9 寂しさの共鳴(7)
少年が簡単に言う「諦めないこと」は、セレスにとって己の容量を超える難題だった。
今まで足掻いて足掻いて足掻ききったうえで、ようやく諦めようという心境になったのだ。苦渋の決断だった。
それをあっさりと否定し、再び生への渇望を刺激する目の前の少年に対し、また、誰からも愛されていなくても、やはり生き延びることができるなら生きたいのだと実感してしまった自分自身に対しても腹が立つ。
「だって私を助けても意味がない! さっきも言ったでしょ? 分が悪いの。私は時の権力者から……父親から、死んでもいいって思われてる。戻ったって居場所なんてないっ!!」
城には、実の娘であるセレスを亡き者にしたという報告を心待ちにしている父親が玉座に座っている。きっと、セレスが無事に戻れば、良い顔をしないどころか嫌悪の表情すら見せることだろう。
セレスが全てを吐き出すように心の底から叫ぶと、久しぶりに腹から声を出したせいか息が切れ、肩が呼吸に合わせて上下に揺れた。
「……」
対する少年は、眉一つ動かさず激昂するセレスの姿を見つめている。
その間を突くようにして、暗殺者が少年に声を掛けた。
「ほら、王女様もそう言っている。王女様にとっても、この先、辛い思いをしないために、痛みなく殺された方が幸せだ」
少年の強さを肌で感じている男は、卑屈な目で再度取引を持ちかける。今度は、死こそがセレスにとっての幸せであり彼女への親切であると戦略を変えてきた。
しかし、少年は男の声を聞くと、わずらわしげに眉をひそめた後、手をつと持ち上げた。そして、
「うるさい」
と短く一言告げる。
何の変哲もない言葉。
しかし、その声には力が宿っていた。
陣も詠唱もなくただ一声。それだけで魔力は少年の思うがままに発動した。
男の口が貝のようにぴたりと閉ざされる。目が白黒しているのは必死に口を開こうとしているせいだろうが、努力も虚しく、男の口には空気一筋入る隙間もなかった。
口が閉ざされたということは、酸素の通用口が一つ遮断されたということを意味する。これで鼻の機能まで失われれば、窒息死することになる。つまり精霊である彼は、戦闘経験を積んだ大の男ですら赤子の手を捻るように打倒できるのだ。
セレスは改めて、精霊という存在の尋常でない強さを実感し、ぶるりと身震いをした。
「僕は彼女と話しているんだよ? 君は……邪魔だ」
底なしの闇を湛えた少年の冷たい瞳が、冷然と暗殺者を見据える。
「消えろ」
それは死刑宣告にも似た響きだった。
ゆらり、と辺りの景色が歪んだかと思うと、一度の瞬きの間に、暗殺者の姿は忽然と消えていた。
姿を消した……否、消された暗殺者がどうなったのかは、たとえ何処か別の場所へ飛ばされたにせよ、死んだにせよ、それはセレスが思いを巡らすべき内容ではなかった。
暗殺者とは人を殺すことを生業とする闇の世界の住民だ。裏を返せば標的を仕留め損ねれば、それなりの制裁が待っているということでもある。
セレスを殺せぬまま城に戻った彼らに、雇い主から与えられるものは「死」以外にない。
……と、そこまで考え、セレスは己の考えの酷薄さに乾いた笑い声を漏らしそうになる。こんなに薄情な人間だから、誰も自分を愛してくれないのだと。
少しばかり落ち込みながらも、セレスは平常心に戻って、現状を把握すべく軽く頭を振った。
少年の腕の中で軽くもがくと、相手は素早くセレスの意図を読み取って、彼女を地面に降ろした。
正面から向かい合ってみると、少年はセレスより少しばかり背が高かった。ただ、精霊と呼ばれる存在は、強大な魔力を内包していることを除いて、人と寸分変わらないように見える。
(でも……)
魔術師であれば一度は召喚してみたいと願う偉大且つ稀少な存在。それが一体何故セレスの前に突如として姿を現したのか、理由が知れない。
そもそも。
「――どうして私を助けてくれるの」
精霊に助けられるようなことをした覚えがない。
しかしセレスの、劣悪な家庭環境の中で培われた歪な常識によると、利害関係無しに己を助ける者など存在しないはずだった。
だが少年は、暗殺者の誘惑をはね除けて、セレスを救った。その行動が意味するところが、彼女には全く見当もつかない。しかも。
(さっき八つ当たりで怒鳴ったりしたのに……)
あれほど感情を晒したのは久方ぶりだった。
自分は胸のつかえを僅かとはいえ晴らすことができたが、八つ当たりをぶつけられた相手にとっては、決して快いできごとではなかったはずだ。
しかしセレスの問いかけに対しても、
「さあ」
と軽く肩をすくめる少年の表情に、不快の色は見えなかった。だからといって快い顔をしているわけでもなく、ただ淡々とした様子で、改めてセレスの問いに答えた。
「さっきも言ったけど、偶然だよ」
「偶然?」
セレスは少年に対して胡乱な目を向ける。偶然だ、何の利害関係もないのだという彼の言葉は理解しがたかった。そんなセレスの疑念に気付いているのかいないのか、少年の落ち着いた声が響く。
「そう、偶然。空間を渡っている最中、たまたまここを通りかかった。そして強い想いに遭遇した。だから、助けた」
少年が紡いだ言葉に対し、セレスは薄い笑いを漏らした。
「私、そんなに必死に助けを呼んでた?」
潔さの足りない惰弱な精神が、とてつもなく情けない。
しかしセレスの解釈に反して、少年は軽くかぶりを振った。
「さあ……助かりたいと思っていたかどうかは知らないけれど……寂しいって思ってた」
「寂しい……」
それは、紛れもない事実だった。あの時自分は、確かに狂おしいほどに寂しかったのだ。
自分の中の最も弱い部分を見透かされ、セレスは恥じ入る気持ちになる。その一方で、相手は自分の心のどの辺りまでを覗き込んだのだろうかと不安になる。
防御するように両腕で体を抱き締めながら、
「私の考えてること、分かるの?」
と恐る恐る尋ねた。すると少年は、
「分からない」
と即答し、さらに続けた。
「ただ、人が放つ『気』のようなもので、どういう類の感情を抱いているのか、何となく分かる。正の感情か負の感情か。負の感情なら悲しいのか怒っているのか苦しいのか。そんな風に一つずつ当てはめ、また除外して行って、最終的に君が抱いている感情が『寂しい』と呼ばれるものだっていう結論に至った」
心を明確に読み取られているわけではないと知ったセレスは、ほっと息をつく。しかし次の瞬間には、新たな疑問が心の中で頭をもたげていた。




