虐げられた伯爵令嬢、公爵家に拾われる
「何かしら、このホコリは!」
伯爵家、当主の妻であるカルナが叫んだ。
メイド服に身を包んだリアンは、その言葉にびくりと肩を上げた。
「さっさと掃除しなさい、このグズ!」
カルナの言葉を受けたリアンは、頷いてから手に持っていた掃除道具を動かした。
「遅いわよ! 言われる前に動け!」
動きだしの遅いリアンに、カルナが声を荒らげ、取り出した鞭でリアンの腕を叩きつけた。
リアンはぐっと唇を噛み、溢れ出しそうな涙を押さえ、必死に掃除を行っていった。
リアンにとって、カルナは義母にあたる。
というのも、リアンは、伯爵家当主と一使用人との間に生まれた子どもだった。
当主の強い希望によって生まれたその子どもが、リアンだった。
だが、リアンが五歳のときに母は死に、それ以降伯爵とリアンは話したことがなかった。
伯爵が愛していたのは、リアンの母であり、リアンではなかったのだ。
そして、伯爵の庇護下に置かれなくなったリアンは――義母とその子の嫉妬の標的となった。
この国では一夫多妻制が認められているとはいえ、女性が納得しているわけではなかった。
それでもリアンには、夢があった。
――騎士になる。
小さい頃、母とともに見に行った騎士団の演舞。
美しく凛々しい女性騎士のように、リアンもなりたかった。
今はその訓練のようなものだと割り切り、リアンは浮かんできた涙をぬぐって笑顔を浮かべた。
〇
八年が経過した。
リアンは15歳になったが、生活は前から大きな変化はなかった。
「リアン、さっさとここに書いたものを買ってきなさい」
「はい、わかりましたカルナン様」
カルナの娘、カルナンから紙を渡される。
リアンがそれを受け取った瞬間、手がわずかに触れる。
瞬間、カルナンの顔が顰められた。
「リアンっ! わたくしに触れないでくれない!? 穢れたあなたに触れたら、わたくしまで穢れてしまうわ!」
「申し訳ありません、カルナン様」
「まったく……っ! いいこと? そこに書いてあるものは、今夜開かれる舞踏会で使うものよ」
「舞踏会……」
「ええ、あなたには一生参加することもできない貴族にのみ許されたパーティーよ。今日こそ、そこで私はグローリー様にお近づきになるのよ」
グローリーとは、公爵家の長男だ。
今年で二十になるが、まだ結婚はしていなく、婚約者もいなかった。
そんな彼と、カルナンは関係を深めたかったらしい。
紙に書かれたものは、グローリーに手渡すためのプレゼントはもちろん、化粧や香水などが手あたり次第に書かれていた。
リアンは一礼とともに部屋を出た。
メモにあった品々が買える場所は遠いことが多く、今回もまたそうだった。
貴族の多くが暮らす貴族街――そこからもっとも離れたスラムに近い店でしか手に入らないものばかりだ。
何か事件でも起これば、メモからはその意図が感じられてしまう。
しかし、リアンは能天気だった。
(この前は三十分かかったし、もっと早くしないと……効率よく回るにはどうしたらいいかしら)
これも騎士になるための体力作り、その程度に捉えていた。
頭の中で効率の良い道を思い浮かべてから、リアンは荷車を持って家を飛び出した。
走り回り、必要なものをテキパキと購入していく。
そうして、おつかいにあったものを買い終えたリアンが屋敷に戻っている途中だった。
男性が現れ、リアンは慌てて足を止めた。
急停止をかけ、なんとか衝突を免れたリアンは、ほっと一息をついて申し訳程度に頭を下げてから、屋敷へと戻り――。
「君、少しいいか?」
と、リアンは男性に肩を掴まれた。
ちらと視線を向け、リアンの頬が引きつる。
見れば、男性が身につけているアクセサリ、衣服はどれも高価なものばかりだった。
それらに着飾られることのない優れた容姿に、リアンはますます困ってしまった。
キレイなものにはトゲがある。それをリアンは知っていた。よく知る身内たちが、そうだったから。
出来る限り、そういう綺麗な人と関わりたくないというのが本音だった。
「えーと、なんでしょうか」
それでも、一使用人として逃げ出すわけにもいかず、リアンは笑顔を浮かべて対応する。その口元が引きつっているのは、嫌な感情を抑え込んだからこそだろう。
「キミに、お願いしたいことがあるんだ」
「私に、ですか? えーとその、私伯爵家の使用人でして、今主の命令を受けていまして、急いで戻る必要がありまして」
(伯爵、と聞けばたぶん大丈夫よね)
「そうか。それなら直接話しをしたい。私は公爵家の長男、グローリーだ」
すっと一礼をして微笑んだ彼に、リアンは目をぱちくりとした。
(え、この人が? え? え?)
公爵家、それについては聞いていた。
カルナンがお近づきになりたい存在。それが目の前にいた。
リアンはさーっと血の気が引いていく。こんな場面をカルナンに見られれば、仕置きを受けるに決まっていた。
「使用人として、舞踏会に来たことはないのか?」
「ええ、まあ、そう、ですね」
(……私は基本的に外に出してもらえなかったし。外に出れるのは、こうやって指示があるときくらいだわ)
そのため、リアンの存在を知っている人間は、屋敷の外にはいなかった。
「キミに、どうしてもお願いしたいことがあるんだ。だから、直接話をしたい。キミを雇っている家まで案内してもらうことは可能かな?」
「ま、待ってください!」
リアンは思わず叫んでいた。相手は公爵、口答えが許されないことを理解していたが、それでもリアンはそう叫んでいた。
(……あの家のためになることはしたくないわ)
「どうしたんだい?」
「……あの家が、私は嫌いなんです。家のためになることは、したくありません。……そのためなら、ここで舌を噛み切る覚悟もあります」
母が病気で倒れたとき、父は母を見限った。
リアンはじっとグローリーを見ると、彼は真剣な目を作った。
「何か、事情があるみたいだね。……僕も、どうしてもお願いしたいことがある。詳しく、聞かせてはくれないか?」
「……わかりました」
リアンは腕をまくり、それを彼に見せた。
「……そのアザや傷は?」
リアンは簡単に自分の置かれている立場、境遇を伝えた。
それらを聞いたグローリーは、難しい面持ちになった。
「それで、伯爵家のためになることはしたくない、と」
「はい。申し訳ありませんが――」
「それならば、キミにとっても好都合なはずだ。キミに、公爵家で仕事をしてほしい」
「え?」
「リアン、キミは虐待が罪であることは知っていたかな?」
「虐待? 罪?」
リアンはさっぱりだった。体は鍛えていたが、頭はからっぽだった。
「ああ、そうだよ。虐待は罪なんだ。国の法律で決まっている。……それを、平民の手本である貴族、それも伯爵がやっていたのならば、国は国民に示しをつけなければならない」
示し。それはつまり、罰を与えるということになる。
思ってもいなかった展開に、リアンはグローリーを見ていた。
「爵位は剥奪になるかもしれないね」
「……そう、なんですか?」
「良くて位を落とされるくらいだろう。今までの生活はできないだろうね」
(それで、少しくらいは母さんも報われるだろうか? ……それとも母さんはこんなこと望んでいないのだろうか? ……けど、私は――)
リアンが考えるように唇を噛むと、グローリーが口を開いた。
「私が、そちらに関してはうまくやっておこう。だから、リアン、キミに頼みたいことがある」
「……頼みたいことですか? 私にできることであれば」
「キミに、ある人との入れ替わりを頼みたいんだ」
そういってグローリーが笑みを浮かべた。
「入れ替わり、ですか?」
「それについては後で話すよ。まずはキミの件を片付けよう……今日はこのまま、僕の家に来てくれないか? 夜には舞踏会も開かれる。その場で、キミの問題を解決しようと思う」
「……私のですか?」
「ああ、そうだ」
公爵家の命令に、逆らえるはずもなく、リアンは彼とともに公爵家へと向かった。
〇
腕を組んだカルナとカルナンは不機嫌極まりない顔をしていた。
「まったく、リアンはどこをほっつき歩いているんだ?」
「そこらで死んでくれているのなら、嬉しい限りだけど、まったく……」
カルナの言葉にカルナンが反応する。
ドレスに身を包んだ二人は、しばらくしてリアンのことなど忘れた。
場所は公爵家の舞踏会会場。
すでに会場には多くの貴族たちが集まり、公爵家のものたちの開始の言葉を待つばかりだった。
薄暗い部屋に明かりがついた。
壇上には、公爵家の長男グローリーが姿を見せていた。
その隣には、不釣り合いなメイド服を着た女性もいた。
彼女の顔には見覚えがあり、カルナとカルナンは顔を顰めた。
「なぜ、リアンがあそこに?」
「……どういうことかしら?」
『皆様方! 舞踏会を始まる前に、大事なお知らせがあります! この中に、トゥーラー家のものはいますか? いましたら、是非ともこちらに上がってきてはいただけませんか!』
グローリーが手に持っていた魔石に声をぶつけると、音が拡声された。
トゥーラー家とは、カルナとカルナンのことだった。
困惑しながら二人が前に進み、壇上へとあがったところで、グローリーが丁寧なお辞儀と笑顔を浮かべた。
間近でそれを見ることができたカルナンの頭の中は、それだけで一杯だった。
『ここまで来ていただいてありがとうございました。出会えてうれしい限りです』
「そ、そんな……それは私もです」
カルナンはぽっと頬を染める。そのおとなしい姿に、リアンが「猫かぶってる……」と思ったのは言うまでもない。
グローリーはそれから笑みを浮かべ、リアンに視線を向けた。
『ここにいるメイドは、トゥーラー家に仕えるものだそうです。ですが、もともとはトゥーラー家の伯爵の庶子、だそうです』
その言葉に、会場は驚いたように沸き立った。
そのような話はどこにもなかったからだ。
風向きが変わりだしたことに、カルナンたちは眉間を寄せ、リアンを睨んだ。
『ですが、こちらのメイドは、使用人との間に生まれた子どもであったために、これまで秘匿され続けました。僕はそれを偶然にも見つけ、そして――虐待を受けていたことを聞かされました。彼女に助けを求められた僕は、国を背負っていく貴族として、このようなことは見逃すわけにはいかないと思いました』
「……お、おまちください! 私たちはそのようなこと――」
カルナたちが否定しようとした瞬間だった、他の貴族たちが声を荒げる。
「子どもは宝なんだぞ!? 貴様ら、一体なにをしている!」
「それが、伯爵か!?」
「ふざけるなよ! あれほどに美しい女性をいじめるなんてっ!」
それを受けたグローリーは厳しい目をカルナたちに向ける。
「詳しい話は、あなたの家の人たちから伺おうと思っています。騎士にも今回の件は伝えてありますから、いずれ、詳しい話は行くと思います。まずは、それだけ――今日は舞踏会をゆっくりと楽しんで行ってくださいね」
にこり、とグローリーは微笑み、顔を真っ青にしていた二人を無視して、開始の挨拶を行った。
〇
その日からは早かった。
リアンは公爵家での預かりとなり、二週間ほど生活をしていた。
カルナとカルナンは実行犯として。
父は黙認し続けたことを罪に問われた。
「……リアンッ! あんたのせいで、あんたのせいで! あたしたちの家は!」
最後にリアンが会ったとき、騎士に押さえつけられていたカルナは顔を真っ赤にして叫んでいた。
リアンはそれをじっと見て、軽く息を吐いた。
最後の面会を終えたリアンは、その足で公爵家へと向かった。
(……詳しい話、何も聞かされていないのよね。……一体、どんな仕事をさせられるのかしらね)
使用人たちの丁寧な案内に慣れないものを感じながら、リアンは、ある一室の前で足を止めた。
扉を守っていた私兵がすっと扉を譲り、リアンが中へと入った。
「失礼します」
そこは病室だ。
ベッドでは一人が横になっていて、グローリーがその近くに座っていた。
扉の音に気づいたのだろう。横になっていた人が体を起こした。
「え?」
リアンは思わずそんな声をあげてしまった。
そこで体を起こしたのは、リアンと瓜二つの、まるで双子と思われるような容姿を持った人だった。
目の色、髪型、髪の長さ、髪色を合わせれば、まさに生き写しとなっていただろう。
笑うその人に、リアンは驚いた顔を向けたままだった。
その隣にいたグローリーが、ぱちぱちと手を鳴らした。
「リアン、よく来てくれた、まずは仕事を受けてくれたお礼を言わせてほしい」
すっとグローリーが頭をさげ、ベッドにいた子も嬉しそうに微笑んだ。
「……その人の代わりに、私が学校に通うのでしたっけ?」
「ああ、そうだッ! ケイリスは手術のために学園を離れることになるっ! だが、手術だなんて周りの者たちに知れ渡ってしまえば、余計な争いことを招きかねない! だから、キミにかわりを務めてもらいたい!」
「なるほど……そのような事情があったのですね」
「ああっ! それに、可愛い可愛いケイリスの成績が落ちるのは嫌だ!」
(そっちが本音ね……)
「に、兄さん……そんなアホみたいなことで大きな声をあげないで――」
控えめに、そういうがグローリーは止まらない。
「いいや語らせてもらう! おまえの魅力をッ! 今ここでッ!」
「静かにしないと体に響くんだけど」
「……すまない」
これまで見たこともないグローリーの様子に、リアンはいよいよ状況がわからなくなった。
グローリーはリアンのほうまで歩き、それからすっと頭を下げる。
「リアン、そういうわけだ。彼の代わりに、学園に通ってほしい」
「……彼?」
「なんだ言っていなかったか?」
にこりとグローリーは笑い、リアンはますます頬を引きつらせる。
「けど、わかりました。彼のかわりを務めれば、私を騎士学園に通わせてくれるんですよね?」
「ああ、それも約束の一つだったからな」
「……それなら、わかりました。お受けします」
リアンはそういって、強く頷いた。
そうして、リアンは自身の夢に向けての第一歩を踏み出した。