17 君のためにできること(3)
そして。
キルシュの前に身を投げ出したセレスの体を、青年から放たれた、何か、得体の知れない力が貫通する。
(……っ! …………??)
――覚悟していたような痛みはなかった。衝撃も、ない。
ただ、魔力が全身から吸い取られるような、そんな虚脱感にも似た不思議な感覚が、セレスの身を包んだ。思わず、ふらりとよろめいたが、倒れないよう何とか踏みとどまる。
そんなセレスの様子に頓着することなく、
「少ない……」
と全ての元凶である見知らぬ青年が、じっと手を見ながら心底残念そうな顔をして呟いた。そして、これまた心底悲しそうな目でセレスを見やる。まるで、こちらが悪いことをしたような気になってしまうような眼差しだ。
「悪かったわね!」
確かに自分の魔力の量は、キルシュのそれと比べれば、海の水とグラス一杯の水ほどに差があるだろう。
しかし、かつてのファーの言葉が本当であれば、これでも精霊と契約できるだけのキャパシティはあるはずだ。
いや、そんなことより。
(魔力が失われても、案外普通に動けるものなのね……)
今でも、何とはなしに疲労感のようなものを覚えるものの、普通に喋ることができる状況に、ほっとする。……まあ、世の中には全く魔力のない人間もいるのだから、特段おかしなことではないのだろうが。
そう思いながら、軽く一息ついたその時。
ぐいっと乱暴に腕を引っ張られた。
そうしてセレスはキルシュの真正面に立つ形になる。
キルシュは真っ青な顔をしてセレスの体を頭のてっぺんから爪先までざっくりと確認した後、苛立ったように声を荒げた。
「ば……かっ! 何てことをするんだ、君は! 何かあったら、どうするつもりなんだ!?」
開口一番、頭ごなしに怒鳴りつけられたセレスは、反射的に反論してしまう。
「魔力を取るだけなんだから、死にはしないでしょう。そのくらい、ちゃんと考えているんだから!」
正確に言えば、キルシュの前に飛び出した際は咄嗟の判断であり「人間は魔力がなくても生きていける」と考えたのは、後付けだった。しかし、正直にそれを言えば、キルシュはますます逆上するだろうから、そこは誤魔化しておく。
しかし、キルシュの怒りは、そう簡単に収まりそうにはない。
「死ぬかもしれないだろ! 魔力を取られても死なないなんて、何の根拠があるんだ」
「キルシュだって、魔力を絶とうとしてたじゃない?」
セレスから見れば、キルシュの言い分は、暴論だ。魔力がなくなれば人が死ぬと考えているのであれば、彼もまた、魔力を失えば死んでしまう可能性があったということだ。
そんな危険なことを考えていた彼に、責められる謂われはない。
しかし。
「僕は、最低限の魔力は残すよう、パルミエと交渉していた。でも、僕の魔力を取る勢いで君の魔力を取ったら、君の魔力はあっというまに干からびてしまうだろう!?」
そう言われると、ぐうの音も出ない。
キルシュと青年……パルミエというようだが……は顔見知りであり特段険悪な仲というわけではないようなので、そういった取引を交わしていた可能性はある。となると、彼の言い分の方が正しい、ということになり、準備の足りていなかったセレスに反論の余地はない。
ぐっと言葉に詰まったセレスは、しかしすぐに自らの非を認め、彼の怒りを受け止めるよう身構える。だが次の瞬間、キルシュの口から飛び出した言葉からは、苛立ちは消えていた。
「僕は……」
キルシュの手が伸ばされ、セレスの頬にそっと触れた。
「君のためなら、魔力を捨てても良いと思った」
絞り出すように紡がれる、その声。
彼が自分を想う、その優しいぬくもりが心に染みんで、全身にじわじわと広がっていく。とても満ち足りた気持ちになる。
「うん」
セレスは頷いて、自分の手をキルシュの手の甲に重ねた。
「でもね、キルシュ」
優しい眼差しでキルシュを見やったセレスは、穏やかな口調で、こう言い切った。
「魔力をとったらキルシュ、ただの怠惰な人だからね」
「……」
キルシュが思わず絶句する。
……何となくいい雰囲気だったのが台無しである。
が、そもそもここには人の目もあるので、この雰囲気を続けるのはセレスが面映ゆいのと、キルシュに妙な罪悪感を抱えさせるのは本意ではない。だからこそ、この空気を壊したのだが。
キルシュは軽く額を抑えた。
「言うに事欠いて、それなのか……」
そのまま、続けて何か言おうとしたキルシュを、セレスはその手を取ることによって遮った。そして、伝える。
「とりあえず、一旦外へ出ましょう? ここでは、ちょっと人目がありすぎて」
その時になって初めてキルシュは、扉の向こうからにやにやと、こちらの遣り取りを眺めているファーの姿に気づいたらしい。
彼はちっと軽く舌打ちすると、セレスの勧めに応じて、空間を移動した。




