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7 怒れる大魔術師を御する方法(3)

 学者気質の気があるセレスの机は、決して整理整頓されているとは言えない。が、どこに何を収納するかは、自分なりに決めている。

 目当ては、左の一番上の引き出しだ。


 引き出しの外側には、インクで不思議なマークが描かれている。

 結界学を学ぶ人間なら、見ただけで、それがどういう用途であるのか理解できるだろうが、それ以外の人間にとっては、ただの走り書きにしか見えないだろう。

 結界の文様は、その道に興味がない人間からすれば、子供の書いた落書きのようにしか見えないものらしい。


(そういえば、試しに浮遊の小さな結界を作ってみたことがあるような……)


 浮遊の結界の理論が分かる、ということは過去に一度くらいは実験したことがある、ということではないか。

 そう考えたセレスは、そのマークが描かれた引き出しを開けた。

 その中には、結界の陣が書かれた小さな紙が、いくつも重なって仕舞い込まれていた。


 それらは、今のセレスに描くことができる結界陣の縮小版コレクションである。実験の際にはまず、小さな紙に小さな陣を描き、その効果が発生することを確かめた後、実用的な大きな陣を描くという過程を踏むのである。

 実物大の結界が成功すると、その証拠として縮小版をこの机の中に放り込む、というのがセレスの結界学実戦の流れである。


 ただし結界は、そこに描かれた時点で無条件に効果を発動させてしまう。ゆえに結界を描いた紙を複数枚、机の中に放り込んだりなどすれば、想像を絶する事態が起こる可能性がある。

 それを抑えるために、魔法封じの結界を机の引き出しに描いているわけである。


 ちなみに。


 魔法封じというのは非常に高度な魔法であるから、当然、結界の構成も複雑怪奇だ。

 この陣はキルシュの手ほどきを受けながら試行錯誤して造り上げた最高の逸品で、セレス自慢の結界でもある。……地味すぎるのが難点だが。


 それはともかくとして。


「自分に作用する陣だから、外は円で……」


 セレスは紙の束が机の中から飛び出さないよう慎重な手つきで、目的の物を探る。ぶつぶつと、その結界の特徴を口ずさみながら。

 やがて、


「あった」


とセレスは歓喜の声を上げて、目当てのものを引き出しの中から取り上げた。

 魔力封じの制約が解けたその結界からは、重力に逆らう浮力が確かに発生しており、セレスはほっと息をついた。

 その後も、他に何か良い結界がなかっただろうかと、念のために他の紙をめくりつつ、セレスはレアに声をかけた。


「巨大化の魔法は基礎魔法だから習っているわよね?」


 これは、質問ではなく確認である。

 結界学も魔法分野の一つであるため、他の魔法の基礎知識くらいは、セレスも頭に叩き込んでいる。

 どの学問がどのような魔法を習うのか。それを知るのも基礎知識の一つで、その中に、巨大化の魔法は呪文学の初歩であるという内容も含まれていた。

 レアはこくんと頷いた。聡い少女は直ぐさまセレスの意図を理解したらしく、


「じゃあ……」


と呟き、早速、結界符に魔法をかけようとする。しかしセレスはそれを止めた。


「待った」


 レアは素直に呪文の詠唱を止めると、不思議そうに首を傾げる。


「どうしたの? お姉さま」


 それに対して、セレスは軽く首を横に振りながら答えた。


「ふよふよ浮きながら安全に降りてたら、多分手遅れになる」


 今現在、キルシュは魔力の「溜め」の状態に入っている。多少の猶予はあるかもしれないが、それでも機敏な行動は必須である。

 いや、そもそもセレスが「安全優先」で行動したならば、彼はセレスに構わずに魔力行使を続行するに違いない。何せ、セレスに害がないことに変わりはないのだから。


「私が窓から飛び降りた後に魔法をかけて。当然、巨大化の魔法は、生物にかからないものにしておいてね」


 生まれてこの方、人間が巨大化して暴れた、という話は聞いたことがないので、そういう魔法はないのだろうと予測しつつも、念を押す。曲がり間違って、自分自身が巨大化してしまえば、洒落にならない。


(明日から、みんなの笑いものね……)


 犯罪者とは違う意味で、お日様の下を歩けない身になってしまう。


「人体に影響はないのよね?」


 重ねて問うと、レアはやや不安げな面持ちで答えた。


「ない。対象にのみ、かけられる……けど」


 セレスの危惧に対してはきっぱり「ない」と断定したレアだったが、続きがあるらしい。

 男二人のくだらない大喧嘩を止めるという何とも実のない行動だが、思いのほか大がかりな魔法を使用することになるので、流石にセレスも慎重だ。レアの言葉に対し、真摯に耳を傾ける。

 するとレアはふと視線を窓に移し、そして言った。


「あぶないと思う」


 至極まともな意見である。それは魔法を指すのではなく、この高所から飛び降りる、という行為に対する懸念だ。

 しかし、セレスは微笑んだ。


「二人の注意を引かないと、意味がないの」


 そうだ。危険は承知のうえである。むしろ安全では、意味がないのだ。

 セレスは靴の裏に結界を貼り付ける。そして、やっぱり危険だと言いたげなレアの視線を振り切って、窓に足をかけた。

 その際、うっかり下を見下ろしてしまい。


(高い……)


 地面との距離感を痛感して、セレスは微かに息を呑む。

 高い場所が特に怖い、というわけではないが、ここから飛び降りるとなると、かなりの度胸が必要だ。たとえ魔法の補助があると、あらかじめ理解しているにしても、だ。


「じゃあ、よろしく」


 強がって、おどけたふりをしてみても、声が震える。足も震える。

 しかし明日からの自分の立場を考えれば、飛び降りざるを得ないのだ。


 かくして。


 セレスは意を決し、窓の外へと身を躍らせた。

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