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3 諸悪の根源 ノエル(1)

「約束して。誰とも恋なんかしないって」


と「彼」はそう言い、幼い頃のセレスもまた、


「うん、分かった」


と迷い無くそう答えた。だが、その後ふと自分の立場を思い出し、難しい顔で、


「でも私、第一王女だから、結婚は、しないと。それは王女に生まれてきた私の義務なんだって」


としかつめらしく言った。無論、今日初めて出会った「彼」に、母親に捨てられ父に疎まれながらも「王位継承権を持つ第一王女」という燦然と輝く地位から逃れることができないセレスの危うい立場など、完全に理解すべくもない。

 しかし、彼はセレスの危惧を、何でもないことのようにばっさりと斬った。


「結婚は、していいよ。恋しい人や愛しい人以外の人間であれば」


という風に。


 「彼」は見たところ、自分と同じくらいの年齢で、しかも在野の人間である。そんな少年の口から「愛のない結婚」すなわち「政略結婚」を示唆する言葉が飛び出してくるとは想像だにしていなかったセレスは、驚きにぱちぱちと目を瞬かせる。


 もちろん、セレスティーナ自身は、愛ある結婚など自分には望むべくもないことを、幼い頃から何となく悟っていたし、またそういったものに憧れを抱くような可愛い性格でもなかった。

 だが、それはそれとして、面と向かって「愛する人と結婚してはならない」と言われれば、多少捻くれているセレスは、少々反論してみたい心持ちになる。


「それって、好きじゃない人と結婚しろってこと?」


 むうっと口をへの字に曲げ不満げに告げると、少年は目を軽く瞬かせた。


「……できない?」


 その少年は、先ほど最初に出会った時には、ぴくりと表情一つ動かすことがなかった。だが今は、困惑したような、哀願するような、そんな様子がうかがえた。その表情にセレスは息を呑む。


 ぼろぼろの薄汚れたこの少年の、とても綺麗な顔立ち。顔の部品もさることながら、その配置も絶妙で、特に睫は羨ましいほどに長い。髪は漆黒だが、もしこれが金色の輝くものであれば、きっと物語に出てくる「天使」と見まがうほどである。しかし漆黒は漆黒で、少しなぞめいた雰囲気を彼に与えるがゆえに、絶妙の色合いである。


 綺麗なものには、毒があると言う。


 それに違わず、彼の瞳はまるで吸い込まれるように美しかった。美しいものを見慣れたセレスでさえ、魅惑されるほどに。


「ううん……できるよ」


 気付くと、セレスはそう答えていた。

 すると、少年は初めて柔らかく微笑んだ。あまり笑い慣れていないせいか、どこかぎごちなかったが、それすらも絵になるというので、セレスはつくづく可愛く生まれつけば、それだけで得だ、と感じたものである。

 そんなセレスの内心を知ってか知らずかは定かではないが、「彼」はそのまま夢見るように続けた。


「そう……良かった。君がその約束を守り続ける限り、僕はずっと君の側にいて、君の敵を君から遠ざけてあげるよ」


 その言葉は、その場限りでも誇張でも何でもなかった。その証拠に「君の敵を君から遠ざける」という約束を「彼」が寸分違わず実行し証明して見せたのは、そのすぐ後であったのだから。







 ……と、そんな約束を、ある人物と交わしていたにしても。


 ものには限度というものがあったのかもしれないと、セレスティーナは今更ながら後悔していた。


 さて。

 セレスティーナには……自他共に認めるところだが……可愛げというものがさっぱりない。さっぱりないが、つい先日まで「第一王女」という輝かしい地位にあったため、婚約者なるものが存在した。


 その婚約者が、クーデターの翌朝、この忙しい最中に、セレスの部屋を訪ねてきた。

 「第一王女の部屋」を出て王宮の研究室エリアに身を寄せるべく、せっせと荷物をまとめていたセレスであったが、流石に婚約者の来訪を無下に断ることも憚られ、無精ながら応対する。

 重い腰を上げ、のろのろと扉へ向かうと、戸を開けた。

 来訪者カトルカールは、セレスの姿を認めるなり、何の前置きもなく、開口一番こう言った。


「別れよう」

「……」


 正直な話。


 第一王女という権威の衣を失った以上、いつか、彼からそう切り出されるだろうと予測はしていた。が、ドアを開いた瞬間に別れ話を直球で投げつけられるとは、予想していなかった。

 セレスは、相手が「セレスティーナ」という個体とではなく「第一王女」という権威と婚約していることを、十分に理解していた。十分に理解していたからこそ、婚約を決めたのだ。

 そういう経緯であるため、婚約者の心ない行動に傷つくわけでもなかったが。


(でも、普通なら私、今、王位を追い落とされた傷心で可哀想な姫なのよね?)


 そんな哀れな人間に対して、政略のものであったにせよ、元婚約者に対し多少は気を遣おうと思うことはないのだろうか。


(いや、ないんだろうけど……)


 返答する気力も沸かないのだが、とにかく「分かった」と答えなければ、と口を開きかけたセレスを、カトルカールは更に遮って続けた。


「そもそも君の価値なんて、第1王女であることだけだった。それが失われた今、君の魅力なんて、小指の爪の先ほども存在しないしね」

「……」


 セレスは言葉を発する機会を逸し、黙り込んだ。だが、やはり傷ついた訳ではない。

 そもそも、彼がセレスを愚鈍だ無能だと評するのはいつものことで、表でも裏でも自分を貶していることなど、元から知っている事柄だった。

 ただ、セレスが地位を失ったと同時に、ほぼ速攻で縁を切りに走った彼の単純さに呆れると同時に、ある種、賞賛の気持ちすら抱いたのである。

 彼の話は、まだまだ続く。セレスとの婚約中、よほど鬱積するものがあったのだろう。


「君のような凡庸な娘が、私の婚約者に一時でもなることができたことは、君にとって最高の名誉であり幸福だよ。私にとっては最大の汚点だけど」

(それはこっちの台詞よ)


とセレスは胸の中で毒づく。が、声に出すことはない。そもそも、一々応戦する気力もない。

 とにかく、黙って話を聞いておけば、いつかは飽きて帰るだろうと考えたセレスは、その嫌味の嵐に耐えるよう身構えた。


 丁度その時だった。


 話に夢中になっているカトルカールの肩を、ぽんと後ろから軽く叩く手があった。正面のセレスは直ぐさま、それが誰か確認できたため、軽く目を瞠る。一方のカトルカールは、うるさげに、だがどこか警戒した様子で、ばっと後ろを振り返った。

 そして彼は、肩を叩いた相手を認め、ややほっとしたように息をついた。


「な、何だ、ノエルか……脅かすなよ」


と。


 そこに立っていたのは、クーデターの張本人。否、クーデターを起こしたことはともかくとして、今、セレスが目の前の男から嵐のように嫌事を投げつけられている事態を招いた、まさしく諸悪の根源であった。

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