水の都トリントにて
「相当……遠くない……?」
エイミーの首筋に汗が伝っている。
「だな……。リルの……"すぐ近く"は……当てにならない……」
俺とエイミーは息も絶え絶えという様子。
あの後俺たちは、一旦腰を落ち着けるための街を探すことにした。
レンジャーのリルが偵察を兼ねて先導してくれているが、いかんせん魔法職とレンジャーではスタミナの量が違う。
大分前を進んでいたリルが〈ダッシュ〉で戻ってきた。
「もうすぐ着きますよー」
「そう……。"もうすぐ"ね……」
「耳を澄ましてください。聞こえませんか?」
リルの言う通りに、立ち止まって耳に意識を集中させてみる。
ザアザアと水の流れる音が確かに聞こえた。この音は……滝? ということは……。
やがて木々を抜け荘厳な城壁が見えてくると、その疑念は確信に変わった。
「水の都」「トリントだ!」
トリントは城壁で周囲を覆われた城郭都市。
街の背面は断崖絶壁に面し、その崖から滝が流れている。
城壁を囲む堀には一面水が張られていて、その水は夕日を反射して黄金色に輝いていた。
城門の周辺には見張り小屋があり、それぞれの町の衛兵が見回りをしていた。
といっても、各街にある教会からの広域結界によって、街内及び街の周辺圏内では武器を構えることはできない。衛兵の主な仕事は城門の開閉と町の施設案内くらいのものらしい。
城門前につき衛兵に合図する。重厚な音をたてて門が上がった。
人混みでごった返している商店街を通り抜けると、街の広場のど真ん中にクリスタルがはめ込まれた台座――ポータルがあった。
台座に手で触れるとクリスタルが輝きを放つ。これで俺たちは、死んでもこの場所から復活できるようになった。
あとは装備を整える、ポーションなどの消耗品の調達、ギルドの設立……。やることは山積みだが、とりあえず今は――
「宿いこ」
エイミーが死にそうな顔をしてぼそっと呟いた。
「ならこっちです」
リルは表情一つ変えずにしっかりとした足取りで進んでいく。
「味方でよかった」
「ホントにね」
突き当りを右に曲がり、街外れの方に進むと『スイレン亭』という看板が見えた。こじんまりした2階建ての宿屋のようだ。街の中心部にはいかにも高級そうな旅館もあったが、今の俺たちにはこれぐらいの方がちょうどいい。
「いらっしゃ~い。3人? 四人部屋が空いてるからそこを使いな。 300Gに負けとくよ」
宿屋に入ると背の小さいふっくらした女性がカウンターの奥で座っていた。
「どうも。300Gね……」
ゴールドを出そうとしてポーチに手を突っ込んで青ざめる。50Gしか持っていないのを忘れていた。
「足りない分は払いますよ」
リルが助け舟を出してくれた。
「悪い」
まったく頼りになる奴だ。
あれ、とリルが小さく呟き、しばらくポーチを漁って出てきたのは100Gのコインが一枚だけ。少し間が空いて、
「すみません、これ支払いに使えますか?」
グジュッと生々しい音をたててテーブルに置かれたのは……何かの心臓だろうか。――しかもソレは持ち主がいないにも関わらず未だに鼓動を刻んでいる。
「むしろお金払って引き取ってもらえよ」
リルが渋々とソレをポーチの中に戻した。今までどんな生活をしてきたんだろう。
「えぇっと……あと150Gだよね? はい」
残りの代金はエイミーが払ってくれた。
二階の角部屋に案内されると、速攻で倒れこむようにベッドへダイブする。横のベッドからもボスっという音が聞こえた。ベッドは4つで、風呂も各部屋ごとについているようだ。
「あー明日は筋肉痛だなーこりゃ」
エイミーが太ももを揉んでいる。
部屋の窓から外を眺めるとちょうど日が暮れきったようで、宿屋に帰ってくる冒険者がチラホラ見えた。
まだ寝るには早いだろう。まだ風呂にも入ってない。だからちょっと休憩で横になるだけ……。……。…………。
――シャワーの音で目が覚めた。隣のベッドではエイミーが寝息をたてて気持ちよさそうに寝ているし、リルだろう。
既に窓からは日の光が差し込んでいる。朝風呂だったか。
蛇口を捻る音がしてしばらくすると、洗面所のドアが開いた。
白いバスタオルを裸体に巻いている。風呂上がりで少し火照っていたリルの頬は、俺と目が合い更に紅潮した。
俺がまだ寝ているものだと思い込み、クローゼットからレザーアーマーを取りに来たらしい。
「起こしちゃいました?」
「いや、ちょうどよかった。……リルも風呂入るんだな」
「はい?」
アーマーを手に取るとそそくさと洗面所に帰ってしまった。
エイミーはまだ熟睡中。口から出ている涎が二の腕に垂れかかっていた。そろそろ起きたほうがいいと思うが……。
起こそうかどうか迷っていると、着替えを済ませたリルが洗面所から出てくるなり、俺のベッドの端に腰掛けた。
「一つ聞きたいんですけど」
エイミーに気を遣ってか声はかなり小さい。
「何だ?」
「あなたは何のためにギルドを作るんですか? 私はてっきり――」
リルがわずかに下を俯いた。
「――てっきり前ギルドへの復讐でも狙っているのかと……。レベル100のプレイヤーを逃すのはギルドにとって大きな損失です。余程の事情がなければ脱退させないはず。所持アイテムだけでなく全財産を無くしているようですし。何かあったんでしょう?」
「当たらずとも遠からず」
「その割には悠長に見えますが。今からでも早急に高レベルプレイヤーをかき集めて戦争の準備をしておくべきでは?」
「闇雲に焦ったってしょうがない。その場凌ぎで集めた兵隊なんて一瞬で瓦解するもんさ。それに――リルが気になっているのは俺に戦をする意思があるのかってことだろ? 安心しろよ。これから嫌という程戦うことになる」
リルが軽く咳払いをした。
「ならいいんです。……寝起きに長話してしまってすみません。一階で朝食がとれるそうですよ。エイミーが起きたら行きましょう」
そう言って腰を上げたリルの顔は輝いていた。