tea time 5 チーズケーキとコーヒー(2)
レアを荷物のように抱えたノエルは、セレスと共に、最も手近にあった部屋の扉を開き、中へと入る。そこで見た光景に、レアは唖然と口を開いた。
(ここ、こんな部屋じゃなかった……)
レアの知る限り、この部屋は確か客室だったはずだ。
品は良いけれど温かみのない画一的な部屋。それが一般的な客室の造りだろうが、レアの視界いっぱいに広がる部屋は、それとは随分違った様相だった。
決して汚いわけではない。しかし生活感に溢れている。
机の上の開きっぱなしの本。棚にずらりと並ぶ、不思議な瓶や道具。清潔に片付けられてはいるが、圧倒的に物が多い。
不思議そうに目を瞬かせるレアの内心を読んだかのように、セレスティーナがその疑問に対する答えを示す。
「ここは私の部屋よ。今、キルシュに頼んで繋いでもらったの」
キルシュ。
面識はないが、よく耳にする名である。
第一王女によって召し抱えられている魔術師だ。とても綺麗な顔をした少年だが、並々ならぬ魔力の持ち主であると聞く。
そのようなことを、レアがあれこれと考えている間に、ノエルが彼女の体をゆっくりと下へ降ろす。
その瞬間、はっと我に返った。自分が今、どういう出で立ちなのか……惨めな姿をしているのかを思い出したのである。
「あ……絨毯が……」
濡れ鼠のレアが降りてしまったため、品の良い絨毯が湿ってしまった。
しかしセレスティーナは直ぐさま首を軽く竦めて、何事もないかのように言い放った。
「濡れてもすぐに乾くでしょう? 気にしなくていいの」
気にするな、と言われてもレアには意味が分からない。いや、全て分からないことだらけだ。
何故、この人たちは、自分を怒らないのか。汚れているといって避けないのか。
……どうして、優しくしてくれるのか。
ふと横を見やれば、レアを担いでいたノエルの肩の辺りも濡れている。それを見て、レアはひどく申し訳ない気持ちに苛まれた。
「……ごめんなさい……」
頭を下げるが、ノエルは居心地悪そうに身じろぎし、首を横に振った。
「謝らなくていい。そもそも、レアが濡れているのも、レアのせいじゃないしな」
そう言って、ノエルはレアの頭を乱暴に撫でた。しかし髪が濡れているせいで絡まってしまい、ノエルは慌てて手で梳って元通りに直す。
ある程度髪型を整えると、ノエルはレアをセレスティーナの方へと向き直らせた。第一王女は一つ頷く。
「じゃあ、こちらに来て」
寵妃派の侍女たちから卑しい娘と蔑まれていたレアの手を、セレスティーナは何の躊躇いもなく握った。自分の手が濡れて冷え切っていたせいか、セレスティーナの手は随分と温かく感じられる。
その手に引かれるまま、レアはとてとてとセレスティーナの後に付いて行った。予測もつかない展開に思考が追いついて来ず、最早セレスティーナにされるがままだ。
セレスティーナが、部屋の中にいくつかある扉の一つを開いた。
そうして共に足を踏み入れた部屋は、先程より幾分か温かく、快適な室温だった。しかし、先の部屋とは違って、面積は広いが物がほとんど置かれていない、無機質な様相である。
それが、どういった用途で使われている部屋か察することは難しくなかった。
恐らく魔術演習のための部屋だろう。第一王女が専攻している結界学は、結界を記述する必要がある。より巨大な陣を張るためには広い場所が求められる。
その部屋の手前側に、籠に入った浴布が用意してあった。
触り心地の良さそうな浴布を手に取ったセレスティーナが、レアの正面に立つ。そのまま彼女は、それをふわりとレアの頭に覆い被せた。
思いのほか優しいセレスティーナの手つきが、レアの肌の水滴を拭って行く。
それがあらかた終わると、最後にどこからか吹いてきた温風が、レアの全身を乾かした。恐らく、この場にいないキルシュという少年の魔術なのだろう。
温かな風と、温かな手。そのぬくもりが、レアの心のたがを外してしまった。視界がうっすらと涙の膜で潤んだ。
「セレスティーナ様……は、どうして、私に触れてくれるの?」
不思議で不思議でたまらなかったこと。
寵妃派の侍女にとって汚らわしい存在である自分は、彼女たちより立場が上であるセレスティーナにとっても、当然、触りたくない存在であるはずだ。
しかしその疑問を、セレスティーナはたった一言で片付けた。
「どうしてって言われても……レアは妹だもの」
家族だから当然だな、と隣でノエルも頷いている。しかし、レアの疑問は完全には解決しない。
「でも……っ! お父様は、触ってくれない」
レアは拳を握り締めた。今までに積もりに積もったわだかまりを一気に吐き出す。
「お父様は……何もしてくれない……っ!」
娘がこれほど苦しい思いをしているのに、何の手助けもしてくれない父親。
彼が無力であるというのならば、それも仕方がなかろう。
しかし父親には絶対の権力があるのだ。王という最大の力が。だが彼は、それをレアのために使おうとはしないのである。
レアは、己が抱え続けてきた最大の疑問と不満を、第一王女に突きつける。それに対し、セレスティーナは一体どのような解答を示してくれるのか。
レアは不安と期待が入り交じった瞳で、ひたと相手の目を見詰めた。




