第9話 転生特典
大いに盛り上がった宴も日が暮れる頃には片づけ始め、次の日にはまた日常が戻ってきた。
いや、昨日までの日常と全く同じかと言われれば違うかもしれない。仕事も生活も昨日とは変わらないけれど、町の雰囲気や人々の様子は昨日までよりも和やかで、希望に満ち溢れているようだった。
それは厳しい冬を乗り越えられたからであり、春のお告げのおかげなのだろう。
植物の豊かなこの国らしく、ソエシア以外の花も彩り始めた町を母さんと並んで歩く。
腕の中にあるパンは温かみを失いかけていたけれど、香ばしさが鼻をくすぐっていた。
「美味しそうねぇ」
「うん」
「今日は久しぶりにお魚食べましょうか」
「うん」
この世界、この地域では、魚が食卓に並ぶことは少ない。川は綺麗とは言えず安全ではなく、また海も遠い。前世のように生の刺身など食べられるわけがなく、また魚があるとしても塩漬けや干物など保存のきくもののみだった。
確かに久しぶりだなぁと思いながら、どんな料理にしようかと楽しそうに話す母さんに適当に相槌を打ちながら歩いていると、道を曲がった先で母さんがあっと声を上げた。
「あら、ナリアナさん!」
「ユフィアさん! 久しぶりー!」
「お久しぶり〜! 春のお告げに祝福を」
「春のお告げに祝福を!」
そこにいたのは赤ん坊を抱いた女性と寄り添う男性、そして友人のイェナだった。お互いに気づくと近づいて、春の祝いの言葉をかける。
日本語に合う言葉がないから直訳するしかないけれど、春のお告げがあってからは、会う人に「明けましておめでとう」の春バージョンのような挨拶をするのが習わしだった。
「れねあちゃん! はるのおちゅげにしゅふくぅを!」
「はるのおつげにしゅくふくを」
普段よりフォーマルで綺麗な格好をしたイェナも私に気がつくと、にぱっと笑顔になり駆け寄って来る。そして母さんたちの真似をして挨拶を交わした。
「出産おめでとう! もうすぐだったものね、無事に産まれたようで良かったわ。ふふ、可愛いわね〜! お名前はなんて言うの?」
「ありがとう! 名前はエスタ、春のお告げの前日に産まれたからエスタと名づけたの。ちなみに男の子よ」
「あのね、いぇなのおとうとなの!」
エスタ、直訳すると冬の終わりというような意味だろう。
イェナの母親は母さんに腕の中の赤ん坊を見せ、私も近づくとわざわざ屈んで見せてきた。前世を含め実際に見るのは初めてで、眠っているまるまるとした赤ん坊を前にすると何とも言えない不思議な感覚になった。
「今さっき、この子の『テッセジア』に行ってきたのよー」
「てっせじあ?」
「神殿で神様の御加護を賜る儀式のことよ」
「まっしろでね! すっごくきれいだったんだよ!」
咄嗟に聞き返してしまったけど、イェナの母親は嫌な顔をせず、母さんは簡単に教えてくれた。イェナもどれだけすごかったのか、身振り手振り、流れていた音楽をも口ずさみながらその様子を私に聞かせてくる。
「あなたたちも赤ん坊の頃に行ったのよ」
「えー! いぇなしらない!」
「ふふ、エスタくんと同じくらいちっちゃい頃の話だものねぇ」
そういえば、まだ目もほとんど開かない産まれたばかりの頃に、とても明るくて音楽のようなものが聞こえていた記憶が微かにある。もしかしたらそれなのかもしれない。……と、思ったけど、そう断言するには記憶は朧げで何の証拠もない。
祭りなどで近くに行っても入ったことのない神殿は気になるけど、聖騎士の父さんでもなかなか行くことはないらしいから、私がこの先行くことはないだろう。
しばらくして帰り道は途中まで同じだからと歩き出し、主に母親同士、子ども同士で話しながら歩いていると、「それではここで」と母さんが足を止めた。
そしてそのまま別れようとすると、そうだ、と低い声がかけられた。
「あの、テノくんのことなんですが、またお時間のある時にお話をとランデルさんにお伝えください」
話しかけてきたのはイェナの父親で、テノ兄さんに関わる内容らしい。その言葉に母さんは優しい笑みを消して真面目な表情になると、頭を下げた。
「すみません、ご迷惑をおかけしてしまって……。ありがとうございます」
「いえいえ、僕にできることであればお力になります。……でも、その、この前会った時はテノくん本人は……」
「そうなんです。あの子は父や兄みたいになるんだって張り切っているんですけど、学舎の検査では……。──こればかりは、神の思し召しだから……」
和やかな雰囲気から一転、重い空気が大人たちの間に流れる。その内容はテノ兄さんが関わっているということ以外わからず、テノ兄さんに何があるのか、何で母さんが辛そうな表情をしているのか、ぼかされた会話では全く見当がつかない。
「本人の意思も汲んでやりたいので、もしかしたら詳しいご相談は先になってしまうかもしれません。すみません」
「自慢のお父さんやお兄さんに憧れるのは当たり前よ! 今はまだ目いっぱい遊んでいてもバチは当たらないわ」
「僕の方の都合はお気になさらず、ゆっくりなさってください。もしテノくんが気になる職業が他にあれば、知り合いを紹介できるかもしれません。その時はまた遠慮なく頼ってください」
「何から何まで……。本当にありがとうございます」
「職業」という単語を微かに拾えたことで、やっと気づいた。兄さんの、将来の話だ。
「あぁそうだ、レネアちゃんも春から学び舎よね! この子をよろしくね」
「こちらこそ。イェナちゃん、レネアをよろしくね〜」
「うん!」
それ以上のことを考える前に明るい声に思考を引き戻され、こくりと半ば反射的に頷く。
イェナの母親は嬉しそうに笑うと、イェナにほらと促した。
「じゃあイェナ、おうちに帰るからばいばいしてね」
「えー、やだー! もっとあそびたい! あそんできちゃだめ?」
「レネアちゃんのおうちも用事があるかもしれないでしょう。それに、1回着替えないと!」
イェナはそれでも母親に抱きつき、頬を押しつけている。
何となく母さんを見ると、「遊んできてもいいわよ」と言われた。別に許可を求めたわけじゃないんだけど……。でも許可がされたのなら、断る理由も別にない。
「ほんと!? じゃあれねあちゃん、あそぼ!」
「いいよ」
私の母さんの言葉にイェナがぱっと振り向いて元気よく誘ってくるのを了承した。
遊ぶ約束をしたことで途端に早く帰ろうと急かし始めたイェナにみんな笑いながら、ばいばいと手を振って今度こそ別れる。
母さんと2人の帰り道、頭に浮かぶのはこの後の予定ではなく、さっき大人たちが話していたテノ兄さんのこと。
知りたい気持ちはあるけどテノ兄さんについて聞くのは何となく憚られて、逡巡した末に私のことについて訊くことにした。
「わたしは、かぁさんとおなじおりものするの?」
普通の家庭では両親の職業を継ぐはずだ。母さんは織物工場で働いているから、それに則れば同じように私も織物工場で働くことになるはず。
確かめるつもりで尋ねると、そんなことを訊かれるとは思っていなかったのか、母さんは驚いたようだった。けれどすぐに真剣な表情になり、反対に私に質問する。
「どうかしらねぇ。……レネアは、父さんや兄さんみたいになりたい?」
確か、聖騎士になれるのは聖力を持つ者だけで、聖力を持つ者は数少ないから必ず聖騎士にならなければならないはずだ。なりたい、なりたくないなんてものではない。
……テノ兄さんが、そうであるように。
「どっちでもいい」
私は言われた通りの職業に就いて、仕事をこなすだけ。そこに好きも嫌いも何ない。
ただ、テノ兄さんの姿を思い浮かべると、こんな小さな子どもでももう働くことを考えるのか、となんだか前世との差を感じた。
◇◆◇
あれ以上の会話はなかったけれど、家に帰ってからもテノ兄さんや職業のことは頭の片隅にあって、うっかりイェナとの約束に遅れるところだった。
母さんに「そろそろいいの?」と声をかけられて少し慌てて外に出ると、いつも通りちらほらといるブタを避けながら遊び場へ向かう。
結局考えることもないし、と自分なりに将来について考えた結果、これからは母さんの仕事をよく見てよく知り、備えておくことにした。
それに加えて、やっぱり就労を含めたこの世界の仕組みも知らなきゃなと思う。
と、そんな結論を出してひとり頷いていると、小さな公園までもうすぐというところでイェナを後ろ姿を見つけた。
「イェナ」
「あっ、れねあちゃん! あそぼー!」
「うん。ほかにだれか……あ、メグがいる」
「ほんとだ!」
めぐちゃーん! と叫びながらとたとたと走っていったイェナは一言二言話すと、ぱっと振り向いて全身で私を呼ぶ。
そんな一生懸命に叫ばなくても、すぐ着くのに。
「おはよう。きょうはメグだけ?」
「おはよ! えっとね、あたしはひとりだけど……」
少し早歩きになって2人の下へ行き、辺りを見回す。メグは1人だったけど少し離れたところに3人組の女の子がいて、メグが言い淀んだ理由がわかった。
「しってるこ?」
「いぇなしらなーい!」
「ソニアとデマリーと、たぶんカタリーナだよ」
1つか2つくらい上だろうか。たまに見かける気がするけど、覚えている限りだといつも3人くらいでずっと遊んでいる気がする。
私たち3人だけで遊ぶのもいいけど、メグが友だちなら話しかけて一緒に遊ぶのもいいかもしれない。子どもは友だちでなくても遠慮なく話しかけて、たくさん友だちを増やすものなのだから。
「いっしょにあそぶあのこたちと?」
「いーよ!」
「えー……」
提案してみればイェナは即座に頷いた。けれど、メグはあまり乗り気ではないらしい。
「いやだ?」
「だって、このまえいじわるされたんだもん!」
乗り気でない、どころか不機嫌そうに唇を尖らせるメグ。
意地悪されたのなら、嫌がるのも無理はない。喧嘩になるのも面倒だし、それならやめておいた方がいいかもしれない。と思ったけど、私が頷くより早くイェナがメグの腕を引っ張った。
「けんかしたの? じゃあなかなおりしなきゃだめだよ!」
ね! とメグと、それから私にも同意を求めるイェナに、なるほど確かにと納得して頷く。
「……うん。なかなおり、する。ともだちになりたい!」
「おともだち!」
さっきまでの不機嫌さはどこへやら、元々人懐っこいメグは上機嫌になってイェナと一緒にあの3人の方へ向かい始めた。
「レネアちゃんもいこ!」
「うん」
子ども同士の喧嘩ならすぐに収まるだろう。今まで見たものも、すぐにけろりとして仲良く遊んでいた。たいてい、喧嘩の内容が大したことではないのだ。
今回はいったいどうして意地悪をされることに、ひいては喧嘩になったんだろう。どう仲直りに持ち込むのか考えながら、3人の側で立ち止まる。
「ねぇねぇ! あのね、めぐちゃんがなかなおりしたいんだって!」
って待って待って。さすがにそれはいきなりすぎない? いや、子ども同士ならこんなものなのかな。
「……だぁれ?」
「いぇなだよ!」
「わたしはレネア」
「……メグ」
自己紹介をしても、1人はきょとんとしたまま、他の2人はあまり快い表情をしていない。何をしに来たんだ、とでも思っていそうだと感じたけど、それは考えすぎだろうか。
「なかなおりって?」
どうやって仲直りするのかと思って見ていたら、どうやら彼女たちの方に心当たりはないらしい。それじゃあ意地悪をされたとは、いったい?
「……あのね、いっしょにあそびたいから、なかまにいれて」
「…………」
「やだ、あたしたちはいっしょにあそびたくない」
メグが勇気を出して言った言葉は、彼女たちが顔を見合わせたあと正面から木っ端微塵に砕かれた。
「いぇなもいっしょにあそびたいー!」
「やだ! ほかのひととあそびたくない!」
「カタリーナたちだけでいいもん」
「〜〜〜っ! なんでだめなの! なんでいじわるするのぉ」
3人は本当に、どうしても自分たち以外とは遊びたくないらしく、顔をしかめて断固として受け入れる様子はない。そんな彼女たちに、メグは怒り泣きそうになって声を荒げている。
「このまえもだめっていった!」
「しらないことあそびたくないもん!」
「じゃ、じゃあ、これからしるすればいいんじゃ……」
「やだ! あたしたちだけがいい!」
仲裁しようとするも、あえなく却下される。無条件で他者と仲良くなれる年頃は過ぎてしまったらしい彼女たちには、もう何を言っても無駄なのだろう。すでにあるグループで閉ざされてしまって、他者が入る隙間はない。
けれどそれを理解できるほどメグやイェナは聞き分けがいいわけではなく、もうお互い強硬になってしまっている。
イェナもこのままでは泣きそうだし、どうしたものか……。
ぐるぐると頭を悩ませていると、不意に3人のうちの1人が私の方を向いて目が合った。
「レネアちゃん? もいっしょにあそびたいんだよね?」
「え……う、うん」
突然の方向転換、そしてメグたちに向けていた嫌悪感が全くない様子に面食らいながら、咄嗟に頷く。
「レネアちゃんならいいよ」
「え──」
「カタリーナも、レネアとあそびたい!」
「あたしも! レネアちゃんはなかまにいれてあげる!」
私に向けられた言葉は今までとは正反対の言葉と表情で、いったい何が起こっているのか理解ができなかった。
「なんであたしたちはだめなのに、レネアちゃんはいいの!」
「レネアちゃんはいいの!」
「レネア、あっちでいっしょにあそぼ?」
「だめー! れねあちゃんはいぇなたちとあそぶの!!」
「レネアちゃんは、いじわるすることはいっしょにあそばないもん!」
何が、起きているのだろう。
一緒に遊びたいメグたちと、一緒に遊びたくないカタリーナたちが、お互いに平行線な喧嘩をしていたはずだ。それがいつの間にか私の取り合いになって、両腕を引っ張られている。
何で急に、彼女たちは私ならいいと言ってきたのだろう。私だって、イェナと変わらないはずだ。
傍観していたから? いや、私もメグたちと一緒になって遊びたいと言いにやってきていた部外者だ。それによく思い返してみれば、途中から私を気に入って意見を変えたのではなく、初めから嫌悪と排除の対象はメグとイェナだけで、私の方は一切見ていなかった。仲間に入れて欲しいと言ってくる部外者の中で、私だけは初めから拒否していなかった。
でも、じゃあ、何で。何で私だけ最初から受け入れていたのだろう。会ったのは初めてで、好かれるような覚えはない。
何で私だけ、こんなに異様に好かれているのだろう。
そう、異様だ。他者を拒絶する彼女たちが、いつも同じ友だちとしか遊んでいない彼女たちが、初めて会った人を受け入れるなんて。初めから大切な友だちに向けるような好意を向けて、取り合うほどに執着して。
──それはまるで、セロみたいな。
ふと脳裏に浮かんだ顔に、あれ、と思考が揺らぐ。
この世界に生まれてきてから、私を拒否した人はいただろうか。異様な好意を向けられたのは、初めてだろうか。
人見知りがすぎて、家族以外とは全く話せないセロ。彼も、初めて会った時から私だけは受け入れて、私にだけ傍目から見てわかるほど真っ直ぐ好意を向けてきた。
人には懐かないフォコが、私を認識して私の手に降りて大人しく運ばれるがままだった。家族にはなかなか懐かないのに、私にだけは初めから懐いていた。
放し飼いにされているブタが必ず寄ってくる人も、他に見たことがない。世話をする人や、餌になるものを持っている人ならともかく、1度も何もあげたことがなくても私には必ず寄ってきた。
あぁでも、魔蝕種に襲われそうになった時。あの時助けてくれた男は嫌そうな顔をしていた。
──でも、何で私を助けたのだろう。目の前にいる人を見捨てるのは良心の呵責があったから? 私たちが子どもだったから?
いや、あの時私たち以外にも子どもはいて、私たちよりも魔蝕種に近いところにいる人だっていた。なのに、私たちだけ。私と目が合って。他の誰でもない私をずっと見ていて。
違う。でも。
ぐるぐる、ぐるぐる、今までのことが思い出される。肯定して、否定して、何度も何度も思考する。
親戚も、近所の人も、私を見ると笑顔を浮かべてよくしてくれた。──でも、それは当たり前の処世術だ。
たくさんの友だちができた。──それも当たり前の交流だ。
でも、私を嫌い人はいなかった。喧嘩する人もいなかった。初めて会った時から、私に好意を向けていた。いやでもそれは“普通”のことだろう。──本当に? それは、他の人に向けるものと同じだろうか?
他の誰よりも自分が優遇され、過剰な好意を向けられていたことに、本当に気付いていなかった?
ぐるぐると考え続けて、はっと気づく。
いつから、人に好かれるのが当たり前になっていたのだろう。
いつから、他者が笑顔で駆け寄ってくるのが当たり前になったのだろう。
いつから、他者を引っ張るわけでもまとめるわけでもないのに、人の関係性の中心にいたのだろう。
私に異様なほどの好意を向けてくる人がいるのは、私だけを特別扱いする人がいるのはなぜだろう。
何で、私はこんなに愛されているのだろう。
──当たり前だ、だって、神様に「愛されたい」と願ったのだから。
はくり、と空気が漏れる。
私が愛されたいと願ったから。
転生特典として容姿端麗を望んだ人が容姿端麗な姿に産まれるように、最強を望んだ人が最強になるよう産まれるように、私は愛される人として産まれた。
そうだ。だってそうでなければ、私だけが異様に愛されることに説明がつかない。
誰からも愛されるなんてことがあるはずない。
人の感情の中心に必ずいるはずがない。
|1度も笑ったことのない子ども《・・・・・・・・・・・・・・》を、愛してくれるはずがない。
だって、泣いて、笑って、愛を求めて手を伸ばした、“普通”だった“私”を、お母さんとお父さんは愛してくれなかったのだから。
めちゃくちゃお久しぶりです。
待っていらっしゃる方がいたら、遅くなってしまって本当にすみません……。
一応無言で失踪するつもりはないので、ゆっくり完結できたらなと思います。
それにしてもやっとタイトル回収ができました。9話て……。もっとさくっと読めるように書き直したい気もするけれどいつになるやら。
でもこれでやっと話が進みます。