夏の終わりと逆行彼女
明日で夏も終わる。
彼女にとっては、これが最後の夏。
『どうだった? 今年の夏、楽しかった?』
「どうもこうも、いつも通りだよ」
特に何か大きなイベントがあるわけでも無かった俺は、ただ一言、そっけない返答をする。
しかし、携帯の画面に映る”彼女”は不機嫌になることもなく、いつもと変わらず微笑みかけてくれる。
「お前こそ、今年の夏はなんかやったのかよ」
『んー、海行った!』
「おー良かったじゃん」
互いに自然と笑みがこぼれる。
俺がこうして画面の彼女に話しかけるようになったのは、今になって思えば不思議なことだった。
◇◆◇◆◇◆
去年、交通事故に遭ってから俺はずっと病院のベッドの上で生活していた。
その間に同級生は皆中学校を卒業し、それぞれの高校へと進学した。卒業式に出られなかった俺の心だけが、まだ中学生のままだった。
しばらく無気力だった俺を勇気づけるためか、高校の入学式の日、両親は俺に新型のスマートフォンを買い与えてくれた。
「もう立派な高校生だもんね」
母親にそんな言葉をかけられるのも、かけさせるのも辛かった。でも、とりあえず「ありがとう」とだけ言って受け取った。
今まで携帯ゲーム機くらいしか暇つぶしに使えるものが無かったので、久しぶりに遊ぶ物が増えたことは純粋に嬉しかった。
いそいそと新品の箱を開けると、そこに入っていたのは、磨き抜かれたように真っ白なスマートフォン。
でも、全く見たことのない機種だ。
昼間はゲームかテレビを見ることしかしてこなかった俺は、流行の知識だけは人一倍自信があった。番組の合間に流れるコマーシャルも否応なく暗記してしまったし、テレビショッピングだって司会者になりきれるくらいには繰り返し見た。
そんな俺でも見たことのないスマートフォン。
未知のものに対する不安を捨てきれないまま、とりあえず説明書に従って電源を起動する。
ロック設定されていない端末は、まず真っさらなホーム画面を表示した。
「あれ、もうアプリが入ってる」
画面左上にポツンと、ハートマークのアイコンをしたアプリがインストールされていた。
「め……めも……りす?」
アイコンの下にある英単語を必死に読み解こうとするが、まだ中学校で習っていないため、どう頑張っても読めるはずがなかった。
まぁ使っているうちにわかるだろう、と自己完結し、アプリを起動する。
すると『相手を検索しています……』という文字が表示され、アイコンと同じハートマークがくるくると回る。
しかし、それはすぐに『相手が見つかりました。通話を開始します』のシステムメッセージに変わり、慌ててアプリを閉じようとする。
「ちょっ……おい! 通話って何だよ!」
病室であることを忘れ、思わず大声で抵抗する。
ホームボタンも電源ボタンも、不具合が起こったかのように反応しない。俺は端末を身体から遠ざけて、これから起こるであろう出来事から、ただ逃げることしかできなかった。
俺の意思に反して、状況は次々に変化していく。
『もしもーし……ん? あれ、画面真っ暗。もしもーし』
布団を頭から被った俺の耳に、ちょうど同い年くらいの少女の声が響いた。
恐る恐る顔を出すと、どうやら例のスマートフォンから音が出ているらしい。
「もう、どうなってんだよ……」
『あ、誰かいるの!? もしもーし!』
俺の独り言を拾ったのか、少女は嬉々とした声に変わって『もしもーし』を連呼してくる。
「あーもうっ、うるさいな!」
思わず伏せていた端末を手に取る。
同時に、画面に映った少女と目が合う。
『あ、やっと顔見せてくれたー。やっほー!』
「あのな……」
「ね、私とお話しない? 今ちょうど暇でさー」
「いや、だから……」
「よし、決まり!」
ーーなんだこいつは。
ここから、俺たちの画面越しの関係が始まった。
それ以来、俺と名前も知らない少女は、事あるごとにこのアプリを使って通話するようになった。
聞いた話だと、彼女も特殊な事情で病院生活を長く送っているらしく、俺との会話が唯一の楽しみなんだそうだ。
何気ない日常会話、病院での食事の話、退院したらやってみたいこと、趣味など、よくもまぁ毎日違った話が思いつくものだと自分でも驚くほど、彼女とは色んな話題で盛り上がった。
他には、互いの誕生日を祝ったり、クリスマスやお正月には思い出を語り合ったりもした。
ある日のことだった。
「そう言えば、君の病気って何なの?」
今まで一度も聞いたことが無かった。もちろん、彼女にとっては話題にされることすら嫌なことかもしれない。
でも、次第に彼女に惹かれていった俺は、どうしても気になってしまった。
『知りたい……?』
彼女は少し俯きながらも、いつもの笑顔は崩さずにそう聞いてきた。俺が「もちろん」と答えると、暫し考え込んだ後、予想していなかった言葉が返ってきた。
『私、ある年齢をピークに、どんどん若返っていっちゃうの。難しい病気らしいから、詳しくはわからないんだけどね』
あはは……、なんて力なく笑う姿を、俺は初めて目にした。でも、ここまで聞いてしまうと、もう一つ気になる質問がある。
「その、ピークっていうのは?」
『一五歳だよ。今年がそのピークなんだ』
「っ……!?」
一瞬、かける言葉が見つからなかった。自分はなんて最低なことを聞いてしまったのか、と。
いや、それ以前に、彼女は自分の誕生日を迎えることが嫌だったのではないか。それなのに、俺は「ハッピーバースデイ」なんて言葉を軽々しくかけてしまっていた。
『だーいじょぶだよ。気にしないで。今まで言わなかった私も悪いんだしさ』
「でも……」
これから俺が歳を一つ重ねるごとに、彼女は一つずつ逆行していく。そんな事実を突きつけられたことが、たまらなく自分の中で衝撃だった。
それからは、以前よりもたくさん会話した。
もしも彼女の記憶まで退行してしまっても、決して俺のことを忘れて欲しく無かったから。
俺が一八歳で退院した時、彼女は一三歳まで若返っていた。だが元々子どもっぽい性格だったせいか、あまり変化している印象は受けなかった。
まぁ中三が中一になるだけだし、そんなに一気に変わるものでもないだろう。
就職活動の合間にも、毎日かかさず”あのアプリ”を起動し、彼女を呼び出した。
無事に一般企業へと就職して一人暮らしを始めると、俺は稼いだ給料で時々遠くへ出かけて、カメラ越しに色んな景色を見せてあげたりもした。
どんな景色や出来事に対しても、彼女は『うわぁ……』と感嘆の声を上げて喜んでくれた。
そして俺が成人式を迎え、二〇歳として社会人の仲間入りを果たした時、彼女は「おめでとう」の言葉とともに、こう言った。
『なんかね、次の誕生日からどんどん若返っちゃうらしいから、こうしてちゃんとお話できるのは、今年が最後かもしれない』
それは彼女が十一歳、学年でいう小学五年生の時のことだ。
その時、初めて彼女の両親と画面越しに会話した。
『そうですか……あなたが……。いつも娘のためにありがとうございます』
二〇歳以上も年上の男性からいきなり深々と頭を下げられ、俺は必死にかぶりを振る。
「いえいえ。むしろ僕が元気をもらっているほどです」
そんな感じで会話が始まり、すぐに彼女の病気についての話題に切り替わった。
『ーー娘の病気が今年から一気に進行する見込みが高いと、医師から伝えられまして』
「じゃあ、この通話ができるのも、次の彼女の誕生日が最後……と?」
「おそらくは、そうなりますね。記憶も少しずつですが失われていくので、あなたにも辛い思いをさせてしまうかもしれません……」
「辛いなんて……そんな」
『一応、病院の住所をメッセージでお送りします。もし良ろしければ、一度会ってやってください』
通話を終えると、俺は半年後に向けて予定を立て始めたーー。
◇◆◇◆◇◆
『ーーでさ、海でお父さんがね……』
いつも以上に、彼女は画面越しに話し続ける。俺が話す隙すらほとんど無い。
『あ、ごめん! 私ばっかり話しちゃって』
「気にすんな。それより、今日が何の日かわかるか?」
彼女がベッドの横に置いてある卓上カレンダーでも見ようとしたのか、首を動かしかけて、止めた。
見なくても、わかってるから……。
『私の……誕生日』
八月三一日。それが彼女の誕生日。
「まぁ、確かにこうして画面越しに話せるのは最後かもしれないけどさ、今日はサプライズがあるんだ」
『サプライズ?』
「あぁ、ちょっと病室のドア開けてみてくれないか?」
『う、うん。わかった』
彼女の暮らす病室から、スリッパを履いた彼女がパタパタと軽快なリズムを刻んで近づいてくる。
同時に、通話状態で繋いだままのスマートフォンからも同じ音が響く。
ガラッ……。
『「あ……」』
俺の姿を認めた彼女の瞳から、一筋の涙がこぼれる。
「おいおい、せっかく直接会えたんだから、笑ってくれよ。いつもみたくさ」
「無理……だよ」
連られて泣きそうになるのを隠すために、すっかり小さくなってしまった彼女の身体を抱き寄せながら、一言だけ呟く。
「許可は取ってるから。今日はお前の行きたいところ、どこにでも連れてってやる」
「……ありがと」
ある夏の終わり。それは俺と彼女が出会った、最初で最後の日になった。