17 君のためにできること(4)
空間移動をして辿り着いた先はセレスの私室だった。
慣れ親しんだ空気が、心をゆったりと落ち着かせてくれる。ここでなら、腹を割って話をすることができそうだ。
ふと、自分たちがまだ手を繋いだままであることに気付いたセレスは、もうその必要はないのでは、と思い手を解こうとしたが、キルシュの手が名残惜しげに強く握りしめてくる。
(まあ、いいか)
頬が緩み、少し落ち着かない気分にはなるが、話をするのに大きな支障はないので、セレスは気を取り直して、キルシュに向き直る。
「キルシュの気持ち……私を誰よりも大事にしてくれていること、すごく伝わった」
「うん」
キルシュは、いつになく素直に、こくりと頷いた。その後、少しだけ躊躇うように口を開き、また閉じる。そんなことを何度か繰り返した後、ようやく意を決したのか、言葉を紡いだ。
「僕は、君の気持を……聞きたい」
真っ直ぐな瞳が、セレスを貫く。セレスもその真摯な眼差しに応じ、キルシュを見つめ返し、そして言った。
「約束したでしょ。他の誰にも、心を揺らさないって」
かつて、二人で密かに交わした約束を繰り返す。
あの日以来、その約束を忘れたことなど、決してなかった。
きっと幼心に気づいていたのだろう。己の未来を拘束するほどの重い約束。それを交わしても良いと考える何か特別なものを、キルシュに感じていたのだ。
しかし。
「約束だから、誰にも心を揺らさなかった……?」
少しだけ不服そうにキルシュが言葉を継ぐ。それに対して、セレスはこっそり笑った後、ぐっと腹に力を込め、こう言い放った。
「そう。そのせいで私、行き遅れ気味なんだからね!」
行き遅れ気味、ではなく、実際に行き遅れているのだが、そこには目をつぶっておく。案の定、
「それは、僕だけのせいではないんじゃ……」
とキルシュから冷静な突っ込みを受けたが、セレスは有無を言わさず、
「キルシュのせい!」
と繰り返して断言し、彼の言葉の続きを強引に止めた。そのまま、ぴしりと指を突きつける。
「とにかく、キルシュは責任取らないといけないのよ」
そう言い切ると、キルシュがいつにない呆けた顔で、口をぽかんと開けた。
「……は?」
それは、傍から見れば、まるでセレスが自分勝手な物言いをしているように感じられるかもしれない。
しかしセレスは知っている。このままキルシュを放置していたら、また暴走して自分の身を呈するなど無茶なことをしかねない。
ならば、セレスから穏便な対処方法を提示した方が、まだましであると。
「私の痛みを取る魔法を開発して。キルシュは稀代の大魔術師なんでしょう?」
そう言って、セレスは静かに微笑んだ。一方で、キルシュは、
「……っ」
と息を飲む。
……どうやら彼は「自分の魔力がなくなれば、契約の呪いは解ける」という一つの方法に頭が占拠されていたようで、その可能性に思い至らなかったようだ。
もしかすると、そんな方法はないのかもしれない。けれど、考え得る限りのことを試してみる価値はあるはずだ。
「そうしたら、私がどれほどキルシュのことを好きか、証明してあげる。何度でも、あなたの気が済むまで」
そう締めくくり、ある程度、場が収まったなと感じると、再び痛みがぶり返してきた。左手を押さえて顔をしかめ、うずくまると、キルシュも同じようにしゃがみ込み、顔を覗き込んできた。
「セレスは……僕のことを思って、苦しいの?」
ここまで言って、なお疑いの目を向けている訳ではなく、恐らくそれは、肯定を期待した問いかけだろう。まだるっこしいが、こうなったら相手が十分に納得するまで十分に伝えるべきだろう。
「そうよ。あなたのことを思うと、動悸息切れ目眩がして大変なんだから」
「それ、何かの病気なんじゃ……」
そう突っ込みを入れるキルシュは苦笑いを浮かべている。その様子から、ようやくいつもの調子に戻ってくれたのだと安堵したのも束の間。
「セレス……キスしていい?」
とキルシュがぐっと身を乗り出してきた。
え? と思う暇さえなかった。
瞬く間に彼の顔が近づいてきて――そして、唇が重なった。




