1 目覚めると クーデターが 待っていた
朝、目覚めると。
状況は劇的過ぎるほど劇的に変化していた。
「セレスお姉様!」
まだ日の光も白々とした朝っぱらから、次女ミモザは、長女セレスティーナことセレスの寝室に飛び込んで来るなり、眠っている長女の仰向けの胸に勢いよくダイビングした。
夕べ夜遅く床に就き、まだ夢の旅の真っ最中であるセレスは、胸にかかる急激な圧迫感に、
「ぐぇ」
と妙齢の女性にあるまじき蛙が引き潰れたような声を無意識下で上げる。そのまま、ばたばたと重力から逃れるべくもがき、最終的にミモザを押しのけ飛び起きた。そして、
「ミモザ。貴女私を殺す気!?」
と怒気を含んだ抗議の声を上げたのは、生命を維持することが至上の使命である「生物」の摂理として、まあ当然のことであろう。
しかし、あろうことか、いつも素直なミモザが、今日に限っては反発した。
「そうおっしゃいましてもね。セレスお姉様はこの事態を把握なさっていないから、そのようにのんびりさんな事が言えるのですわ」
頬を膨らますミモザの様子は、流石母親が違うだけあって可愛らしい。うらやましい、と思いつつも、自分は決して彼女のようにかわいげのある性格ではないことも、悲しいかなセレスは十全に理解し尽くしていた。
否、それは兎も角として。
気になることが、多々ある。
「はい、先生」
おどけたようにセレスが挙手する。しかし、相手の指名を待たず、彼女は即座に発言した。
「私、昨日……というか今日、寝たの2時なんだけど」
その台詞の中には、軽い抗議の意も含んでいたのだが、相手が相手である。その非難が伝わった様子もなく、どうやら見事に空回ったようであった。
「そうですの?」
夜更かしは、お肌の天敵ですわよ。
のほほん、とした口調でそう続けられ、セレスは思わず脱力しそうになる。脱力ついでに、言いかけた言葉が頭の中から吹き飛びそうになっていたが、それを無理矢理引き戻し、話を続けた。
置き時計の針を確認しつつ、
「で、今は5時よね?」
と念を押すと、
「そうですわね」
と、ミモザもまた、時計を視認しつつ答えた。
ということは、セレスが床に就いてから、今ミモザに叩き起こされるまで、正味3時間である。
「この短い3時間の間に、一体どんな大変なことが起こったって言うの」
普段おっとりとして、何事にも動じないミモザをして「大変だ」と言わせしめる程の事態が、このような短い時間でなされるとは、到底思うことができなかった。思うことができなかったが、とにかく話を聞かなければ始まらないということだけは、理解していた。
「話せば長い事ながら」
というミモザの前置きに、
「いいから事細かに話して」
とセレスは促した。するとミモザは、こくり、と生真面目な表情で頷き、おもむろに口を開いた。
「それは2時42分の事でした……」
「……」
1分刻みで状況を伝えようとし始めたミモザに、
(え? なに、この子。詳細って1分単位ってこと??)
とセレスは青ざめる。
というか、もし1分単位の流れを空で覚えているのなら、それはそれで凄い能力だが、そうすると説明が2時間18分に及んでしまう。セレスは慌てて己の言葉を訂正した。
「……ごめん。やっぱり、かいつまんで話して」
するとミモザは頷き、今度はさっくり、一言で告げた。
「かいつまんで申しますと、クーデターが起こりまして」
簡潔すぎるほど簡潔な一言であった。大層分りやすい一言であった。が、セレスの理解は、一瞬遅れた。何故ならそれは、今まで想像だにしたことがないくらい、あまりに突拍子のない事態であったからだ。
一拍の間。
その後、
「え!?」
と、裏返り気味の声を上げる。その声の中には「冗談でしょう?」という響きも含まれていたが、ミモザはあっさり、そのセレスの期待を否定した。ミモザは、いつになく神妙な面持ちで軽く首を左右に振った後、
「事実ですわ。お父様、王位を譲るという誓約書も書かされましたし」
と、この世の終りかと危ぶまれるほどの暗い声で、そう告げた。
が、一方のセレスは、妹の聞き捨てならぬ一言に目を瞠った。
「……って、お父様、生きてるの?」
目を真ん丸にして驚きを隠せないセレスに対し、ミモザはさも嬉しそうに頷いた。
「ええ。憔悴こそしていらっしゃいますが、傷一つ無くぴんぴんしていますわ。これも父上の日頃の行いのたまものですわね」
ミモザの言う父親の「日頃の行い」が、「たまもの」になるほど良かったためしなどあるのか、とセレスはこっそり胸の内で思う。しかし父親至上主義のミモザが折角喜んでいるところに水を差すほど、セレスは無粋な性格でもない。
はあ、良かったわね。と気のない義理の言葉を返した後、本題を切り出す。
「じゃあ、私たちに対する処置は……」
正直、父親の処遇になどひとかけらの興味もなく、ただ自分と姉妹にかかわることこそがセレスにとっての一番の問題である。無論ミモザにとっても己の処遇は一大事だ。そつなく確認を取っていたらしく、淀みなく答えた。
「自由は制限されますが、王城で官女として働くならば、今までどおり、ここで暮らしても構わないと」
「じゃあ、問題ないじゃない」
醒めた口調でそう答えつつも、セレスは訝しむ。この寛大に過ぎる処置は、一体どういった魂胆なのだろうか。無血革命を標榜するにしても、旧為政者の陣営など百害あって一利なし、国外追放や幽閉を行って然るべきでは無かろうか。
なお、セレスには地位を追い落とされた恨みや憎しみといった感情はあまりない。ただ、純粋にクーデターの首謀者に対し興味が沸いた。
「で、そのクーデターを起こした張本人は、誰なの?」
尋ねると、セレスとは対照的に、ミモザはその名を口にするのもおぞましい、といった嫌悪の表情を隠しもせずに、答えた。
「ノエル様です」
その名を聞いた瞬間、セレスは軽く眉を動かした。
「……ノエル?」
クーデターが起こり、王女の地位を追われた今、簒奪者である彼に対しては敬称必須であるだろうが、直ぐさま態度を変えるには、近すぎる距離にいる人物であった。
ノエル。
現在二十四歳。派閥は旧王妃派である。旧王妃派というのは、要するに第一王女たるセレスを擁立する派閥のことを指す。文武共に優れ、出世街道を爆走しているエリートである。しかも、セレスの気に入らないことに、天は二物も三物も与えるらしく、精悍な顔立ちをし容貌も上々、貴婦人方の注目を、常に独占している青年であった。
確かに爽やかな容貌の裏には、野心に輝く目を持っていた。それは十分に知っていた。が。
(それでも、クーデターを起こすなんて、思いもよらなかったわ……)
そもそも、彼がセレスに近づいて来たのは、第一王位継承権を持つセレスに取り入り、重職に就こうという魂胆があってのこと。それを互いに理解しつつ、適度な距離を置いた交流をしていたはずである。
であるから、クーデターなど起こさずとも、セレスが王位に就いたならば、行く行くは宰相として思う存分権力をふるうことが出来たというものである。
それにもかかわらず、一体何が彼をせき立てたのであろうか。
(やっぱり、私の地位が危うくなっているからかしらね……)
確かにセレスは、国王が生んだ四姉妹の長女であり、慣習上王位に最も近い存在だ。だがセレスの母は王を捨てて他の男と駆け落ちした上、現在の寵妃は次女ミモザ及び三女パントジェーヌを生んだ妃である。当然の如く、王の父性愛も専ら彼女らに注がれていた。
となれば、己を裏切った女の娘であるセレスではなく、愛する妃の娘のいずれかに王位を譲り渡したいと思うのが、親心というものであろう。
しかし、それが万が一実現したならば、面白くないのは旧王妃派である。ミモザ、もしくはパントジェーヌが女王となれば、寵妃派が幅を利かすのは必至であり、旧王妃派が引退に追い込まれるのも必定である。
そうなる前に手を打ったということか。
(それもこれも、時代の趨勢ってものなのかしらね)
冷静に判断し、一つ頷く。その後、
「……まあ、いいんじゃないの?」
と、やはり醒めた声で相槌を打った。更に追い打ちをかけるよう、続ける。
「正直なところ、父上は無能だし。クーデターが起こってもさしたる混乱があるわけでもないし、結果的に有能な元首を頂くことになったわけだから、我が国にとって決して不利にはならない状況だと思うんだけど」
セレスは父親に対して嫌悪感を抱いている。が、この見解は、そういった私情を排除した、ごく客観的なものであった。
「お姉様。そんな本当のことを……お父様が可哀想ですわ」
ミモザは、少々非難するような視線をセレスに送ったが、しかし「本当のこと」と口走るところを見れば、彼女も父王を無能であると見なしていることは明らかである。
セレスはそんなミモザの非難を黙殺し、漸くベッドの中から這い出した。
起こってしまったことは、今更無かったことにはできない。となれば、これから出処進退をどうすべきか。考えることは、それだけである。
扉の向こうの廊下から、使者の足音が聞こえる。
もう一眠りしたいのは山々だが、そうは言っていられない事態に嘆息し、セレスは椅子に引っかけていたガウンを羽織り、立ち上がった。
☆
何はともあれ辺境の小さな国、シュトーレンは。
たとえクーデターが起こっても、あくまで平和であるようだ。