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13 ひえらるきー(4)

 当の本人よりも、よほど憤慨しているキルシュを見ると、セレスティーナの気持ちは不思議と落ち着いたようだった。


「あんなの、放っておけばいいのに。口だけだから、実害はないのよ」


 少し醒めた、大人びた口調。それは彼女がいかに、こういった誹謗中傷を受け慣れているかという証拠でもある。

 一方、キルシュは納得いかないといった様子だ。


「でも、ずっと侮られたままになる。そうなると、いずれ口だけじゃ済まなくなるのは……君だって分かっているんだろう?」


 キルシュが仄めかすのは、セレスティーナの父親のことだ。言葉の刃の次は実力行使であることを、その男は証明してみせた。セレスティーナは、痛いところを突かれたと表情を暗くする。

 うーんと唸りながら、眉を軽くしかめる。


「そう……よね。確かに適度な報復は大事だわ」


 ここで、


「復讐なんて絶対に駄目!」


と言わないところが、キルシュの主らしい。その是非はともかく、このくらいシビアな感覚を持っていなければ、彼女のように脆弱な基盤しか持っていない王族が生き延びて行くのは難しかったのだろう。

 ただ、


「でも」


とそう続けたセレスティーナの声は、先ほどに比べて穏やかだった。


「やっぱり陰口に対して半殺しは、やり過ぎだと思うの」


 こういった複雑な出生のせいで、多少ひねくれているところもあるが、根っこのところでは普通の優しい少女であることが窺える優しい声だ。

 しかしキルシュはなおも首を横に振った。


「悪口だって、君は傷ついてる。肉体的な痛みだけが傷じゃない」


 そう言いながら、キルシュは腕を伸ばすと、セレスティーナの手に自分の手を重ねた。そして、まるでそこに傷があるかのように包み込む。

 キルシュの労る言葉と行動に、


「うん」


とセレスティーナは目を細める。


「ありがと、キルシュ。でもね」


 セレスティーナはもう片方の手を、キルシュの手の甲にそっと添えた。


「私、誰にでも好かれたいとは思わないの」


 私が、全ての人を愛することができないように、と付け足す。


 悲しいことだが、一般的な人間の心の容量はある程度決まっており、その心を満たす存在というのは側にいるだけで心浮き立つような恋人であったり、愛してくれる家族であったり、悲しみや苦しみを分かち合える友人などである。

 彼らのことを考えることに忙しくて、自分を嫌う存在のことを考える暇などないのだ、といった内容をセレスティーナは静かに語った。


 そして柔らかに微笑む。


「私にはキルシュがいる」


 セレスティーナの眼差しに晒されたキルシュは、大層分かりづらいが、微かに頬を染める。どうやら照れているらしい。


「それに、私のことを理解しようとしてくれる人は、少ないけど、確かにいるから」


 紛れもないセレスティーナからの信頼を感じ取ったキルシュは、照れくささを隠すようにくしゃくしゃと髪をかき混ぜながら、


「君がそう言うなら……」


と不承不承といったていで頷きつつ、


「善処するよ」


と取りあえず義憤を抑えた様子だった。


(キルシュ様……穏やかになって)


 さながら父が子を見守るような気持ちがファーの内側で沸き上がる。キルシュがリンツァーを飛び出した時にはどうなることかと心配したが、案ずることなど何もなかったようだ。


 そのように、セレスティーナとキルシュの一連の遣り取りを見て、ほのぼのした気分に包まれたファーであったが。


「半殺しじゃなくて、四分の一くらいにしておく」

「……」


 キルシュとセレスティーナの間に、微妙な沈黙が流れた。もちろん、ファーの温まった心も一瞬で凍り付く。

 前言撤回、とファーは思う。やはりキルシュはキルシュだった。その証拠にセレスティーナも呆れたような瞳でキルシュを見つめている。


「いや、半分とか四分の一とか、そういう言葉の問題じゃなくて……」


 セレスティーナはキルシュの考えを訂正しようと試みていたようだが、じっと窺うように見つめてくるキルシュを見やると、やがて考えることを放棄してしまった様子で言葉を翻した。


「うん、ま、いっか。四分の一くらいにしておいてね」


 再び前言撤回。確かにセレスティーナは根っこの部分に優しさを備えてているだろうが、同時に少し斜に構えた部分も彼女の本質だろう。そしてそれを同時に内包しているからこそ、キルシュにとって居心地の良い主たれるのだ。


 まさに、この従者にしてこの主あり、といったところか。


 また、先ほどはキルシュが穏やかになったことを友として喜ばしく思っていたが。


(穏やかになった……のか?)


 一抹の不安は残る。

 しかし全体として見れば、彼がここに居場所を求めたことは、決して間違いではなかったと素直に祝福しても良いのだろう。

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