じてないのは知ってる、だけど僕を、僕だけは信じてほしい」
そう言って抱き締めるシイナの腕の中で、ユルは真っ赤になって頷きながら、存外に自分がチョロいことに気付いて悶えていたのだった。
そうして三日後、無事結婚式を終え初夜を迎え、しゃらららん、かろろろんという魔よけが揺れて奏でる祝いの音を遠くに聞きながら、2人は布団の中で微睡んでいた。
くたくたの身体は祝い酒を飲まされたこともあり、もう眠ってしまいたいと訴えるがシイナの話はこれから始まる。
うと、うと、と油断すればユルの上目蓋は下目蓋とくっいたまま離れなくなりそうだった。
「ユル、起きてる?」
シイナの声は今までのどれより甘く優しく耳を打つ。ユルが頷くと、彼の手が頬を撫でた。
「僕はね、山神様に願掛けしてたんだ。ユルと結ばれますようにって。ユルと結婚したいです、幸せになりたいですって」
「……知らなかった」
シイナはうっとりとした様子でユルの輪郭から唇までを指先で往復していた。
「うん、だろうね。僕がまだ10歳くらいだったかなあ。その夜の夢にね、山神様が現れたんだ」
「……えぇ?」
一気に話が胡散臭くなったぞ、とユルは眉根を寄せる。
「山神様の言うことを守れば、願いを叶えようって。僕がユルへの気持ちを結婚式が終わるまで口に出さないことが条件だって」
「うん?」
それはかなり難しいのでは? とユルは思ったが、今現在自分がどこで何をしていて、式を終えて夫となって隣にいるのは誰か、それに気付くと穴を掘って埋まりたくなった。
つまりは山神様の思し召しかは分からないが、気持ちをはっきり言われないまま結婚してしまうチョロい女がいるわけで――とユルは心の中で悶絶した。
「だから僕の想いを形で表すために花嫁の好物の果樹は豊作に、花嫁の家に贈る獲物は豪勢に、白い鹿は番で見せてという大盤振る舞いもねだったら叶えられた」
「……わあー」
ユルの棒読み感嘆も山神様に許されるだろう。確かにそう言われれば山神様のご加護がなければ偶然で片付けるには無理かもしれない。
しかしそこまで愛されてるのは嬉しいけれど、とユルはずっと聞きたかった事を聞くことにした。
「でも、モイを見つめていたのはなぜ? あんな風に強く見てるから、てっきり……」
「見つめる?」
「シイナがモイを真っ直ぐ見つめることは何度かあったよ。だから、てっきりシイナはモイと両想いなのに私と鹿を見たから結婚することになったのかと……」
ユルがそう言うと、シイナはぎゅうぎゅうと彼女の身体を強く抱き締めた。
「――僕を軽蔑しない?」
「た、多分。内容によってだけど」
「悪い子か見極めてた」
「え。――え?」
「あの妹のせいで、ユルはずっと辛かっただろう? だからワガママを言う度に、悪い子かどうか見極めてた」
「見極められるものなの……」
「山神様が見てたからね」
「見てたんだ……」
「本当は悪魔に渡すこともできたんだけど。ほら一応ユルの妹だから。そこは山神様も折れたよね」
「……は?」
「――ユルは山神様に愛されてるんだよ? 僕の願いを叶えてくれるのもユルが幸せになるならって条件。言葉を伝えないでも結ばれたなら、それはきっと強い絆になるからって」
「ちょ、ちょっと待って! 私が愛されてる? 山神様に?」
眠気がいっぺんに覚めたユルは、布団から起き上がるとシイナの上に覆い被さって胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いだ。
「そうだよ。よく愛し子だとか加護とか言うけど、神様や精霊なんて気まぐれなんだよ、とってもね。だからその子が清らかすぎても悪すぎてもダメなのかもね」
ユルをいなしながら、何でもないことのようにシイナは言う。
「精霊は愛し子を守る? とんでもないよね。精霊は気に入ったら自分のとこに引きずり込む、が正解だよ。山神様って呼ぶけど、精霊だからね。そして精霊の世界には生きた人間のままでは入れない」
声の出ないユルを置いてシイナは話を続ける。
「ユルがそうされなかったのは、ユルが山神様を信仰するのをやめたからだよ。完全にやめたのは一緒に鹿を見た日からだけど、もうその前からあんまり信じてなかったでしょ?」
しゃらららん、と高い金属音がはっきりユルの耳に聞こえる。
「ユルは行き違いとは言え、ちょっと家族仲良くなかったから。神様に祈ってどうなるの? みたいな気持ちのほうが強かったよね。山神様よりは悪魔のほうに気持ち持ってかれてたし。だから、山神様も引っ張るのやめて、そっちで幸せになれよって思ったみたいだよ」
「え、何その別れたヤバい男感」
「だよねえ。でもそう言いながら隙あらば引っ張ろうとはしてたけど。まあユルは僕と結婚してくれたし、好きになってくれたから、もうそんな余計なことはさせないから、安心して」
あいつとは長い付き合いだったからよく知ってるんだよね、と良い笑顔で言いながら起き上がったシイナはユルをゆっくり押し倒す。
「ずっと昔から好きだよ、顔や声、性格とかそういうことじゃないんだ。そのままユルの全部が好きだ。いつ、どうしてなんて理由で好きになったんじゃない。気付いたら好きでたまらなくなってた。だから良い子でも悪い子でも何でもいい、ユルであれば全部僕が受け止めてあげる」
思いがけない最後の告白は、花嫁がずっと望んだ真剣で自分だけに向けられる熱のこもった眼差しで紡がれた。感極まった彼女が私も、と口に出……せたかどうかは分からない。花婿がとびきりの笑顔で覆い被さってしまったから。
かろろろん、りろろろん。
魔よけの音は一晩中鳴り響いていた。
山神の縁結び
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妹モイが主役です。
↑どストレート恋愛を目指したので短いです。
虐げられ系ドアマットヒロインではなく、よくあるお姉ちゃんの苦労と家族の気持ちの行き違いなので、妹も別にクレクレ大魔王ではありません。ちょっと家族間ギスってるだけで。よくある話。
精霊の加護や愛し子云々についてはまあ持論です。水木しげる先生の世界の妖怪みたいな本ばかり読んで育ったので……。
恋愛は読むのは好きで書くのは苦手なので頑張って練習しています。
たくさんある中から見つけて読んで頂きありがとうございます。
気に入って頂けたら☆評価等宜しくお願いします。励みになります
©️2022-桜江