11 男心 哀愁のバラード(2)
セレスティーナの口から飛び出した言葉が、あまりに衝撃的な内容であったため、ノエルは思わず、
「い、今何と……」
と尋ね返していた。
第一王女の言葉を聞き返すなど無礼も甚だしいのだが、今のノエルはすっかり正常な思考を失っており、そこまで気を回す余裕がなかった。
ただし、セレスティーナは、そういったことに拘泥する性格ではなかったため、ノエルの要望どおり、一字一句違えず、先程の言葉を繰り返した。
「私、カトルカールと婚約することになったの」
一体何が嬉しいのだろうか。にこにこと破顔しながら、彼女はそう告げる。ノエルが覚えているセレスティーナの笑顔の中でも、最高のもののように思われた。
一方で、ノエルは頬をぴくぴくと痙攣させながら、セレスティーナの言葉をもう一度反芻する。
ワタシ、かとるかーる ト 婚約スル コトニ ナッタノ。
心は理解することを拒んでいるが、如何せん彼の賢い頭は、即座にその台詞の意味を呑み込んでしまう。
よりによってカトルカール。
ノエルはカトルカールの容姿、才能、性格その他諸々の要素を思い浮かべて、愕然とする。
(あ、あいつに負けるなんて……)
人生最大の屈辱に打ち震えている間にも、ノエルは全てを理解した。病気であると公表されていたセレスティーナが、今、限りなく元気そのものである理由に。
セレスティーナが病と偽って、今後の対策を練っていることは察していたが、その内容はつまり、しかるべき相手との婚約の段取りだったのだ。しかも寵姫派の妨害を受けないため、ごく限られた当事者間で密かに進めていたのだろう。
ただ、ノエルの中の冷静な部分は、こんなふうにも思う。
(妥当と言えば妥当か)
――本人の資質はともかくとして、カトルカールは紛れもなく名家の出だ。しがない役人である父を持つノエルの出自とは、比べものにならない。
どうにも太刀打ちできない相手だ。今はまだ、圧倒的に力が足りない。
しかしながら。
(本当に、誰でも良かったんだな)
何とも言えない虚脱感がノエルを襲った。あまりの脱力感に、口から魂が飛び出しそうな勢いだ。
だが、彼はこれでも、シュトーレンの未来を担う将来有望な若者である。何とか自力で衝撃から立ち直ろうと試みる。
「それは良かったですね」
取り敢えず頭を冷やすために、おざなりの社交辞令の言葉を紡いでみる。ついでに求められるままに握手を返してもみた。しかし、その手に思わず力がこもってしまったらしい。
「あの……ノエル? 痛いんだけど」
はっと見やれば、セレスティーナの眉が、痛みに軽くしかめられている。
「あ、ああ、申し訳ありません」
セレスの訴えに、ノエルは狼狽えながら手を放した。
そんなノエルの歯切れと対応の悪さに、流石のセレスティーナも様子がおかしいと気付いたのだろう。
「ノエル……祝福してくれないの? 旧王妃派としては地盤も固められるし、貴方にとっても悪い話じゃないと思うのだけど……」
セレスティーナが困惑気味に首を傾げた。一方、ノエルもこれ以上醜態を晒すわけにはいかないと自分自身を叱咤する。彼は己にできうる限りの作り笑いを浮かべて応じた。
「いいえ。心から祝福していますよ」
しかし、セレスティーナの表情は、いまだ不審げだ。決して納得したわけではないのだろう。
しかし、あまり執拗に突っ込むのもどうかと考えたのか、それ以上の追求はしてこなかった。かわりに、話題を変えてくる。
「そういえば、ノエルも私に何か話があるのじゃなかった?」
相手は恐らく、口の重いノエルに対して何か別の話題を、と彼女なりに気を遣ったつもりだろう。しかし、その気の遣い方が、今のノエルには逆効果であった。
(話を蒸し返しているのと同じなんだけどな)
しかしそれを、セレスティーナが知る由はない。彼女は、ノエルの切り出そうとした話の内容が
「婚約の申し出」だとは知らないのだから。
もちろん、今更それを告げるわけにもいかない。ノエルは素知らぬ顔でうそぶいた。
「いえ。気のせいです」
「え? そうなの?」
ノエルの返答に、目を見開いて驚く少女。しかし、どこか釈然としないのか顎に手を当て考え込む。
「確かに話があるって言ってたような……」
再びセレスティーナの頭に疑惑が芽吹いてしまっては面倒だと、ノエルは先手を打つ。
「気のせいです」
先程より強く言い切って、微笑んだ。今度こそ、セレスティーナの疑念を一掃させる、完璧な微笑みを作り上げる。
それで話は終わりだった。婚約が決まったばかりのセレスティーナは、あれこれと手続きに忙しい。ノエルにばかり、かかずらってはいられない状況であるはずだ。
別れの挨拶をして、去って行くシュトーレン第一王女の姿。その背中を見送るノエルの心の中は、土砂降り真っ最中である。
しかし、それだけで終わらないのが、彼である。
(いつか、必ず……)
カトルカールを越えてみせる、と堅く心に誓ったノエル、その少年時代の一幕であった。
――まさか、このようなちっぽけな目標のために、クーデターという大それた事件を起こしたのかと問われれば、本人は真っ向から否定するだろうが……真偽の程は定かではない。




