鬼の子ファンプ
あの日を思い出すと、あのときの私は何とも無邪気で明るい性格で、そしてなんと馬鹿で無知だったのか後悔をしてしまう。
けれどそれでも私の中にある遠くて確かにあった平凡で平和でけれど充実した日々がそこにはあった。
なのに、なぜああなってしまったのだろう。
あの日は随分と日が晴れていて、暗い森のなかですらも明るく照らされていた。
そんな天気の良い日だったから私は森の奥にある花畑まスキップで向かっていた。
ふんふふふーん♪
小鳥は歌い、木は囁き、植物は吹く風で気持ち良さそうに揺らいでいる。
そんな爽やかな森の様子を見ながら、私はるんたったー鼻唄混じりにスキップをする。
そうしていると何だか私が「森のお姫様」になったような気分になれるのだ。
昼になる頃、天気が曇りだした。
ここは山奥の村なので、天気が崩れやすく、一度荒れればなかなか収まらない厄介な気候をしていた。
私はお腹を空かせていたので、お母さんが焼いてくれた手作りクッキーを食べながら急いで村へと帰ることにした。
たちまち雨が降った。
豪雨が森を包み、激しい雨を私に浴びせた。
細かくて繊細な朱色の髪が雨に濡れ、べったりと背中へとその髪が張り付き、マシュマロのような白くて儚げな柔肌は木の枝や植物の鋭い葉で傷付いていた。
「またお母さんに怒られるちゃう、最悪ー!」と、その時の私はそのことしか頭になかった。
「早く服を着替えて、お母さんに絵本を読んでもらおっと」
私は絵本が好きだった。
特に好きだったのは化物からお姫様を救う勇者様の物語だ。
ありふれていたよくあるその物語は夢だった。
この物語のお姫様ようになりたいと思うほどに素敵で、最高で、憧れた。
憧れていたんだあのときは。
私が村にたどり着き
なに、これ……。
私の村であったそれを見た。
みんなは…?村のみんなは大丈夫なの!?
私は何もかも手遅れのその廃村に不安を覚えて思わず駆け出した。
それが悲劇の始まりだとも知らずに。
村の状態は酷いものであった。
家は焼き焦げ、生き物は死に絶え、人であった何かは朽ち果てていた。
まだ小さい少女にこの惨劇はあまりにも残酷で、可哀想であった。
少女は必死に村の誰かを探していた。
自らの肌が廃材で傷付くことも汚れることも構わずただただ誰かを探していた。
悪夢なら目覚めて欲しいとその時の彼女はまだこの惨劇を誰かの悪い冗談だ、夢だと甘い希望を抱いていた。
少女は既に本当のことに気付いていた。
皆が本当は殺されていて、生きているのは私だけなのだと。でも、彼女はそれを必死のギリギリで否定していた。
否定しなければ、少女は絶望のなかで落ちていくと分かっていたから。
お母さん、お母さん。出てきてよ。私は、私はここにいるよ?速く速く、出てきてよ。お願いだよ。一人にしないで。
不安で一杯だった。息が苦しかった。涙が思わず溢れた。少女は最後に少女の家を探していた。
村であったものを見ながら、少女は思った。
きっと、大丈夫だよ。私のお母さんはクッキーでも焼いて私を待ってるよ。早く、早く会いたいな。
少女は現実から逃げるように少女の家へと向かった。
そうして、たどり着いたのは。
数人の男達と彼女のお母さんの姿。そして焼けていく少女の家だった。
「お母さん!」
少女は少女のお母さんの元へと庇護を求めて駆け寄ろうとしていた。
だが、しかしこの親子に立ちはだかる男達が彼女を簡単に捕まえてしまった。
まだ小さく幼い少女の力で彼らを追い払うことなど出来なかった。
それでも少女は抵抗し、必死にお母さんの返事を求めた。
少女は盗賊達にどれたけ殴られようが叫ぶことを止めなかった。
しかし、少女が少女のお母さんの返事を聞くことは二度となかった。
何故なら、少女のお母さんは……既に死んでいたのだから。
こうして、少女は絶望を叩き付けられ、非道な研究を受けさせられ、そして鬼となった。
地下牢でただ一人。
私はそこで、全てを諦めていた。
私は鬼になってしまった。
誰かと触れあいたいほどに寂しいのに
空腹のせいで来るもの全てを壊し、殺し、食い散らかしてしまう。
だからなのだろう、私はこの暗くて、寒くて、寂しい地下牢の中に閉じ込められていた。
私は物語で嫌われる化物になってしまった。
私は自分を止められない。
自分の中にある殺人衝動が自分の全てを奪って、僅かに残る理性を消し飛ばしてしまうから。
自分が壊れるのを感じることしか出来なかった。
人の匂いを嗅いでしまうと、どうしても美味しそうな匂いだと思ってしまう。
どれだけ我慢しても、どれだけ寂しい思いをしても、そこにいるのはただの生肉に違いなかった。
それに私はここに来る人が少ないせいで常に空腹なので、それが我慢しきれるはずがなかった。
だから私はこの暗く、寒く、寂しい地下の檻の中で、思ってしまうわけだ。
願ってしまうわけだ。
どれだけ寂しい思いをしても、どれだけ寒いと思っても、私の中にある化物が全てを狂わせてしまうというのなら、いっそのこと私を殺してくれと、壊してくれと、願ってしまう。
私はもう狂いたくない。
誰かを殺したり食べたりしたくない。
耐えきれなかった。
だから私は死神に祈る。未だ見ぬ優しき殺人鬼に願う。
殺してと、願う。
それ以外、もう望むこともない。
だって、本当にそれが一生のお願いなのだから。
だけれど、もしも
もしも神様の気まぐれがあるならば、来世では誰からも愛されるお姫様になりたい、な。
キィ……。
光が見えた。
かつて私が憧れて止まなかった地上の光。
けれど、今は醜く卑しい化物の私を浮き彫りにする暗く鬱蒼とさせる絶望の光。
どうやらまた誰かがこの地下牢に来たらしい。
今度は私の死神なのだろうか。
それとも私に喰われてしまう肉なのだろうか。
考える間もなくそれは近くへとやってくる。
すんすん。あぁ…この匂いは、生きタ、ニンゲンノニオイダ…。シカモ、コレハ、ニンゲンノコドモの、ノノニオイィィーーーーー!!!
ニク、ニク、ニクニクニクニクニクニクニクニクニクニクニクニクゥゥゥウウ!!!!!
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!
ドンッ!!
いきなり思考が真っ白になった。
衝動によって正気に戻った私は、意識が混濁するなか、私の視線を横切る硬くて鋭い拳の向こう側に射抜くような強い黒曜石の瞳を垣間見た。
それは確かに一瞬のことだった。
なのに、私はそれが永遠にも感じられた。
だってそれはあまりにも真っ直ぐで、純粋で、強く、鋭い…それは私が見た中で最も生きた目をしていたのだ。
気付けば私はそれに強く興味を惹かれていた。
こんなにも美しく真っ直ぐな宝石があるのかと感動さえ覚えていた。
そうして感動しながら私は気を失った。
あ、てめぇ俺のハンバーグ取っただろう!
そういうお前は俺のトンカツ取っただろう?これでフェアだ。
ふざけるな!お前のトンカツよりもハンバーグの方が明らかに手間隙材料掛かってるんだぞ!?それがフェアなわけあるかーー!!
なら、やるか?
ああ、殺ってやる!
二人とも落ち着きなさい!!
わー、キャー!?
「……♪」
あれから、私の周りに環境の変化があった。
気が付けば、私はあの綺麗な瞳を持つあの人の背中の上で目を覚まし、正気を取り戻していた。
話すかどうかを私は少し躊躇っていたが私を止めてくれたこともあり、彼に全てを話すことにした。
私がいた村のこと、非道な研究を受けさせられたこと、地下牢のこと。私の過去を精算するかのように私は洗いざらい全てを彼に託した。
あの時、私はどうして会ったばかりの彼に全てを話していたのか分からない。
だけど、結果としてこうして彼と一緒に今日まで過ごしていたのだから、それはそれで良かったのだろうと私は考えている。
「……」
今でもあの暗く、寒く、寂しい孤独な地下牢にいた頃を思い出しては不安になる。
だけど、その度に私はあの強い瞳を持ったあの人と会話した時を思い出すのだ。
ーーお前は一人が嫌なのか。なら俺の家族になれ。
「ふふ…」
まったく、まったく。なかなかどうしてこうも……気持ちがいいのだろうか。
楽しいなぁ。
本当に毎日が明るくて、暖かくて、騒がしく、そして優しい。今もなおそんな団欒の中で皆と同じご飯を囲んでいると、本当にあの日のことで悩んでいる私が馬鹿に見えてくる。
そして、どうしてこんなにも心がウキウキとしてくるのだろうか。
昔は想像もしなかった。誰かと話すよりも誰かと触れ合うときよりも、まさかただ誰かと一緒にいるだけでこんなにも暖かいなんて。
これもそれもみんな彼と彼の家族のおかげなのだろう。
私は新しい家族にそれを教えてもらった。
私は絵本が好きだった。
お姫様とお姫様を救いに来る勇者様に憧れていた。
でも、今は違う。今の私は化物で女の子だからだ。
だから、もう絵本には、かつて憧れた物語にはもう羨ましくもない。
だって、私は化物になった女の子を救いに来る剣士様の物語を知っているから。
「……ふぅ」
私はふと彼を見て胸に手を置いた。
とくん、とくん。
右手から伝わる強く確かで、しかし穏やかな鼓動のリズムを聞いていると何だか暖かくて不思議な気分になってくる。
なんだろう。ただここにいるだけで高まってくるこの気持ちは
なんだろう。ただ彼を見ているだけで感じるこの淡い想いは。
こんな気持ちになったのは初めてで何だか分からないが、それを感じる心はとても心地よいと優しく囁いている。
ふふふふ。
「ファンプー!この馬鹿二人止めるの手伝ってー!」
「あ、今行きまーす!」
私の物語はまだ続いている。
当たり前だ。これは物語などではない私の一度きりしかない一生なのだから。だから続きがあるのは当たり前だ。
でも、これが絵本に出てくるような物語であるならば、ハッピーエンドになるはずよね?
でも、それはまだ長くなりそうだから今のところはいいかな。
代わりに私は彼をぎゅっと抱き締めて笑った。
FIN
「鬼の子ファンプ」の話どうでしたか?