第3話 迎え
だんだんと寒さが厳しくなって、家にいることが増えた。父さんと母さんは休みが少し減って、ばたばたと忙しそうにしている。
もうすぐ、冬がやってくる。
ここ最近は何もすることなくぼんやりしたり、テノ兄さんの世話になったりして家で過ごしていた。
けれど、今日は違う。
朝食後にこれに着替えなさいと渡されたのは、普段着の中で1番綺麗な服だった。
自分で着替えようとして、最近世話をすることが楽しいらしい兄さんに着替えさせられ、そのまま2人で遊びながらその時を待つ。
「レネア、準備できた?」
「うん!」
そしてしばらくして聞こえてきた母さんの声に兄さんが返事をして、手を握られて母さんの下へ向かった。
「うん、バッチリね!」
「エルトが着いたそうだ。テノ、レネア、兄さんを迎えに行くぞ!」
「うん!」
「はぁい」
今日は、1年半ぶりにエルト兄さんが帰ってくる日だ。夜か、もしかしたら明日になるかもしれないと言われていたけど、正午の鐘が鳴る前に着いたみたいだ。朝から準備をしておいてよかった。
扉の前でさらに1枚マントを被せられ家を出る。にこにこと上機嫌なテノ兄さんは父さんに、私は母さんに抱っこされ、寒い町中を少し急いで歩き出した。
魔蝕種を倒す力、聖力を持っていたエルト兄さんは、7歳になる去年の春から聖騎士学舎へ通いに家を出ている。
2年近くいなかったエルト兄さんが今年は帰ってくる、と告げられたテノ兄さんは、始めはあまり記憶にない人が来ることに不安そうにしていた。
でもエルト兄さんと遊んだことを母さんと父さんに教えられて少し思い出したのか、「兄」という存在に憧れたのか、具体的な日にちを教えられた日からずっとご機嫌だ。
「にーさんに会える?」
「そうだぞ」
「にーさんもとーさんみたいにつよい!?」
「はっはっは、どうだろうなぁ! 父さんも負けないぞぅ!」
今もきゃあきゃあと騒いで、道行く人の微笑ましい視線を集めている。ついでにブタも寄ってきている。
もちろん父さんも母さんも楽しみにしているようで、ここ最近はずっと、家の雰囲気が普段の倍以上に明るかった。
その空気に当てられたのか、私もどこかそわそわと落ち着きがない日々が続いている。たぶんこれを、「楽しみ」と言うんだろう。
私はエルト兄さんをどちらかと言えば好ましく思っていて、長期間会うことができなかった。そう考えると期待という変化を心が起こしているのだと思う。
なるほど、と初めての心の変化を自己分析していると、ふと遠くに視線が吸い寄せられた。
今、何か気にかかったような?
と、よく目を凝らすと、1人歩いているのは時折見かける近所の男の子だった。
とは言っても話したことも遊んだこともない。たまにぽつんと1人遊んでいるのを帰り際に見かけるだけで、彼から話しかけてくることも遊びに入ってくることもないのだ。
「どうかした?」
「みることがある、こ? いた」
「あら、お友達? どこかしら」
母さんがきょろきょろと辺りを見回すけど、残念ながらすぐに人混みに紛れて見えなくなってしまった。
「いなくなっちゃった」
「いなくなっちゃったの。そう、残念ねぇ。母さんも一言挨拶したかったのに」
そうは言っても……。目が合ったことはあるけど、全く知らない子だから挨拶されても相手も困ると思う。見えなくなってよかった。
それにしても、歩き始めて体感30分くらい経つけど、彼の家はこっちの方なのかな。3歳くらいになると1人で外に出す家も多いみたいだけど、大きく見積もって5歳くらいだとしても結構な遠出をしているのでは?
と考えて、見慣れない建物があることに気づいた。そういえば、普段は家の近くまでしか外に出ないから、こんな遠くまで来たことがない。去年のエルト兄さんの門出は父さんが送りに行って私たちは家でお別れだったから、外には出ていないし。
そう思い至って、興味を少し刺激されて母さんの腕の中から少し身を乗り出す。するとその瞬間ビュウと一際大きな風が吹いて、肌を撫でたその冷たさに慌てて首を引っ込めた。
「いやぁ、それにしてももうすっかり冬の様相だな!」
「いつの間にか9『メド』だものねぇ。もうすぐ1『メド』よ」
「えっ」
さみー! と悲鳴を上げたテノ兄さんが私を呼ぶのが聞こえるけど、それに答えている余裕はない。
「メド」は初めて聞く単語だから意味はよくわからないけど、たぶん会話の流れからして暦の関係だと思う。日本語に当てはまるとするなら年の下で、つまり…………今は9月?
いやでもあと5週間くらいしたら年越しで、母さんも1なんとかって言ってるし……? どういうこと……?
「かぁさん」
「あら、どうしたの?」
「『めど』ってなに?」
わからなければすぐに訊くに限る。
突然慌てて声をかけてきた娘に母さんはびっくりしたようだったけど、悩みながらも噛み砕いて教えてくれた。
「『メド』っていうのはね、時間の単位のことなの。って言ってもわからないかしら……。毎年、この時期にお祝いをするでしょう」
「としこし?」
「あら、よく覚えてたわね! そう、年越しは、1年の終わりと始まりを祝う日なの。その年越しと年越しの間、1年を9つに分けたのを『メド』って言うのよ」
つまり、前世で言う月と同じようなもので合ってる。1年12ヶ月だったものが、この世界では9ヶ月らしい。
だから今が9「メド」ってことは、やっぱり地球上の暦だと12月あたりってことかな。
「ちなみに1『メド』が40日、その40日をさらに4つに分けた10日が1週間だな」
「ちょっと、ランデル。……ふふ、難しいわよね。学び舎……では学ばないかしら。でもみんなが話してるのを聞く内にだんだんわかってくるわよ」
2人に曖昧に頷きながら、内心茫然とする。
ずっと、気にしてもみなかった。父さんがそもそも不定休で、前世の感覚が当たり前だったから母さんやテノ兄さんの休日もおかしく感じてはいたけど、そういうものだと受け入れてしまっていた。
「週」は「今週」や「1週間」などをたまに聞くから覚えていたけど、そもそもそれが10日なのも知らないくらい大きな時間が会話に出てくることが少ないのだ。でも今思えば、たまに聞く10個の色のついた言葉が曜日だったのだろう。
それにしても、3年半以上経ってやっと時間の概念が違うことに気づくって……。必要性がなかったとはいえ、鈍すぎる。
この衝撃があれば忘れないな、と思いながら「『メド』が《月》、『メド』が《月》」と頭の中で繰り返しながら道を進む。すると少しして父さんがおっと声を上げ、それに釣られて反芻を中断し、顔を上げた。
「ほら、あそこが門だ。あの奥にもう少し場所が広がっていて、そこにエルトもいるんだぞ」
真っ直ぐ開けた一本道の先に、小さな門が見えた。その戸が開いたままの門の左右には高い外壁が続いており、町の外の景色は見えない。
町がこんな風になっているとは、知らなかった。初めて見る光景にまじまじと見つめていると、小さいと思っていた門がどんどん大きくなってきて、いつの間にか目の前まで来ていた。
「こんにちは。先ほど報せをいただいたマーセインです。遅くなってしまって申し訳ない」
「こんにちは! いえいえ、全然大丈夫ですよ。マーセインさんですね、こちらへどうぞ。息子さんがお待ちかねです」
2人立っていた門番の内の1人に父さんが話しかけると、にこやかに対応した男の人が先立って歩き出す。
何を話しているんだろう。何となくわからないこともないけど、普段と少し言葉が違って細かい部分はわからなかった。
門番と父さんに続いて母さんに抱かれたまま門を潜ると、そこには父さんの言った通り少し狭い場所が広がっていた。左壁には小さな建物があり、右壁には大きな馬車が1台停めてある。そして正面にはさらに奥に鉄格子の下りた門があった。
「すげー!」
「はは、珍しいもんな」
「うまだ! とーさん、うまがいる!!」
「大きいなぁ。でも残念、行くのはあっちだ」
色々なところをちらちらと見ながらも気になるのは馬車で、あそこにエルト兄さんが、と思ってそちらに目が向く。けれど案内された先は左壁にある建物だった。
壁に沿って横に長い建物の中に入ると、少し暖かい空気が冷たい体を包む。それにほっと息を吐いた瞬間、人々のざわめきに混ざって高い「あっ」という声が聞こえた気がした。
「エルト!」
「にーさん!? どこ!?」
「そこだ、ほら」
すぐに気づいた父さんがエルト兄さんの名前を呼んで、指差しで教えながら抱いていたテノ兄さんを地面に下ろす。
「ほら、レネアも」
テノ兄さんは下りると一瞬不安そうにしたものの、すごい勢いで駆け寄って行く。その様子に呆気にとられていた私も、母さんに下ろされてしまった。
このまま運ばれると思っていたけど、下ろされたなら仕方ない。テノ兄さんの後をついていくように、私もとてとてとエルト兄さんの方へ向かう。
エルト兄さんは馬車が着いてからここで待たせてもらっていたのか、いくつかの大人のグループとは離れたところで、木の実のジュースらしき飲み物をテーブルに置いて座っていた。
「エ、エルトにーさん!!」
「テノ、レネア。……久しぶり、ただいま。元気にしてた?」
「おかえりなさい!! うん、すっごくげんき!!
「おかえりなさい」
「あ、あのね、あのね! はなしたいことがたくさんあるんだ!!」
そういえば、エルト兄さんが家を出る前は私はほとんど喋れなかったから、きちんと話すのはこれが初めてだ。
今更気づいたことに少し戸惑いながら私もエルト兄さんに声をかけたけど、テノ兄さんの元気がよすぎてかき消されてしまった。
エルト兄さんに聞こえたかな……。というかこれ、テノ兄さん止まらないんじゃ?
と思っていたら、父さんたちもすぐに来て私とテノ兄さんの頭をぐしゃりと撫で、テノ兄さんが止まる。そしてエルト兄さんの脇に手を差し込むと、勢いよく持ち上げてからぎゅうと抱き締めた。
「久し振りだなぁ、エルト! 元気にしてたか? 大きくなったなぁ!」
「ほんと、すっかりたくましくなっちゃって。お帰りなさい、エルト」
「ただいま、父さん、母さん」
大人びて見えるエルト兄さんが、私たちに見せたお兄ちゃんの微笑みよりもさらに崩して綻ぶように笑う。
テノ兄さんみたいな満面の笑みではないけど、そうだ。こういう風に優しく笑う人だった。
慣れない生活、わからないことばかりの目まぐるしい3年で少し霞がかかっていた記憶が、少しずつ蘇ってきた。
「じゃあもうちょっとだけここで待っててくれ」
このまま帰るのかなと思ったら、すぐにエルト兄さんを下ろした父さんが御者らしき人のところへ向かう。
その背中を見送っていると私は母さんに抱えられ、そのままエルト兄さんの正面に座ってしまった。母さんに促されたテノ兄さんもエルト兄さんの横に座って、再会を喜んで話しだす。
「どう? 馬車旅も疲れたでしょう」
「おしりがちょっと痛いくらい。いつもの生活とはちょっとちがうつかれもあるけど、いつもの訓練のほうがもっと大変だから大丈夫だよ」
「ふふ、そうよね」
「そうだよ! にーさんはせーきしさまになるんだから!」
子どもの成長とは早いもので、体つきはもちろん、話し方や考え方もエルト兄さんは6歳の頃より大人に近づいているのが感じられた。
それでもまだ体は子どものもので、2年前にはなかったはずの父さんの物にも似たピアスが右耳で揺れているのが、何だか違和感だった。
前世の感覚で言えば8歳なんてまだまだ子どもだけど、この世界では基本的に7歳の年から大人と変わらない扱いをされる。
だから、本当は大人びていると感じる私の感覚の方がおかしいんだろうな。でもその辺りはまだ慣れない。
歳に合わない大人びた様子に少しの奇妙さを覚えながら、3人の会話を懸命に聞き取る。
「にーさん、にーさん、せーきしのまなびやってどんなとこ!? オレのまなびやとおんなじ!? あのね、オレのとこはね──」
テノ兄さんは聞きたいことと自分が話したいことが混ざって混乱して、エルト兄さんはそんなテノ兄さんを困ったように、嬉しそうに見ている。母さんはテノ兄さんをうまくサポートしながら、口数の少ないエルト兄さんからも会話を引き出していた。
私は特に聞きたいことも話したいこともないし、やっぱりまだ言語に自信がないから、普段と同様に基本聞き役で話すことはない。わからない単語もあるけど、久し振りの会話に水を刺してまで訊くことではないし。
そうしてしばらく4人(実質3人)で話していたら、比較的すぐ父さんが帰って来た。
今気づいたけど、たぶんエルト兄さんの馬車代の支払いとかをやってたんだろうな。
「よし、帰るぞ! 喜べエルト、今日はご馳走だ!」
「ほんと!? よっしゃー!!」
「ふふ、まったく、テノの方が喜んでるわね」
「おれもうれしいよ。ありがとう、母さん、父さん」
母さんの膝の上から下ろされて、みんな揃って歩き出す。どうやら帰りは歩くらしい。
テノ兄さんがエルト兄さんの右手を握って嬉しそうにしている。と、あっと声を上げたテノ兄さんが私を見た。何だろうと首を傾げて見ていると、私とテノ兄さんと自分の右手を見て困り果てている。
「えっと……」
父さんと母さんはなぜかくすくすと笑っている。何が起こっているのかはわかっているけど、助け舟を出すつもりはないらしい。
私はテノ兄さんが何に困っているのか全く見当がつかない。とりあえずいつも通りテノ兄さんと手を繋ごう、ととてとて近寄る。
すると何か閃いたのか、エルト兄さんが躊躇いながらも口を開いた。
「……レネアとは、おれが手をつないでもいい?」
「! うん!」
「うん」
私が返事をするよりも早くテノ兄さんが嬉しそうに頷く。何でテノ兄さんが許可を? と考えてもわからない。ひとり首を傾げながら、エルト兄さんがぎこちなく差し出した手に自分のものを伸ばす。
私は特に手を繋ぎたいとかそういう思いはないけど、テノ兄さんはもちろん、エルト兄さんも父さんも母さんも嬉しそうならそれでいい。
エルト兄さんの大きな手をぎゅっと握ると、ほんのり熱を持った心臓に首を傾げつつ、3人並んで帰り道を歩きだした。
中世風にしたくて一応調べてはいるけど、わからない部分は適当に書いてます。また意図して違う部分もあります。
変だなという部分は意図してない可能性もあるので指摘してもらえるとありがたいです。