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9 寂しさの共鳴(11)

 キルシュの一声が、空間に膨大な魔力を生じさせる。


 それと同時に兵士たちの体は、さながら突風に晒された枯れ葉のように、きり揉みしながら吹き飛ばされる。

 嵐の暴風に立ち向かうかのように、何とか踏みとどまろうとする者もいるが、その努力も塵に等しく、キルシュがその者に一度指をさしただけで、更に激しい暴風が巻き起こり、抵抗者を屈服させる。


 彼らはあらゆる方向に吹き飛ばされ、床に、壁に、強かに打ちつけられる。目を回す者、気を失う者、激しく咳き込む者様々だ。


 しかし、共通していることもある。それは得体の知れない力の奔流を前にして、皆一様に呆然とし、戦意を喪失しているという点である。

 そんな敗者の群れに対し、キルシュは場違いなほど涼やかな声で、語りかけた。


「殺さないでいてあげること、感謝してほしいな。……枝葉をいくら伐採しても、根本が残っているんじゃ、意味がないし」


 そう言いながら、一番近くで倒れ伏している男の元へ歩み寄ると、上から見下ろしつつ唇の端を上げた。


「……そうだよね? 君たちは、雇われているだけだよね? まさか、自分たちの意思でセレスを迫害している、なんて馬鹿なことは言わないよね?」


 まるで友人にでも同意を求めるような口調だが、その底には冷え切った響きが隠されている。

 言葉の中身は紛れもない脅しだ。もし、自らの意思でセレスを害そうとしていたのであれば、容赦はしないと告げているも同然である。


 その言葉に、声をかけられた男のみならず、衛兵たちが一斉にこくこくと頷いた。ここで頷かなければ、キルシュに敵とみなされるのだ。そしてこの場には、命を賭してまで王を守ろうとする者はいなかったらしい。


 男のたちの反応に満足したらしきキルシュは、鷹揚に頷く。


「僕はセレスと契約を交わした。以後、僕は彼女の盾となり、剣となる」


 彼は、ただ「守るだけ」とは言わなかった。盾にもなるが「剣」にもなると、そう宣言する。


「だから、セレスを害そうとする者には……容赦しない」


 キルシュはすっと右手を持ち上げる。そして真っ直ぐ王に向けて指を差した。

 この挑発的な動作に、常であれば「王たる私に無礼な! 引っ捕らえて地下牢に繋げ!」と騒ぎ立てるはずの王は今、完全に言葉を失っている。


 彼も気付いたのだろう。この少女とも見紛う可憐な少年が持つ強大な力と、迷うことなく邪魔者を排除しようとする冷酷さに。だからこそ、蛇に睨まれた蛙の如く身動きできない。

 しかも、頼みの綱である衛兵たちが、てんで役に立たないから、彼としても打つ手はないに違いない。


「さあ……覚悟はいい?」


 少年の頬に、酷薄な笑みが浮かんだ。

 キルシュにとって、目の前の男が「王」であることなど、何の意味をも持たないことだろう。ただ、己より弱い存在、そして契約者を害そうとする危険人物であるという認識、それ故に排除すべき敵であるという結論だけが、そこにある。


 その言葉が意味するところに気付いた王は、ひぃと喉の奥で悲鳴を上げる。後ずさった拍子に椅子の脚につまずき、尻餅をついた。


「ま……待て! 待てっ! 何故そんな取り柄もない娘に付くのだ。儂に付けば、お前のために要職を用意しよう。か、金……そうだ、給金もたんまり用意しよう!」


 慌てふためき、上ずった声で命乞いをする。

 甘い餌で寝返りを唆す。

 瞳には怯えの色が浮かんでいる。

 微かに体が震えている。


 ……弱い者には高慢に、強い者には卑屈に振る舞う。その、あまりに無様な姿に、セレスは、はっと我に返った。


(こんな……程度なんだ……)


 王と対立した時点で、この戦いに敗れれば自分は死ぬのだとセレスは覚悟していた。

 しかし王は何一つとして覚悟を決めていなかった。覚悟もないのに、人の――実子の命を奪おうとしたのだ。


 何とちっぽけで怯懦な存在だろう。


 それを知るや、自然と力が抜けた。何だか、全てがどうでも良くなった。


「キルシュ……もう、いいよ」


 セレスは、キルシュの手を両手で包んで魔法の行使を押しとどめる。


 父親の人間の小ささを知って、哀れんだわけではない。憎しみはまだ胸の中に存在している。殺されかけたことを、そう簡単に許せるはずもない。


 けれど。


 今は、もう良いと感じた。


「邪魔だから殺すんじゃ……私も同じになっちゃう」


 少年は一時、訝るような目でセレスを見つめていたが、やがて溜息を落とす。


「そう……か。甘いとは思うけど、君の意思は尊重する」


 そう言って手を下ろした。だからといって完全に臨戦態勢を解いたわけではない。その目は油断なく周囲を探っている。

 やがて、この場にいる全ての人間に聞こえるよう、よく響く声で言い放った。


「二度とセレスに手を出そうなどと考えないことだ」


 視線は真っ直ぐ王へ。王はキルシュの言葉に狼狽える。


「な、何の話だ……」


 この期に及んでしらを切ろうとする王に対し、キルシュはくぐもった笑いを漏らす。それは、王の白々しい態度を揶揄しての嘲笑だった。

 彼は軽く肩を竦め、口を開く。


「何の話だろうね? でも……そうだね。今までみたいにセレスに不利なことをしたら、何かもの凄い災厄が降りかかってくるかもしれないよ」


 言葉に含みを持たせつつ、王に背を向ける。そしてセレスの横に並ぶと、促すように軽く彼女の背をぽんと叩く。


「行こう……嫌な思いをさせたけど、釘を刺しておいたから。僕がいる限り君に関わろうとはしないはずだ」

「うん」


 セレスは素直に頷いた。

 しかし、これだけは確信している。これから先、あの父親が改心することはない、と。

 それならば確かに、お互い無関心でい続けることが、最善の策だ。


(あの人は、血の繋がりがあるだけの、他人)


 そう自分に言い聞かせた後、最後に一度だけ、振り返る。


「私は絶対に、あなたのようにはならない……!」


 射殺す程の眼光を父親に突き刺し、セレスはキルシュと共に退室した。

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