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12 最強精霊に弱点はあるか否かについての考察(1)

 極めて平和かつ麗らかな昼下がりに。


 辺りを揺るがす爆音が鳴り響いた。出所はシュトーレン王城、元第一王女セレスティーナの研究室である。


「う……わぁ。久しぶりに、失敗した」


 部屋中に充満する、怪しげな紫色の煙に咳き込みつつ、セレスは、そう一言零した。彼女の声にあまり緊迫感が感じられないのは、被害がさしたる程度ではなかったからだ。

 それは大した失敗ではなかったからではない。失敗に対する備えが万全であり、それが効をなしたからだ。それがなければ、今頃城ごと吹き飛ぶという洒落にならない大惨事となっていただろう。


「それはかなり難しい部類の結界陣だし、失敗は仕方ないんじゃない?」


 隣からかけられる声も、セレスに負けず劣らず、危機感はない。声の主はセレスの従者であると同時に、研究における失敗時の備えであるキルシュである。

 彼の声は、慰めているというよりは、事実を淡々と述べる、といった口調だ。対するセレスは、感謝の念に堪えないという気持ちを胸に謝辞を告げた。


「いつもありがとう。キルシュのお陰で助かったわ」


 こうして心おきなく実験を行うことができるのは、ひとえにキルシュが、いかなる不測の事態にも対処してくれるという安心感があるからだ。

 セレスが結界学を習い始めた頃から変わらず、キルシュはセレスの実験に立ち会い、失敗による被害を未然に防いでくれるのだ。感謝しすぎることはない。

 にこにこと笑顔で礼を述べると、キルシュはつと視線を逸らした。


「別に。君に死なれて困るのは、契約を交わしている僕だからね。君に感謝されるいわれはないよ」


 本当に大したことがないと思っているのか、実は照れているのか、相変わらず判断のつきがたい反応である。

 しかしキルシュは、すぐに視線をセレスに戻し、軽く肩を竦めた。


「それより、これで道具の在庫が切れたみたいだよ。取り寄せる?」


 取り寄せる、というのは研究院に備品を申請するという意味で、キルシュに頼んで魔法で出現させるという意味ではない。漫然と魔法で取り出した場合、それは「どこか」からか強奪してしまっている可能性がある。

 犯罪を犯すのは本意ではないので、セレスは必ず、正規の手続きを経て消耗品を手に入れるようにしている。

 セレスはしばし考え込む。その後、ぽんと軽く手を叩いて、提案した。


「ううん。たまには城下に買いに行こうかな」

「そう。じゃあ、行ってきたら?」


 そう言って、ひらひらと全くやる気のない感じで振られたキルシュの手を、セレスはがしっと掴んだ。


「キルシュも一緒に行くのよ」

「僕も?」


 セレスの言葉に、キルシュが一瞬目を丸くする。しかし、それはごく一瞬のことで、すぐに心底気怠げに、


「……面倒臭い」


と彼女の提案を拒絶した。しかし何か火急の用でもない限り、積極的に城を出ないキルシュである。今のように思い立った時に連れ出さなければ、次にいつ機会が訪れるかも分からない。

 そのため、セレスの中に「退く」という文字はなかった。


「たまには外にも出ないと、干からびるわよ」


 生物学的根拠のない説得を行うと、案の定、


「人間の体は、外出しないくらいで干物にはならないんだけど」


と反論が来た。しかしそれも予想の範囲内である。そもそも、理詰めで彼に勝てるわけがない。ゆえに結局、ごり押しになってしまうのは、最初から目に見えていた。


「屁理屈はいいから、とっとと行くの!」


 有無を言わせず宣言し、セレスはキルシュの手を引いた。流石のキルシュも、それを無理に振り払ってまで拒否する意思はなかったようで、


「仕方ないな」


と観念し、セレスはキルシュと共に実験道具の買い出しに出かけることになったのである。







 王が変わろうが政治が変わろうが、城下町は古今東西変わらず、極めて平和でせわしない。


「久しぶりね」


 目を輝かせ、足取りも軽やかに町を闊歩するセレスの姿は、完全に町娘であり、周囲の風景に、見事、溶け込んでいた。

 一方のキルシュは、こちらも町人の格好に変装している……といっても、元々大層綺麗な少年の姿であるため、周囲からは随分と浮いている。しかし誰も気に留めないのは、彼がその力で気配を殺しているためだろう。


 一応「元」王女とその従者という立場の二人は、既にその身分を失っているといっても、訳ありの存在であることには変わりない。目立たないに越したことはなかった。


「城下町って言っても、実質的には近くて遠い場所だったのよね」

「それは当然だろう? 王女であった君が、日常的にふらふら城下町を出歩いるようじゃ、国家としての体裁が悪いよ」


 何気ない呟きに対して、非常に冷静な相槌が返ってくる。口調がいつに増してぶっきらぼうなのは、不機嫌だからだろうか。


(無理に連れ出したも同然だしね。仕方ないか)


 しかし、セレスはキルシュに、もっとシュトーレンのことを知ってほしいと思うのだ。否、シュトーレンだけでなく、この広大な世界を。

 彼はリンツァーという閉ざされた世界に飽いて、この地に辿り着いた精霊だ。退屈な毎日にうんざりしていたと彼は言った。だからこそ、様々なものに触れて、刺激を受けてほしいとセレスは願う。


(でも、そんなのも建前で……ただ不安なだけなのかもしれない)


 キルシュは自分に、安心して暮らせる日々を与えてくれた。しかし逆はどうだろうか。自分と共にいても、何一つ得るものがないと失望されていないだろうか、と。


「……」


 そこまで考えて、セレスは軽く頭を振った。この晴れやかな日に湿っぽい思考はそぐわない。折角町に出たのだから楽しまなくては、と気分を一新させる。


「町に降りてくるって事より」


 セレスはコーヒーの良い香りに引き留められ、話しながら足を止める。挽きたての豆の馥郁たる香りを肺一杯に吸い込みながら、言葉を続けた。


「キルシュと出かけるのが、すごく久しぶりな気がする」

「……まあね」


 返事をしつつ、キルシュはセレスに倣うように香りの元であるコーヒー店を覗き込む。セレスもキルシュもコーヒーと紅茶双方を嗜む。焙煎の香りが辺りに充満しているせいか、今は無性にコーヒーという気分だった。


「基本的に、何でも城で取り寄せることもできるのに、こんな人混みにまみれて買い物をしようという君の嗜好が、僕には理解できないんだけど」


 溜息混じりのキルシュの言葉は、至って合理的だ。しかしながら、全くもって夢がない。セレスは口をへの字に曲げつつ、ぴしりと言い放った。


「非合理的なこととか無駄なことも、人生には必要なのよ」

「……自信満々に言い切ったね」

「少なくとも、キルシュには無駄がなさすぎるの。一見くだらなさそうなことにだって、大事なものが隠れている……かもしれないし」


 言いながらも、流石にこじつけが酷いと感じたセレスの語尾が、たちまち小さくなっていく。しかし、それを聞いたキルシュは、くすりと小さく笑った。


「やっぱり僕には君の言うことが分からないけど……まあ、君はもっと楽しんだらいいんじゃない? 僕は君と感覚を共有している部分があるわけだし、君の感情がくるくる動くのには興味あるしね」


 そう締めくくるキルシュの表情は柔らかい。それを見てセレスはほっと息をつく。

 彼は自分自身は合理的であるが、他者の非合理的行動には意外と寛容だったりする。そもそも、そうでなければ、己より圧倒的に弱い存在であるセレスと契約など、決してしなかっただろう。


 珍しい珈琲豆を見つけ、キルシュがそれを購入する。その姿を見ながら、明日のティータイムのための茶菓子は、珈琲に合う少し甘めのものが良いな、とセレスは頭の中で様々な菓子類を思い描く。

 久方ぶりのキルシュとの買い物は、そのようにして、殊のほか穏やかに過ぎて行く。


 しかし、そんな二人を追跡する影が一つ。

 二人はまだ、それに気付かずにいた。

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