第15話 ノルヴェリオの秘密2
みんなにバレないように教室を出て向かったのは、さっきイェナがこけた人気のない校舎裏だった。自由時間に遊び始めた時はつけていたような覚えがあるから、落とすとしたらきっとここだ。
他の子の目に留まらないようにしながら、少し早歩きで目的の場所へ向かう。そうして幸運にも誰にも声をかけられずに着くと、そこには先客がいた。
「…………ノル」
「レネアちゃん?」
ぱちくりと青い瞳で私を見つめるノルは、私が考えていたのと全く同じ場所にいる。もしかして、ノルも──。
「もしかして、レネアちゃんもイェナちゃんのかみかざりさがしにきたの?」
「うん。ノルも?」
「うん、そうなんだ。ここでおとしたのかなぁっておもって」
他に誰かいるとは思っていなかったけど、ノルならば納得する。リーダーシップがあって優しいノルらしい。
目的が同じならばと、手分けしてしゃがみ込み、時折雑草を手で掻き分けながら探す。
「イェナちゃんずっとげんきなかったから、早く見つけてあげたいなって」
「さっきのけが、じゃない? …………あぁ、イェナ、えんそく、すっごくたのしみだったもんね」
「うん。だからたぶん、ころんでけがしちゃって、かみかざりなくしちゃって、すっごくかなしいだろうなぁ」
ノルの落ち込んだ声に、そうかと理解した。楽しみにしていた遠足が中止になってしまったことから始まり、色々と辛いことが重なった結果、いつものようにすぐに元気になれずずっと泣いていたのだろう。
「そっかぁ、たしかに。ノル、すごいね」
「え? なにが?」
「みんなを見てる。それに、やさしい」
「えへへ、ありがとう」
話しながら範囲を広げるように探す。けれど髪飾りは一向に見つからない。
「どこいっちゃったんだろう……。ここじゃなかったのかな」
「うーん……」
さすがに疲れて立ち上がる。腰と背中に疲労を感じている。
少し離れたところにいるノルも立ち上がると、うーんと伸びをした。
「あっ……!」
その姿勢のまま、ノルが小さく声を上げる。私の頭上、そのさらに奥の方を見つめて動かないノルにどうしたのと首を傾げる。すると静かに指をさしたので、その先を視線で辿り振り返った。
(あっ)
そして見つけたものに、心の中で声を上げる。視線の先、木の上に白黒模様の猫がいた。
いや、正確にはノルが指しているのも私たちが見つめているのも、猫ではない。その口に咥えられている、イェナの髪飾りだ。
どうしよう、と考える。ノルが咄嗟に声を潜めたおかげで逃げる様子はない。けれど、何かしら手を打たなければ猫はイェナの髪飾りを咥えたままどこかに行ってしまうかもしれない。
どうすれば無事イェナの髪飾りを取り戻せるのか。……何が最善なのか、わかっていた。
私が呼べば、あの猫はきっと一瞬驚きはしてもきっと警戒することなく寄ってくるだろう。そしてうまく抜き取ってしまえば傷つけることなく取り戻せる。
それを私はよくわかっていた。でも、それを実行に移そうとするのを躊躇ってしまった。
私は、動物が苦手だった。いっそ嫌いと言ってもいい。人間よりも、動物が嫌いだった。
人間も動物も、みんな私に好意を寄せる。その中で人間は、まだ感情や社交性、処世術があるからと理由をつけられる。でも、人に慣れた町の動物ならまだしも、野生の動物が人間に懐くのは自然の摂理に合わない。稀にならそういう個体だったのだろうと納得できる。でも何か食べ物を持っているわけでもなく、慣れる時間もなく、私を認識してすぐにほぼ例外なく私に擦り寄ってくるのだ。
自然の摂理に合わず、何かしら納得できる理由をでっち上げられもしない動物が、私は転生特典の影響を強く感じさせられて嫌いだった。
だから私が「おいで」と呼べばいいとわかっていてもそれをしようとは思えなくて、迷ってしまった。
その少しの間に、私の横を静かに風が通り抜けた。
(ノル?)
私の後ろにいたはずのノルが、ゆっくりと猫のいる木の方に近づいていく。ノルに気づいた猫が耳をそば立てるも逃げないぎりぎりの距離を測りつつ、木の下まで辿り着いた。
「ナァ、ナァ〜オ。…………だめかぁ」
ノルが下から猫の鳴き真似で呼ぶ。上手いけども、それで伝わるなら私も動物を嫌いになどならない。
「……きみがもってるの、かえしてほしいんだ。おねがい」
猫は応えないけれど、警戒したまま動きもしない。それを確認したノルは、軽く身体を動かすと目の前の木に手をかけた。
「ノ、ノル!? あぶないよ!」
「だいじょうぶだよ」
慌てて小声でノルを呼ぶけれど、ノルはやめようとしない。
「あぶないよ、せんせいよぶしようよ……!」
「その、あいだに……にげちゃうかも、しれない。だいじょうぶ、ぼく、木のぼり、とくいなんだ」
確かにこの世界は私の想像する4歳より少し発達が早いような、運動神経がいい子が多くて、その中でもノルは運動が得意だ。木登りが得意だというのも事実なのだろう。
でも、落ちれば必ず大怪我をするというほどの高さでなくとも、やっぱり危ないとしか思えない。安心できるはずがなくはらはらする。
けれど近くに寄ろうと1歩踏み出して、猫を刺激してしまう可能性に進めなくなる。そんな地上でおろおろする私を知らないノルは、話している間に危なげなく登り始めてしまった。
警戒を強めるけれど逃げるに逃げられない猫に、ノルはタイミングを計りながらゆっくりと登っていく。そして猫のいる枝の2段ほど下で、反対側の小さな伸びかけの枝に手をかけて止まった。
「おねがい、おいで」
優しく声をかけながら、枝にかけていない右手を伸ばす。猫は警戒しながらも徐々にノルに興味を示し、ついにそろりと足を出した。
ノルも必死に伸びをして、ゆっくりと、少しずつその距離が縮む。しかしあと数十センチというところで、ノルの方からパキリと嫌な音が聞こえた。
「あっ!」
子どもの体重とはいえ小さな枝には耐えられなかったのだろう、手をかけていた部分ががくりと下がる。その瞬間から、私の目には全てがスローモーションに見えていた。
音に驚いた猫が小さく飛び跳ね、口から髪飾りが零れ落ちる。目を丸くしたノルの身体は斜め後ろに投げ出されて。
身軽に枝を伝って駆け降りていく猫を視界の端に映しながら、ただ落ちていくノルだけを見て反射的に地面を蹴った。
ノルは身体が投げ出されながらも落下してくる髪飾りに気づいて手を伸ばす。自分の身など考えず懸命に髪飾りを掌中に収めたノルに、伸ばした手は届かなくて。
どさっと鈍い音を立てて、ノルの身体が地面にぶつかる。
「いったぁ!」
その一方で難なく着地した猫は私の方へ来ようとして、ノルに驚いて逡巡した後逃げていった。そんなことなど気にも留めず私は急いでノルに駆け寄ってしゃがみこむ。
「だいじょうぶ!?」
心臓がばくばくと拍動している。ざっと血の気が引いて、不安や心配でいっぱいだった。
「へへ、だいじょうぶ……。かみかざりも、ほら」
ゆっくりと身体を起こしたノルが安心させるように笑いかけてくる。髪飾りを見せるように差し出されたけど、そんなことはどうでもよかった。
頭を打ったようには見えなかったし、この様子なら緊急性のある大きな怪我はないだろう。ひとまず安堵の息を吐いた。
「はぁ…………よかった…………」
「しんぱいかけてごめん……」
私の様子にやっと自分の行いを反省したのだろう、ノルは眉を下げて謝った。それにいいよとも怒る言葉も返せず、怪我の確認をする。
「けがは? いたいいたい、どこ?」
「おしりとあしだけど、だいじょうぶだよ」
本人は本当に痛みはそれほど感じてなさそうで大丈夫とも言うけれど、まだ痛みを感じていないだけだろう。打撲で済むならいいけど、最悪骨折している可能性もある。
それにその足や手のひらに擦り傷がたくさんあるのが目に留まって、後悔と自責の念が押し寄せた。
ノルが怪我をしたのは、私のせいだ。
私が嫌がらずにすぐに猫を呼んでいれば、ノルが怪我をすることはなかったのに。
そう思考の海に沈んでいると、ノルの明るい声が聞こえてきた。
「レネアちゃんはきにしなくていいんだよ。レネアちゃんはだめって言ったのにぼくがかってにやって、ちょっとだけけがしたんだから」
ね、と私を覗き込んで笑顔を見せるノルに、いつまでも反省していても仕方がないと切り替える。
うんと頷いて、それより早く保健室に行かなければと声をかけようとする。けれど突然くすぐったそうに笑ったノルに驚いて、目を瞬かせた。
「しんぱいしてくれて、たすけようとしてくれて、ありがとう」
「……しんぱいするの、あたりまえだよ。たすけるは、できなかった、けど……」
「あと、かみかざりいっしょにさがしてくれてありがとう。さがしにきてくれてうれしかった!」
「どういまし、たして?」
「ふふっ、うん!」
そんなに助けが嬉しかったのかな、と内心で首を傾げていると、ノルは座ったまま周りをきょろきょろと見渡して、それから微笑を浮かべながら声をひそめて話し出した。
「あのね、レネアちゃんにはなしたいことがあるんだ」
「でも、はやくほけんしついくしなきゃ……」
「けがはだいじょうぶ。いま、はなしたいとおもったんだ。それにふたりじゃないとはなせないから」
「……なぁに?」
ノルが少し私に顔を寄せる。その小さな声を聞き逃さないように私も近づけて、耳をすませた。
そして、あのね、と弾んだ柔らかな声が、大きな大きな秘密を囁いた。
「ぼく、フーリオなんだ」
は、と息を呑む。勢いよく顔を離して、目を見開いてノルを見つめる。そんな私を見て悪戯が成功したかのように楽しそうに、嬉しそうにノルは笑っていた。
「フー、リオ…………?」
「うん!」
ノルの言葉を繰り返して、飲み込んで、その言葉の意味を遅れて理解する。まさか、こんな身近にいるなんて思わなかった。それもまだこんなに幼い子どもが、フーリオだなんて。
そんな驚きとともに、困惑する。聖力を持つということが秘匿されるのだから、フーリオだなんてきっと極秘事項だ。あの入学式の顔合わせの時に先生から伝えられなかったのに、私が聞いてよかったのだろうか。
ノルはそんな私の困惑を知る由もないだろう。けれどその困惑に対する答えはすぐに明かされた。
「ほんとうは、せいりょくもってる人にもおしえちゃだめなんだって。でも先生にきいたら、ともだちになってしばらくして、レネアちゃんならだいじょうぶだって、どうしてもおもうなら、おしえてもいいよって」
空色の瞳を細めて笑うノルが理解できない。気持ち悪い。笑顔が、保てなくなる。
ノルは、他の子より良かったのに。聖力を持っているからか元から影響が少ないのか、私に固執せず、みんなの中心的存在で、私に群がる子どもを自分の方に連れ去ってくれるような子だったのに。
なのに、何で。
「なんで、おしえたの。おしえてもいい、だったら、おしえないでもよかったのに、なんで」
温度のない声に、ノルはぱちくりと瞬きをする。そして優しく、晴れやかに笑って言った。
「ぼくのことしってほしいっておもったんだ」
今までにないくらいの“愛”を向けられる。剥き出しの好意が、私の首を優しく絞める。
理解ができなかった。でも、そうか、と思っただけだった。
元から期待はしていなかった。あからさまで異常でなくとも好意は確かにあったから、特別思うことはなかった。ただ、ノルほど賢くても理性は“愛”には勝てないのだと思った。
「…………ごめん、いやだった……?」
ノルは悲しそうな、酷く申し訳なさそうな顔をして謝った。そしてそれ以上言わずに立ち上がろうとするから、やっぱり好意の押しつけがなくて他の子よりマシだった。
「……ううん、おしえてくれて、ありがとう。うれしい!」
それを引き止めるようににっこり笑う。すると上げかけた腰を下ろして眉を下げたまま逡巡したノルは、しばらくして躊躇いがちに、私を窺うように口を開いた。
「……しょうかいしてもいい?」
「いいの?」
「うん。人がいないなら」
呼び出すとは思っておらず驚く。そして2人して辺りを見渡して他に人がいないのを確認して、ノルはおもむろに髪飾りを持っていない左腕を差し出した。
「だれにも見られないように、おいで」
目を瞑って念じるように、“何か”を呼ぶ。するとざあっと風が吹いて、羽ばたきの音が聞こえてくる。
そうして差し出されたノルの腕に留まったのは、ヒヨドリと同じくらいの大きさの、ノルの瞳と同じ真っ青な鳥だった。
「きてくれてありがとう。──この子が、ぼくのけいやくしてるせいれいじゅうなんだ」
あの時と同じ、清廉な空気がする。精霊だ、と言われずとも理解した。
「のせてみる?」
「え……いいの?」
「うん! おもいから、きをつけてね」
珍しい鳥、エーセルの精霊獣の私に興味を示すような態度を察して、ノルは私に尋ねた。どちらでもよかったけど無碍にするという選択肢はなく、見様見真似で右腕を差し出す。
すると着地点を窺った精霊獣は躊躇うことなくぴょんと私の腕に跳び乗った。
「わっ…………!」
「だいじょうぶ?」
「うん」
子どもの腕には想像していたより重くて、腕が沈むのを慌てて力を入れて堪える。精霊獣もばさばさと翼を広げてバランスを取っていたけれど、逃げようとはしなかった。
「ピーィ」
「かわいいでしょ」
「うん、かわいい。きれい」
精霊獣という存在の力だろう、何もなかった心が凪ぐのを感じる。
「うでつかれるでしょ。ありがとう、もう行っていいよ。またね」
ノルが言葉をかけると精霊獣はノルの腕に跳び乗って、すりと頭を寄せてから飛び立っていった。理外の存在をやっぱり未だに不思議に思いながら、空に消えていくその姿を見送る。
「レネアちゃんもありがとう。……あのね、ぼくがフーリオだってこと、だれにもいわないでほしいんだ。おねがい」
「うん、ぜったいゆわない」
「ありがとう!」
望んだわけでなく明かされた秘密だけど、言われずとも誰にも言うつもりはなかった。
「あっ、もうじかんかな? いかなきゃ!」
「それまえに、ほけんしつ!」
ずいぶん時間が経ってしまったことに気づいて慌てて立ち上がる。その足や肘が赤くなっているのに顔を顰めると、ノルは眉を下げて笑った。
大きな秘密と約束。好意と信頼の証を記憶に留めると、まずはノルの怪我を手当して、それからイェナの笑顔を見に行くべく並んで歩き出した。
前々から考えていたのですが、フーリアに(契約者)つけてみることにしました。()つきってよくないと思いつつ、ないとそれはそれでぱっとわかりにくいよなぁと……。もしかしたらまた削除するかもしれません。




