第12話 喧嘩に満たない軋轢
ゴロゴロと遠くで音がする。何の音だっけ、とぼんやりと考えて、あぁ雷だと思い出した。
「……おい、おきろ。おきろ、レネア!」
ぐらりと体が揺れて意識が浮上する。ぱちぱちと瞬きをしながら起き上がると、起こしてくれたテノ兄さんに声をかけた。
「んん……にぃさ、おはよぉ……」
「…………ん」
テノ兄さんは少しむすっとしたような、でも普段通りのような表情で私が起きるのを見ると、すぐにふいと視線を逸らして出ていく。
今日も、返事は返ってこなかった。
「ありがとう、テノ。おはようレネア!」
「おはよう、かぁさん」
メインルームに行き母さんの作ってくれた朝ごはんを食べる。正面に座るテノ兄さんは無言で、ばくばくと食べ進めるとすぐに席を立ってしまった。
「テノ、今日は夜お花見に行くわよ!」
行ってきますも言わず、テノ兄さんが無言で出ていく。慌てて背中に声をかけた母さんは無言で閉じられた扉に眉根を寄せていたけど、怒りよりも苦しみや戸惑いの方が大きいみたいだった。
学舎が始まってから1ヶ月が経って、学校生活にもだいぶ慣れた。「転生特典」も相変わらず明らかに異常なほど作用していて気持ちが悪かったけれど、それも諦めるか気づかないフリをしてやり過ごしている。
ただ、1つだけ。入学式の翌日から、テノ兄さんがどこかおかしくなってしまった。それだけは慣れなくて、異変が気にかかる。
テノ兄さんの異変は、入学式の翌日からだった。あまり笑わず、家族──特に私に対してぶっきらぼうになり、元々学舎に通い出してから男の子らしい乱暴な口調が混じるようになってきていた(母さんたちの前では怒られると思っていたのか控えめだったけど)のが、さらに増えた。
最初は驚いて、それから転生特典が効いていないのかと胸が高鳴った。でも1度見ないふりはするけどやっぱり仕方なく世話を焼こうとするような、今までと同じような様子も見られるから判別に困っている。転生特典を理解してから好意に敏感になってしまったから、私を嫌っているような態度の奥に今までのような好意が隠れているのがわかってしまうのだ。
そこから考えられるより高い可能性。
テノ兄さん、反抗期なのだろうか。
「今日はレネアはどうするの?」
「あそびいく!」
「わかったわ」
父さんはいつもと同じく休日の今日も仕事らしい。私も将来は休日返上の仕事かぁ、なんて思いながら着替えて遊びに行く準備をする。
「変な感じのするところや、黒いモヤには決して近づかないのよ。4歳の誕生日でテッセジアの加護は消えてしまうから、これまで以上に魔には気をつけてね」
「うん!」
母さんの注意に元気よく返事をする。私はまだ2ヶ月近く先だから大丈夫だけど、友達にはもう誕生日を迎えている子もいるだろう。気をつけなきゃ。
「いってきまーす!」
「行ってらっしゃい!」
頬を擦り合わせながらのハグをしてから家を出て、いつもの遊び場へ向かう。反対の方の空は灰色になっているけど、こっちは雨が降ることはないだろう。
遊び場に着くとそこにはもうたくさんの子どもたちがいて、彼らの姿を瞳に映すと少し不快感が込み上げた。けれどそれは押し隠して笑顔でみんなに近寄っていく。
「あっ、れねあちゃん!」
「レネアちゃんだ!!」
「おはよー、レネアちゃん!」
「おはようみんな!」
私の姿を見つけると嬉しそうな声が上がって、わらわらと駆け寄ってくる。その数は学舎に通う前より多い。学舎で出会った子たち、中にはクラスメイトでもない子もいて、彼らがここに来るようになったのだ。──子どもの足には遠いのに、わざわざ。
その1番の目的が何かなんて、自惚れでも何でもなく明らかで、異常だった。
「なにするー?」
「かくれんぼ!」
「じゃあじゃんけんでまけたやつがおにな!」
少人数でじゃんけんしてから、負けた子たちが集まって鬼を決める。鬼になった男の子はにやりと笑ってから目を瞑って数を数え始めた。
私と一緒に隠れようとしてくるみんなをいつものように下手くそに捌いて、私も遊び場から離れすぎない場所に隠れる。下手な誘導でも論理的な説明でも納得しなかった子が2人近くにいて、目が合うと満面の笑みを浮かべて何度も手を振ってきた。
「あっ! みつけた!!」
「あーっ、みつかっちゃった!」
けれどしばらくして1人が見つかる。さらにもう1人も見つかって、続けて私も見つかるかと思えば鬼は2人を連れて違う方へ行ってしまった。どうやらしばらくは1人になりそうだ。
と、思っていたら、少しして視界の端に人影が現れた。誰だろうと顔をそっちへ向けると、薄桃色の瞳をした少し癖毛の金髪の男の子と目が合う。
友達ではないけど、知っている。よく近所で見かけはするけどいつも1人で、近づいてくることなくいつの間にかいなくなってしまうから喋ったこともない子だ。
「やあ」
「こんにちは」
にこっと笑ったその子は私が隠れているのを察したのか、きょろきょろと辺りを見回してから近づいてきた。かけられた声に挨拶を返して笑っておくと、男の子は私の隣に腰を下ろした。
「ずっと知ってたけど、はじめましてだよね。きみの名前は? おれは、アラン・チェカリオ ──」
「だめだよ!」
「あっ」
「あ、」
びっくりして、止めるのが遅くなってしまった。まさか自己紹介してくるなんて思ってもいなかった。
私は悪魔じゃないから何かが起こることはないけど、どうしよう、と気まずい沈黙が流れる。名前を教えられてしまったなら私も言った方がいいのかな。私の乳幼児期の加護はまだあるからこの子は悪魔じゃないだろうし。あれ、近寄れもしないんだよね? たぶん、そうだと思うんだけど。
「えぇと……あなたは、なにしてる?」
「あ……おれは、1人でどこかあそびに行こうかなって思って。ともだちいないから……。……きみは?」
「わたしは、かくれんぼしてる」
迷ったけど両親の言いつけを守っておくことにした。
そしてにこにこと他愛もない会話を続けていると、不意にアランくんはおずおずと、けれど確信を持った様子で尋ねてきた。
「──もしかしてだけど。きみ、せいりょくもってる?」
その瞬間時が止まって、どっと心臓が跳ねる。誤魔化そうにも想像もしていなかった言葉に明らかに強張ってしまっていて、そしてアランくんは自分の考えを疑っていない様子でへへ、と笑っていた。
「おね……知り合いにいて、何となくきみもそうかなって思って。あっ! だれにも言わないからだいじょうぶだよ! わかってるから」
「お姉ちゃん」と少し口を滑らせて、さらには私の秘密も暴いておいて、本当にわかってるのかな……。
誤魔化されてくれる気もしないから不安だけど、何とか誤魔化しながら口止めもしようとする。
「せいりょく、もってないよ! もってないだから、ほんとに、みんなにいうもだめだよ! うそになっちゃう」
「…………うん、わかった! でもいいよなぁ。おれは……おれも、ないから。せいきしさま、かっこいいよね」
「ね! かっこいい!」
どうにも聡そうだから、わかっているけど私の誤魔化しに合わせてくれたのかな。それにしても、どうしてバレたんだろう?
ぐるぐると考えながら、テノ兄さんを少し真似るように勢いをつけて同意しておく。自分が将来なる職業だけど、本当はかっこいいと思ったことも憧れたこともなかった。すると、アランくんは私をじっと見つめて口を開いた。
「……いやなら、ならなくていいんだよ」
「え?」
「せいりょくをもってても、せいきしにならなかった人を知ってるんだ。だから、なりたくないなら、ならなくていいんだよ」
何を言ってるのか理解できなかった。その聖力を持ちながら聖騎士にならなかった人がお姉さんだろうかと考えながら、首を傾げて言葉を返す。
「なんで? せいきしになる、きまってるでしょ?」
そのお姉さんがどうとかじゃない。
聖力を持つ者は聖騎士か、もしくは神殿に仕えることが決まっている。「なりたくない」とか「ならなくていい」なんてことじゃないのに、この男の子は何を言っているんだろう。
「え、な、なりたいの……?」
「ううん」
「じゃあ、ならなくてもいいんじゃ……」
「なるは、いやじゃないよ? てゆーか、せいりょくない、から、ならないだけど」
なりたいわけでもないけど嫌でもない。決まっているのなら、それに従うだけ。アランくんは何が言いたいんだろう。
全く理解できなくて、不思議だった。
それにしても、テノ兄さんや他の子どもたちを真似て普通の態度をしたはずなのに。聖騎士になりたくなさそうだと思われたのかな。そうだとしたら困る。もっとみんなの態度を観察して、真似しなきゃ。
…………そういえば。聖騎士にあんなに憧れていたテノ兄さんは、将来の職業はどうするんだろう。聖騎士になると語っていたけど、兄さんに聖力はない。聖騎士には、なれない。確かもうそろそろ考えなきゃいけない時期じゃなかったっけ。
──ああ、そうだ。テノ兄さんは反抗期みたいなのに、ちゃんと父さんたちと話せているのかな。テノ兄さんは、何で。何で、急におかしくなっちゃったんだろう。
思考が海を漂うように次々と変わっていく。そして最終的に辿り着いたのは、最近のテノ兄さんのことだった。
「どうしたの?」
心配そうな声にはっと意識を取り戻す。そうだ、今はアランくんと話していたんだった。
「ううん! ぼーっとしてた!」
にこりと笑ってもアランくんは心配そうな表情のまま。このまま誤魔化しても普通は気を悪くするだろうか。悩み事を話した方が、喜んで、好きになるだろうか。
そう考えて、迷った末に口を開いた。
「…………にぃさんが、おかしい、の」
「おかしい?」
「まえはやさしいだったけど、さいきん、ちょっとないやさしい」
「それがいや? さみしい?」
「うん」
嫌われているような態度を取られたら、普通は悲しくなるだろう。そう考えて頷いておく。
「……なにか、こまってる。どうしたらいいかわからない? それとも、お兄さんのことがわからない?」
「…………きらいなのに、ちょっとだけやさしいの。きらいなのに、なんですきなのわかんない」
アランくんは聞き上手だった。そしてこれまでの会話でわかっていた通り聡明で、拙い私の説明も親身になって根気強く聞こうとする優しい子だった。
笑顔はなくていいかと少し眉を下げて訥々と話すと、アランくんは何てことないとでも言うように優しく笑って言った。
「かぞくなら、きらいなところがあってもやっぱりだいじなんじゃないかな。きみにやさしくても、きみのことがすきでも、あたりまえのことだよ。だから、だいじょうぶ」
……確かに。やんちゃなところはあるけど、テノ兄さんは優しいしずっと世話焼きだった。アランくんの言う通り、きょうだいなら好きでもおかしくない。そうだ、きっとそう。
アランくんの言葉に安心する。そうだ、と納得する。
「……そっか! たしかに! ありがとう!」
「どういたしまして! きみのなやみがかいけつできたならよかった」
にっこりと笑ったアランくんはすごく大人びて見えた。あからさまな好意は見えないのもあって、会話をしていたこの時間も楽だった。でもやっぱり私に話しかけにきたり積極的に会話を続けたり、私に関心があるように感じるのは何となく居心地が悪い。
でもノルと同じで、他の子どもよりはまだマシだ。あぁそうだ、どこか既視感があると思ったら、ノルに似たタイプなんだ。
なんて考えながら不意に立ち上がったアランくんを見上げていると、突然第三者の声が聞こえてきた。
「こんなとこにいたのかよ!」
目を丸くして声の主を振り返る。この声は──
「みんなあっちにいんのに、こんなとこでこそこそしてやんの。ついになかま外れにされてなぐさめてもらってたのか?」
にやにやと意地悪く歪んだ表情と声。1つ歳上のその男の子は、他人に対して不快感しかない私の中でもとびきり不快な、個人として嫌だとまでも言える子どもだった。
「えぇと……いま、かくれんぼしてるの」
「かくれんぼぉ? みんなお前のことなんてわすれてさがしてねーんじゃねーの」
私に対して、唯一明確に敵意ある態度をとる子ども。この男の子と出会ったのは、転生特典を理解する前だった。
彼は初対面の時からやけに私に突っかかってきて、意地悪をしてきた。私はそのことにびっくりはしても何の感情も抱かなかったけど、怒ったのは周りの方だった。特に優しいテノ兄さんは「オレの妹に何すんだ!!」と激怒して、あまりにも続く意地悪にある日彼と取っ組み合いの大喧嘩になっていた。
優しくて心配性の両親は子どものことだからと話を聞いてもあまり首を突っ込まなかったけど、テノ兄さんが怒り心頭なものだから、ついには眉を下げて彼の行動の理由を話した。曰く、「レネアのことが好きだから意地悪してしまうのよ」、と。
『いみわかんねー! もしそうだとしても、いじわるするのはだめだろ!』
テノ兄さんの反論は尤もで、私はそりゃそうだと影で頷いた。両親ももちろんそうだと真剣に頷いた。
いくらコミュニケーション能力が低い私でも、低年齢の男の子における「好きな女の子への意地悪」というのは前世でも聞いたことがある。だから母さんの説明を聞きその男の子を観察して、やっぱり好意があるのかわかりづらいけど、確かにそうかもしれないと納得したのだ。
そんな裏を理解していたから、転生特典が発覚した後も彼に「もしかして転生特典が効いていなくて、私のことが嫌いなのかも」なんて期待は寄せなかった。むしろ彼が私にちょっかいをかけてくるのは初対面からだったと気づいて、他の誰よりも気持ちが悪く感じていた。
好意、その中でもとりわけ特別なもの──恋愛感情。まだ幼く淡いとはいえいつかそう呼ばれるものは、ただの親愛よりも異様で、おぞましかった。
そんな彼への対応を、私は未だに決めかねていた。どうすればおかしくない対応なのか、特別な感情ではなくなるのか、好かれてもおかしくない対応なのか。
今もわからなくてへらりと笑みを浮かべて適当に返していると、「あーっ!」と大きな声が響き渡った。
「レネアちゃんいたー!」
「みつけたぁぁ!」
「あっ! あいつまたレネアいじめてる!」
「なにしてんの!」
最後だったのか何なのか鬼でない子まで私を探しにきたらしく、わらわらとみんなが駆け寄ってくる。そして私に対峙している男の子も認識すると剣呑な雰囲気になった。
学舎に入る前ならテノ兄さんが私を守って引っ張っていってくれたのに、テノ兄さんは休日の半分は学舎の友達がいる方へ遊びに行くようになってしまった。学舎に入ってからはノルがうまく双方を宥めてくれていたけど、今日はいない。
どうすればいいんだろう、と一生懸命いなし方を考えていると、不意にみんなの中心に誰かが進みでた。
「みんな、もうお昼だよ。そろそろ帰らなきゃ。きみも人にひどいこといっちゃダメだよ」
「なんだよ! うっせーな!」
「……だれ?」
「レネアちゃん、」
「アランくん、だって」
アランくんの代わりに他己紹介をしてあげる。今までどうしてずっと1人で遊んでいたのかと疑問になるほどコミュニケーション能力が高いらしい彼は、瞬く間にみんなを宥めて意識を逸らしてしまった。
「おれもみんなとあそびたい! お昼食べおわったら、また来ていい?」
「うん! いいよー!」
私を好きらしい男の子は最後に私を睨みつけてむすっとした顔で他の友達の下へ向かい、他の子は午後の約束を取り付ける。アランくんの手腕に舌を巻いていると、アランくんは私の方へやって来てぼそっと囁いた。
「あの子も、きっといちじてきなものだからだいじょうぶだよ。じゃあまたね」
にっこりと笑って手を振るのに同じように返す。今日はすごく、助けられてしまった。
でもたぶん私が聖力を持っていることは知られてしまっただろうから、父さんたちに話しておかなきゃな、と考えながら一旦家に帰るためにみんなと並んで歩き出した。
◇◆◇
昼食と昼寝を挟んでまた遊んだ後、夜も出かけるのだからと早めに帰って仮眠をとる。小さな体は疲れやすく多くの睡眠を必要としている割に回復も早くて、夕暮れに起こされると元気に支度を手伝った。
「準備はいい? 暗いから手を繋いで行きましょう」
「去年も見に行ったんだが、2人は覚えてるか?」
「うん!」
「すごく綺麗だったろう! 今年も満開だから楽しみだなぁ!」
「たのしみ!」
「うん」
前に私と母さん、後ろに父さんと兄さんで並んで夜の街を歩く。陽が落ちだんだんと暗くなっていく空の下、薄らと白く光って見えるような場所がある。そこが目的の場所だった。
「そこを曲がったら見えてくるぞ。ほら、蛍樹だ!」
木々の少ない街中でもよく見かけるほど植えられている、セレイス国の国花、蛍樹。その中でも木々が立ち並ぶその場所は真っ白な花が咲き誇り、夜の空を優しい光で埋め尽くしていた。
「う、わぁ……!」
「わー……!」
仏頂面が多くなっても今来たこの道はそわそわしていたテノ兄さんが、感嘆の声を漏らす。私も1拍遅れて声を上げると、母さんたちが笑う気配がした。
「さぁ、木の下に行ってご飯を食べましょう! 腕によりをかけて作ってきたのよ、たくさん召し上がれ」
「よっしゃ!」
テノ兄さんは最近の反抗期は完全に忘れたようで、珍しく笑顔を見せた。もちろん全く笑わないわけでもずっと態度が悪いわけでもないけど、こんなにも晴れやかなのは久しぶりだった。
他にもいる人々に声をかけながら、空いている場所に大きな布を敷いてみんなでその上に腰を下ろす。そして家族だけでなく周囲の知り合いともわいわい騒ぎながら、夜の花見は始まった。
「いやー、今年も満開だなぁ」
「この様子なら月蛍祭も素晴らしいものになりそうだ!」
「レネア、いっしょにたべよ!」
「そうだ、レネアちゃんも学舎に通い始めたんだってなぁ! 早いもんだ!」
「今日はおめかししてるの? 可愛いわねぇ」
「レネアちゃんあっち行こう!」
「まだ食べてるだろ! 向こうで遊んでろよ」
植物が好きなこの国民は、いつも植物の関わる行事は特に大盛り上がりだ。連日離れた家でも聞こえていたのはこの声か、なんていつもの倍くらいやり過ごすのが難しい人々を笑顔で相手しながら、綺麗な蛍樹を眺めご飯を食べた。
しかも、相手をするのは人間だけではなかった。蛍樹に誘われたのか、時折大小様々な動物が籠の食べ物を盗もうとやって来るのを阻止しつつ、私に擦り寄ってくるものも触らないように身を引く。
家族──特にテノ兄さんが人も動物も捌いて、さらには「これも食べてるか?」と世話を焼いてくれるのでいくぶんか楽だったけど、騒がしく忙しない花見だった。去年も確かにこんな感じだったなぁと思い出した。
そんな感じで少し疲れながら食べ終えると、誘われるがままに人混みを抜け出して子どもたちで集まって。そうしてしばらく花見を楽しむと、そろそろ帰るかと呼ばれた。
「疲れちゃったかしら? あとちょっとだけ大丈夫そうなら、少し遠回りして眺めながら帰りましょうか」
「だいじょうぶ!」
「いいよ」
人気の少ない道を、横の蛍樹を見上げながら歩く。月蛍祭で見られる蛍樹の森より規模は小さいけれど、どこか清麗で幻想的な木々はこの世のものとは思えないほど美しかった。
と、突然ぶわりと風が吹いた。
「うわぁ……!!」
風に攫われて、頭上に花びらが舞う。感嘆の声を聞きながら白に染め上げられた夜空を惹き込まれるように見つめていると、不意に花びらの隙間から一等輝く蒼白い光が見えた。
「あ──」
ゆらりゆらりと揺れる花びらの中で、緩やかに、だが真っ直ぐ飛んでゆくもの。竜にシルエットが似た、恐竜のような鳥、カミューダ。──その精霊獣だった。
「せいれいじゅぅ! あそこ、にぃさん!」
「えっ、どこ!?」
テノ兄さんは聖騎士、特にフーリオや精霊獣が好きだった。だからあの時みたいに喜ぶかなと、指をさして声を上げる。
「きれぇだね、かっこいぃね!」
きっとテノ兄さんも見つけただろう。はしゃぐように笑って隣に立つ兄さんを見ると、ちょうど私を振り返ったテノ兄さんと目が合った。けれど。
(あ、れ……。何で、笑ってないんだろう。いつもみたいに騒がないの?)
私をじっと見つめる顔は無表情に近くて、でも私にはわからない何かを浮かべていて。
「テノにぃさん、好きでしょ? ふーりお、おこ……あこがれてる、だよね」
「お前が言うな!!」
突然ぶつけられた怒鳴り声に、びくりと身体が震えた。テノ兄さんは怒りに顔を歪めて私を睨みつけていた。その瞳にはさっきまでの優しさはなく、あるのはそう、これは、紛れもなく憎悪だった。
「何が『かっこいいね』だ、何が『あこがれてるよね』だ……! お前が、お前が言うなよ!!」
「ての、にぃさん……?」
「テノ!!」
「テノ! やめなさい!」
父さんがテノ兄さんに近寄って、私は母さんに抱き寄せられる。けれど母さんの方を向くよう腕を引かれても、憎々しげな兄さんの瞳から目を逸らせなかった。
「オレは、オレはせーりょくなかったのに! 何でレネアは!!」
「それは神の思し召しだから仕方がないと言ったろう、テノ!!」
「オレはせーきしになりたいのにそしつがなくて、きょうみもないレネアの方が、何で……!」
父さんの声も母さんの声も聞こえない。ただ、怒鳴るような、悲鳴のようなテノ兄さんの声しか聞こえなくて。
「オレも──オレが、とーさんやにーさんと同じせーきしになりたかったのに!!」
そうか。そういうことだったのか。
今更気づいた。テノ兄さんの異変は、反抗期なんかじゃなかった。
テノ兄さんは聖騎士である父さんに憧れていた。そして身近にはエルト兄さんもいて、自分も2人と同じように聖騎士になるのだと、憧れをいつも口にしていた。だけどいつからかそれは少なくなって、そして、妹の私には聖力があることが判明した。
その時、テノ兄さんはどんな思いだったのだろう。自分にはないのに妹にはあって、そしてさっきの言葉の通りなら、私が聖騎士に憧れていないのも知っていて。
欠けた私には今も想像できないけれど、羨望や妬みがあったのだろう。想像などしなかったから、嫉妬があって当然だということにずっと気づかなかった。その苦しみに気づいていなかった。その感情の変化に、気づいていなかった。
やっと、気づけた。
────私への負の感情は、転生特典による“愛”を上回ることができるんだ……!
「てのにぃさ、」
テノ兄さんには、転生特典が効いていないのと同じだ。テノ兄さんは神に植えつけられた私への“愛”はない!
嬉しい、嬉しい、嬉しい!
喜びのまま手を伸ばして、そして。
「ッやめろ!!」
パチンと、手を振り払われた。
遅れてじわじわと痛み出した手など気にも留めず、怒る父さんも目に入ることなく、自分でしたことに目を丸くするテノ兄さんだけを呆然と見つめる。
はくりと唇を震わせたテノ兄さんは、踵を返すと逃げるようにどこかへ走っていってしまった。木々の中に消えていく兄さんを父さんが追う。
……あれ、何だろう。何でだろう。
嬉しいはずなのに。嬉しいのも本当なのに。喜びによる浮つきとは何かが違う気がする。
興奮もある。だけど心が乖離したような、どこか不安になるような浮遊感に似ているような気がした。
「大丈夫、大丈夫よ、レネア。レネアは何も悪くないわ。テノ兄さんも今少し気持ちの整理がつかないだけなの。今までも、これからも、レネアのことが大好きよ。テノ兄さんは悪いことをしちゃったけど、少しだけ時間をあげてほしいの」
優しい母さんの声を遠くに聞きながら、促されるままに抱き上げられて家路を辿る。家に帰ると歯を磨き体を拭いて、すぐに寝かされてしまった。
長い時間の後テノ兄さんたちが帰ってくる音がして、そしてぼそぼそとした話し声をひとり瞼を閉じて聞きながら眠った。
今話、次話は切るところがなくてだいぶ長くなってしまった……。読みづらくてすみません。どうしてもテノのことだけは避けれないと思ったので、あと少しだけ転生特典の話にお付き合いください。
次回金曜投稿予定です。忙しくなければ。




