11 男心 哀愁のバラード(1)
ノエルがセレスティーナを最初に意識したのは、間違いなく、婚約の話を持ちかけられた時である。
それは特段艶っぽい理由ではなく、今まで「この国の第一王女」と記号的にしか認識していなかった人間を「セレスティーナ」という個人として認識した最初の瞬間だったからだ、という理由にすぎない。
けれど。
その直後、セレスティーナは、王の卑劣な画策によって城を離れざるを得なくなった。
指定された別荘まで大した距離ではないとはいえ、護衛のいない第一王女など、格好の標的であり危険な旅でしかない。
王の策略に気づいた旧王妃派の面々は、すぐさま彼女を安全を確保すべく動こうとしたが、やはり国王の邪魔が入り、足止めを食らった。結局、旧王妃派の者は為す術なく、ただ彼女の無事を祈るしかなかった。
しかし、幸いにして、セレスティーナは無事に戻ってきた。しかも、強大な力と共に。
旧王妃派の誰もが、彼女の無事と幸いを言祝いだ。そして、セレスティーナはそれに、にこやかに対応した。また、肝心なところで役に立たなかったと落ち込む臣下……主に自分やクーロンヌだが……に対しても逆に「心配をかけて、ごめんなさい」と深く頭を下げたのである。
けれどノエルは知ってしまった。その笑顔の裏側にある、彼女の悲痛を。
それはセレスティーナが王と一戦を交えた夜。ノエルは他の旧王妃派と同様、この問題に取り組むべく夜遅くまで奔走していた。
そんな折、庭に飛び出してきたセレスティーナの姿を、偶然見つけたのである。
ノエルは、彼女の無事に心から安堵した。しかし、それは束の間のことだった。彼女がひどく思い詰めたような表情をしていたからだ。
ただ、声をかけようにも、セレスティーナは見知らぬ少年と話し込んでいるため、割り込んで行けるような雰囲気ではなかった。
そこで見てしまったのである。
見知らぬ少年の前で、泣きじゃくるセレスティーナの姿を。そして知った。彼女がずっと心に秘めていた苦しみを。
結局ノエルはその日、セレスティーナと会うことなく、その場を去った。
――ノエルの想像以上に危うい第一王女という立場。
どれほど強かに見えても、セレスティーナはあくまで、ノエルより年下の少女だ。無力なか弱い少女、とまでは言わないが、それでも彼女一人だけの力で出来うることは少ないだろう。
ことさら、セレスティーナの「弱い」部分に心惹かれた、というわけではない。彼女は全体的には図太く「弱い」部分はほんの一部分だ。そして自分はその一部分を含めて、年の割にはしっかりした彼女と同じものを見ることができたら、と願ったのだ。
(俺が支えないと……)
そのためには、どう行動するのが最良の策か。それは考えるまでもなく歴然としていた。
(婚約の話を受け入れよう)
そう決心したのは、くだんの騒ぎが一段落して数日経った頃だった。
廊下を歩きながら、いつ彼女にそれを切り出そうかと考えていた、まさにその時。
前方にセレスの姿が見えた。こちらに向かって歩いてきている。ノエルがセレスティーナに気付くのと同時に、彼女もノエルの存在に気が付いたらしい。相手は軽く片手を挙げた後、一直線にノエルの元へ進み始めた。
セレスティーナは王とのやり取り以来、しばらく病に伏せっているとの名目で、公式の場を欠席し続けていた。
ということは現在、彼女は病み上がりということになるが、セレスの足取りは思いの外しっかりしている。むしろ軽快と表現しても良い。
(うきうきしてないか?)
実父である国王と一戦交えた後の打ちひしがれた様子が夢まぼろしであるかのような明るさだ。
「ノエル」
ノエルの名を呼ぶ声も随分と弾んでいる。一方のノエルは、やや訝しげな声で尋ねた。
「セレスティーナ様……お加減はよろしいのですか?」
「え……ええ。心配かけて、ごめんなさい」
ノエルの問いかけに対し、セレスティーナの返答が一瞬遅れる。ノエルには、彼女が言葉に詰まったように見えた。そこから彼は、薄々考えていた己の推測が正しかったことを悟る。
つまり、病気で伏せっていた、といのは公式の場を忌避するための仮病であり、そうして今後の対策を練るための時間を稼いでいたのでは、ということだ。
しかし、一介の臣下の身で、あれこれ詮索するわけにもいかないノエルは、取り敢えずその点には目を瞑り、早速自分の要件を切り出した。が。
「貴方に大事な話があるのだけど」
「姫にお話があるのですが」
間が悪いことに、セレスティーナと同時に切り出してしまった。こういう場合は当然、主の要望を聞くのが先である。
「申し訳ありません。私は後で構いませんので、姫からどうぞ」
セレスティーナに先を譲ると彼女は、
「そう。ありがとう」
と頷き、早速本題を切り出した。
――衝撃の内容を。
「私、カトルカールと婚約することになったの」
その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。そのせいか、
「……は?」
と、王女の前であるにも関わらず、うっかり間の抜けた声をあげてしまったのである。




