小説って自分の理想も入ってるんだなあ
「そういや最近異世界……転生とかが流行ってるんでしょ?」
「あー私が小説投稿してる『小説家になろう』っていうとこでアニメ化された作品が転生系でなろう系って言うんですよねー」
「へーなろう系って言うんだ。でも……なんか、転生ってあれだよね……。死んで……それで異世界でやり直す……」
「あー……(苦笑)」
「……しかもみんな社畜って言い方悪いけど……あの仕事で疲れたような人何でしょ?」
「それがトラックではねられて異世界転生パターンが多いです」
「なんかねえ……今の現代人の理想、みたいな」
「ああそうなりたい、みたいな感じですよね?」
「やっぱり転生してやり直したいっていう気持ちがあるのかなァ……」
上の会話は、とある日の私と国語の先生との会話です。
私が小説を書いていることは知っています。そのうえで話していました。
ですが、投稿しているとはいえユーザーネームは言ってないんですけどね。
別に今回はなろう系がどうのこうのとかじゃないんです。
思うとこはありますがそれは人それぞれなのでここでは控えておきましょう。
ただ、なろう系といい、小説を書いていると自分の理想が入ってしまうのではないかと思うのです。
どちらかというと、やはり主人公って自分よりだと思いませんか?
成り切って楽しんでいるとかではないかぎり、大体主人公は自分が反映されてると思うんです。
そうなると、自分の姿を小説に投影すると、「ああこうしてカッコよくさせたいな……」とか出てきてしまうんですよね。
そうなると自分が願う「自分の理想の姿」を自然と書き出していくと思うんです。
なろう系もきっとそういう感じではないのでしょうか。
そんな理想の共感があるからこそ、書きやすく、読まれやすく、『流行り』になるのではないでしょうか?
きっと貴方の小説も理想が混じっている可能性だってあります。
小説って一種の作者の鏡、かなあと思いました。